PC1人1台で学力低下? 「最低レベル」日本を救う道
聞き手・岡崎明子
朝日新聞2021年5月27日 16時00分
https://digital.asahi.com/articles/ASP5T3FC0P5TULBJ003.html
この春、全国のほとんどの小中学校に「1人1台」分のデジタル端末が配られた。実は、日本の子どもが授業でコンピューターを使う時間は、先進国の中で最低レベルだ。一方で、学校での使用時間が長いほど、成績が下がるという報告もある。「ICT(情報通信技術)教育」は、本当にいいことなのか。「第四次産業革命と教育の未来」を出版した東大名誉教授の佐藤学さんに聞いた。
――我が家の小学生の子どもにもiPadが配られましたが、学校での使い方を聞くと、鉛筆で書けばいいことをキーボードで入力したり、知育ゲームのようなアプリだったり。本当に必要なのかと思ってしまいます。
「実は、ICT教育によって学力が上がるという研究結果はほとんどありません。IT企業が宣伝用に使っている小規模な調査データはありますが、『未来の教育はICTだ』というイメージが先行しているのが現状です。一番信頼できるデータは、国際学習到達度調査(PISA)の調査委員会が2015年にまとめた報告書です」
読解力も数学の点数も下がっていた
――どんな内容ですか。
「学校でパソコンを全く使わないよりは、適度に使った生徒の方が成績はいいのですが、使う時間が長くなればなるほど読解力も数学の学力の点数も下がっています=グラフ。コンピューター上で答える形式のテストを受けていても、紙のテストを受けていても、同じ傾向です」
――なぜでしょう。
「PISAテストを中心的に担ってきたOECD(経済協力開発機構)のアンドレアス・シュライヒャー教育・スキル局長は、コンピューターは情報や知識の獲得や、浅い理解には有効だが、その知識や情報を活用する深い思考や探究的な学びにはつながらないと解釈しています」
――一方で、2018年のPISAテストで日本の子どもの読解力の順位が8位から15位に落ちた際は、「デジタルの情報を読む力が不足しているからだ」と指摘されました。
「それは、根拠がない指摘だと思います」
――では、日本の子どもの読解力が下がっているのですか。
「そもそも言語の異なる読解力を国際比較でテストすることは不可能に近いことです。英語の文章の翻訳の仕方ひとつで、成績はすごく変わってしまいます。それに、文化の違いもあります。単純な情報処理の能力ではなく、文化的な意味づけや価値づけが伴うと、点数に差がついてしまいます」
日本は今の順位をキープできるのか
――たまたま、18年の成績が低かったということですか。
「別の問題もあります。PISA調査が始まってこの20年間の一番大きな変化は、ヨーロッパにおける移民人口の急激な増加です。数%だったのが、10~20%を超えるようになりました。それでもトップレベルの集団に入っていることの方が驚異です。日本に日本語が話せない移民がそれだけ増えても、今の順位をキープできるでしょうか」
――そもそも、教育の分野において科学的根拠を出すことはできるのでしょうか。
「確かに教育の分野では、因果関係がはっきりしないデータがたくさんあり、効果を測るのは難しいと言えます。それに、あらゆる社会実験は、実験を『やること』そのものによってある程度の効果が出ます。人は新しいことを期待されると、結果を出そうと頑張るためで、『ホーソン効果』と呼ばれます」
――つまり、デジタル端末を学校現場に持ち込むだけでも、効果が出ると。
「はい。これまでコンピューターがなかったところに持ち込むわけですから、それだけで短期的な効果が出るはずです。ただ、半年、1年のスパンの短期効果があっても駄目で、3年、5年と継続する長期効果がみられないと、『効果』とは言えません」
「ICT教育によって学習の進度は上がるかもしれないし、定着度も上がるかもしれません。しかし、先生と子どもの情動的・社会的関係が崩れると、マイナス要因の方が大きくなってしまう可能性もあります」
――では、佐藤さんはICT教育に反対なのですか。
「そうではありません。ICT教育はコンピューターの機能の問題というより、むしろ使い方と使われているソフトの問題が大きいというのが僕の解釈です」
――どういうことでしょう。
「コンピューターの活用には二つの流れがあります。一つは、行動心理学者のバラス・スキナーがティーチングマシンで提唱した、刺激と反応によりすべての学習がコントロールできるという考え方です。AかBかを選び、正解すると次の問題に進むというプログラム学習です。今の日本のICT教育の多くがこのモデルですが、この方法は学習心理学としては古い方式で、短期記憶しか残りません」
「もう一つは、コンピューター科学者のアラン・ケイや、MITメディアラボが提唱するような、子どもたちが自発的に知識を構成したり、活用して思考したり表現することを促すソフトです。知識を教えるのではなく、思考と表現のツールとしてコンピューターを活用する方法ですが、残念ながら市場に普及しにくいのが現実です」
企業だけにソフト開発を任せてはダメ
