78回目の敗戦の日、朝のNHKから流れて来た「人類は、戦争から免れることができない」というメッセージから始まりました。
朝刊には、「新しい戦前」(2023.8.15毎日新聞余禄)、「(今の世相の)ザワザワした感じは、戦前日本が戦争を始めた当時とそっくり」(2023.8.15毎日新聞社説)、「七八年前の終戦の日から、日本はこの「伝言ゲーム」を懸命に続けているのだろう。…最初の言葉は「二度と戦争はごめんだ」だったはずだ。…伝言を正確に受け取りながら、どういうわけか「避けられぬ戦争もある」とねじ曲げてささやく人もいるらしい。」(2023.8.15東京新聞筆洗)、戦争を過去の話としてほおっておけない現状が述べられています。
私も、気を抜いていると、政治にブレーキが利かなくなり、戦争の方向に日本も向かっていくのではないかと不安を感じます。
できることは、きちんとデータを読み、動きを読んでいくこと。
水面下の動きを、見える化していかねば、なかなか動きは読めません。
おかしいことは、おかしいと言い続けること。
表現の自由(憲法第21条第1項)は、守り抜くこと。
そして、財源不足で、大学も大変ですが、学問の自由もまた。学問の自由(憲法第23条)こそ命だと、私は、最後の砦として、守り抜きたいです。
学問の自由が生きていれば、水面下の動きは、いくら水面下でも察知してくれるはず。
学問の自由が死んでいれば、御用学者が、容易く世論を誘導していくこととなる。
世界の人と、地道に、個人的な友人としてのネットワークを広げていくこと。
国の命令で、友人同士でも銃を向け合う結末もあるのだけど、国同士の戦争と、個人の友情は別問題。小川未明が童話『野ばら』の中で、哀しく描いているのに、この5月にたまたま遭遇しました。https://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/bff6b2b8dd5e685432e88b25e1a9fb28
今年の広島、長崎両平和宣言にありますように、平和文化を世界中のひとと友人となり、ぜひ、紡いで参りましょう。
小児科医として、そして、完全無所属の区議として、一番の環境破壊であり、一番の虐待である戦争が、この国で起きないよう、微力ながら、全力を尽くして参る所存です。
それぞれが、それぞれの矜持を持って進むのみ。
追記:
●裁判官の矜持 樋口英明氏
「矜持」と思っていたら、偶然、敗戦の日と書いた友人のフェースブックから、裁判官の矜持を発見したので、引用します。
https://www.facebook.com/nakasuji.jun/posts/pfbid0UXxuDRh9hD3ghmj5NvnuMXgNgfPFkZgF6tf3CYqE8FCzuZo6p5iBLxgSpbgp9STwl
樋口英明さんの判決文:
●通産官僚の矜持 佐橋滋氏
●日本国憲法
〔集会、結社及び表現の自由と通信秘密の保護〕
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
〔学問の自由〕
第二十三条 学問の自由は、これを保障する。
*****2023.8.15朝日新聞*******
私も知覧を訪れたとき、感じました。教育もどうか、委縮しないでください。言うべきことは、言って行って下さい。
また、検閲も、許さないでいきましょう(憲法第21条第2項)。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15716803.html
********朝日新聞2023.3.30********
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15596217.html
折々のことば:2688 鷲田清一
二人は、敵、味方の間柄になったのです。それがいかにも、不思議なことに思われました。
(小川未明)
◇
都から遠く離れた国境に両国から派遣された老人と青年。春の朝、一株の野ばらに集まる蜜蜂の羽音で目覚める二人は、いつしか将棋を楽しむ仲に。ある日戦争が始まり、老人に私を殺せと言われた青年は、私の敵はほかにいると言い残して戦地へ赴くも惨敗。兵士は皆殺しだったと伝え聞いた老人は、野ばらも枯れた後、暇(いとま)乞いし、郷里に帰ったという。童話「野ばら」から。
*******全国戦没者追悼式 天皇陛下お言葉(翌日の東京新聞から引用)********
********広島平和宣言 2023.8.6(翌日の東京新聞から引用)********
********長崎平和宣言 2023.8.9(翌日の東京新聞から引用)********
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