22期生の塩谷です。
この2か月ぐらい150年という言葉をよく耳にしませんでしたか。そうです1872年10月14日に国内で初めて鉄道が走ってから、今年はちょうど150年、150というのはその記念の年数です。様々な記事や催し物を見かけた方も多いと思いますし、これをお読みになっている方の中には鉄道好きの方もいらっしゃると思います。私はマニアまでではありませんが、鉄道に乗るのが好きであちこちのローカル線に乗っています。
特に最近は北海道の電車によく乗ります。私が北海道出身であることに加え、赤字路線が多く、路線がどんどん廃止になっていく、或いは廃止になる可能性が高いためです。北海道は1880年に初めて鉄道が走り、1964年には約4000キロにもおよぶ路線が道内に張り巡らされていました。全道にある主な地方都市をぐるりと結び、そこから枝葉のように支線が伸びていましたが、支線がどんどん無くなり、2016年には約2500キロまで減少。このうち更に半分についてもJR北海道は維持が困難としており、地方都市を結ぶ路線でさえ存続が危ぶまれています。
前置きが長くなりましたが、今年の夏休み、一人で女満別空港に降り立ち、カーリングで有名な北見から石北本線に乗って、旭川を経由して留萌まで行ってきました。今回の目的は2023年3月に路線の半分が廃線になる留萌本線(留萌〜石狩田沼が廃止)に乗るためです。
留萌で宿泊し、レンタカーで増毛という隣町まで行き、増毛駅舎跡にも寄りました。6年前までは留萌〜増毛間も鉄道が走っていましたが、残念ながら乗ることは出来ませんでした。増毛を聞いたことない方も多いと思いますが、1981年には、高倉健主演の映画である『駅 STATION』(えき ステーション)が制作され、髪の薄くなった方が増毛駅の入場券を買い求めたとの話も聞いたことがあります。駅前には観光施設があり、高倉健が撮影したという場所も残されていました。明治から昭和のはじめにこの地を大きくした旧商家丸一本間家(建物は国指定の重要文化財)があり、呉服問屋、漁業、海運業、醸造業など、町に必要な産業を築いた本間泰蔵という人がいました。北海道では國稀という超辛口のお酒が飲まれていますが、これは当時の地元漁師を中心とした働く人のために作られたお酒です。
増毛駅舎跡には、多くの列車が泊っている写真が飾られており、賑わいがあったことを忍ばせます。北見もそうでしたが、夜にはあまり人の歩いていない街、空き家ばかりの商店街。北見駅前には北見信用金庫の綺麗な本店が立ち、増毛や留萌は留萌信用金庫が地元企業を支えていますが、そこで活躍されている診断士の方はどんなアドバイスをされているのだろうと興味を持ったりもしました。
北海道の各所を眺めていると、北海道に鉄道が出来たのは、石炭などの鉱山資源や鮮魚、材木、必要な物資を大量に早く運ぶために作られたものが多く、人よりも物資を運ぶことが主の鉄道も多いです。石炭が石油に材木も輸入品に変わって、そのニーズが無くなり、今でも鮮魚を運ぶニーズは残っていますが、こちらはトラックや飛行機など他の手段に変わりました。人も車の方が便利だということになります。
このまま行くと、北海道の鉄道で残るのは、2030年度末に札幌まで延伸予定の北海道新幹線と新千歳空港〜札幌などの何路線だけになるのではないでしょうか。私のような鉄道に乗ってのんびり地方をまわるのが好きな人間はこれらの楽しみがどんどん無くなるのは本当に寂しい。鉄道好きな人がいる間ぐらいは残っていて欲しいと思います。でも、鉄道のみならず、もっと地方に人が住むためには、観光だけではなく、多くの人が生活できるための産業がないと、鉄道だけではなく、人も住まない地域ばかりになってしまう、本間泰蔵のような人が現れないかと改めて感じる旅でもありました。
最後に些末な感想です。留萌本線は混んでいて驚きました。大小様々なカメラを首から下げた男性たちが同じ路線を1日に何往復も乗っているからです。でも、それ以上に驚きだったのは、そんな人たちを気にも留めることなく乗り降りしている地元の高校生です。撮影に必死の鉄道ファンをよそにこれからを生きようとしている高校生の皆さんにとって、鉄道は懐かしむものではなく、未来に向かって成長するための一つの乗り物でしかありません。廃線を寂しがっているのは、私のような一部の鉄道ファンばかりなのかもしれません。本日もお読みいただきまして、ありがとうございました。