――後者の方がこれから求められる能力だと思いますが、なぜでしょう。
「コンピューターが教師を代替してくれるようなソフトの方が、学校現場では使いやすいからです。コンピューターを思考と表現のツールとして使いこなすには、教師の専門性が高くないとダメですし、探究の方法をデザインできる能力も必要です」
「企業に開発を任せるだけでは、市場競争に流れますから、いいものはできません。文部科学省が大学に委託研究として開発予算を出せば、いいコンテンツとソフトが出てくると思います」
――そもそも日本は、学校現場におけるコンピューター活用が先進国の中では最低レベルですよね。
「一番大きな理由が、財源の少なさです。財源がなければコンピューターの導入もさることながら、教師への研修も満足に行えず、最低レベルになってしまう。日本のIT産業も世界に遅れているので、ここにお金を注ぎこもうというのが、コロナ禍で起きたことです」
――そういう状況で、1人1台を進めても効果的に使えるのか……。
「日本の教育委員会や教師は、まじめでしっかりしています。10万円の予算をつけたら、30万円ぐらいの働きをしてくれる。だからきちんと態勢をつくれば、相応のことをしてくれます」
「ただ、文部科学省も、『EdTech(エドテック)』を進める経済産業省も、現場からは信頼されていません。今後は信頼を得られるような、真っ当なICT教育の方向性を示すことが必要です。でも文科省が1人1台の方針を示したGIGAスクール構想のペーパーを読む限り、『個別最適化』にしてもデジタル教科書にしても、昔の授業のスタイルにとらわれています。20~30年前のコンピューター教育ですよ」
――今の流れでICT教育が進んだ場合、子どもたちの学力はどうなるのかと心配です。
「僕は思いきって、子どもたちに自由に使わせる場を設定してあげるのがいいと思います。ある学校では、昨年9月に子どもたちにタブレット端末を配布しました。1カ月後に見にいくと、みな、簡単な動画をつくるなど上手に使っているのでびっくりしました。担任の先生に『使い方を教えたの?』と聞くと『いやいや、子どもたちは自由に教え合っている。みんな、僕を抜きました』と。コンピューターを教える道具として使うのではなく、子どもたちが文房具の一つぐらいになじむようになれば、ICT教育はうまくいくと思います」(聞き手・岡崎明子)
さとう・まなぶ 1951年広島県生まれ。専門は学校教育学。日本学術会議第一部(人文社会科学)元部長や日本教育学会元会長などを歴任する。全米教育アカデミー会員。国内外の学校を訪問し、学びの共同体の学校改革の研究と実践してきた。
聞き手・岡崎明子
朝日新聞2021年5月27日 16時00分
https://digital.asahi.com/articles/ASP5T3FC0P5TULBJ003.html
この春、全国のほとんどの小中学校に「1人1台」分のデジタル端末が配られた。実は、日本の子どもが授業でコンピューターを使う時間は、先進国の中で最低レベルだ。一方で、学校での使用時間が長いほど、成績が下がるという報告もある。「ICT(情報通信技術)教育」は、本当にいいことなのか。「第四次産業革命と教育の未来」を出版した東大名誉教授の佐藤学さんに聞いた。
――我が家の小学生の子どもにもiPadが配られましたが、学校での使い方を聞くと、鉛筆で書けばいいことをキーボードで入力したり、知育ゲームのようなアプリだったり。本当に必要なのかと思ってしまいます。
「実は、ICT教育によって学力が上がるという研究結果はほとんどありません。IT企業が宣伝用に使っている小規模な調査データはありますが、『未来の教育はICTだ』というイメージが先行しているのが現状です。一番信頼できるデータは、国際学習到達度調査(PISA)の調査委員会が2015年にまとめた報告書です」
読解力も数学の点数も下がっていた
――どんな内容ですか。
「学校でパソコンを全く使わないよりは、適度に使った生徒の方が成績はいいのですが、使う時間が長くなればなるほど読解力も数学の学力の点数も下がっています=グラフ。コンピューター上で答える形式のテストを受けていても、紙のテストを受けていても、同じ傾向です」
――なぜでしょう。
「PISAテストを中心的に担ってきたOECD(経済協力開発機構)のアンドレアス・シュライヒャー教育・スキル局長は、コンピューターは情報や知識の獲得や、浅い理解には有効だが、その知識や情報を活用する深い思考や探究的な学びにはつながらないと解釈しています」
――一方で、2018年のPISAテストで日本の子どもの読解力の順位が8位から15位に落ちた際は、「デジタルの情報を読む力が不足しているからだ」と指摘されました。
「それは、根拠がない指摘だと思います」
――では、日本の子どもの読解力が下がっているのですか。
「そもそも言語の異なる読解力を国際比較でテストすることは不可能に近いことです。英語の文章の翻訳の仕方ひとつで、成績はすごく変わってしまいます。それに、文化の違いもあります。単純な情報処理の能力ではなく、文化的な意味づけや価値づけが伴うと、点数に差がついてしまいます」
日本は今の順位をキープできるのか
――たまたま、18年の成績が低かったということですか。
「別の問題もあります。PISA調査が始まってこの20年間の一番大きな変化は、ヨーロッパにおける移民人口の急激な増加です。数%だったのが、10~20%を超えるようになりました。それでもトップレベルの集団に入っていることの方が驚異です。日本に日本語が話せない移民がそれだけ増えても、今の順位をキープできるでしょうか」
――そもそも、教育の分野において科学的根拠を出すことはできるのでしょうか。
「確かに教育の分野では、因果関係がはっきりしないデータがたくさんあり、効果を測るのは難しいと言えます。それに、あらゆる社会実験は、実験を『やること』そのものによってある程度の効果が出ます。人は新しいことを期待されると、結果を出そうと頑張るためで、『ホーソン効果』と呼ばれます」
――つまり、デジタル端末を学校現場に持ち込むだけでも、効果が出ると。
「はい。これまでコンピューターがなかったところに持ち込むわけですから、それだけで短期的な効果が出るはずです。ただ、半年、1年のスパンの短期効果があっても駄目で、3年、5年と継続する長期効果がみられないと、『効果』とは言えません」
「ICT教育によって学習の進度は上がるかもしれないし、定着度も上がるかもしれません。しかし、先生と子どもの情動的・社会的関係が崩れると、マイナス要因の方が大きくなってしまう可能性もあります」
――では、佐藤さんはICT教育に反対なのですか。
「そうではありません。ICT教育はコンピューターの機能の問題というより、むしろ使い方と使われているソフトの問題が大きいというのが僕の解釈です」
――どういうことでしょう。
「コンピューターの活用には二つの流れがあります。一つは、行動心理学者のバラス・スキナーがティーチングマシンで提唱した、刺激と反応によりすべての学習がコントロールできるという考え方です。AかBかを選び、正解すると次の問題に進むというプログラム学習です。今の日本のICT教育の多くがこのモデルですが、この方法は学習心理学としては古い方式で、短期記憶しか残りません」
「もう一つは、コンピューター科学者のアラン・ケイや、MITメディアラボが提唱するような、子どもたちが自発的に知識を構成したり、活用して思考したり表現することを促すソフトです。知識を教えるのではなく、思考と表現のツールとしてコンピューターを活用する方法ですが、残念ながら市場に普及しにくいのが現実です」
企業だけにソフト開発を任せてはダメ
――後者の方がこれから求められる能力だと思いますが、なぜでしょう。
「コンピューターが教師を代替してくれるようなソフトの方が、学校現場では使いやすいからです。コンピューターを思考と表現のツールとして使いこなすには、教師の専門性が高くないとダメですし、探究の方法をデザインできる能力も必要です」
「企業に開発を任せるだけでは、市場競争に流れますから、いいものはできません。文部科学省が大学に委託研究として開発予算を出せば、いいコンテンツとソフトが出てくると思います」
――そもそも日本は、学校現場におけるコンピューター活用が先進国の中では最低レベルですよね。
「一番大きな理由が、財源の少なさです。財源がなければコンピューターの導入もさることながら、教師への研修も満足に行えず、最低レベルになってしまう。日本のIT産業も世界に遅れているので、ここにお金を注ぎこもうというのが、コロナ禍で起きたことです」
――そういう状況で、1人1台を進めても効果的に使えるのか……。
「日本の教育委員会や教師は、まじめでしっかりしています。10万円の予算をつけたら、30万円ぐらいの働きをしてくれる。だからきちんと態勢をつくれば、相応のことをしてくれます」
「ただ、文部科学省も、『EdTech(エドテック)』を進める経済産業省も、現場からは信頼されていません。今後は信頼を得られるような、真っ当なICT教育の方向性を示すことが必要です。でも文科省が1人1台の方針を示したGIGAスクール構想のペーパーを読む限り、『個別最適化』にしてもデジタル教科書にしても、昔の授業のスタイルにとらわれています。20~30年前のコンピューター教育ですよ」
――今の流れでICT教育が進んだ場合、子どもたちの学力はどうなるのかと心配です。
「僕は思いきって、子どもたちに自由に使わせる場を設定してあげるのがいいと思います。ある学校では、昨年9月に子どもたちにタブレット端末を配布しました。1カ月後に見にいくと、みな、簡単な動画をつくるなど上手に使っているのでびっくりしました。担任の先生に『使い方を教えたの?』と聞くと『いやいや、子どもたちは自由に教え合っている。みんな、僕を抜きました』と。コンピューターを教える道具として使うのではなく、子どもたちが文房具の一つぐらいになじむようになれば、ICT教育はうまくいくと思います」(聞き手・岡崎明子)
さとう・まなぶ 1951年広島県生まれ。専門は学校教育学。日本学術会議第一部(人文社会科学)元部長や日本教育学会元会長などを歴任する。全米教育アカデミー会員。国内外の学校を訪問し、学びの共同体の学校改革の研究と実践してきた。