『障害者の立場から「共生社会」を考える』は、
人権21・調査と研究2018年12月号から2019年2月号、4月号と連載されました。
感銘を受けました。
皆様に内容をお伝えしたいのですが、引用というカタチならば出版社にも許していただけると考えました。
まず、
はじめに からです。
ーーーーーーーーーーーーー
2006年に国際連合総会にて採択された「障害者の権利に関する条約(障害者権利条約)」のため、
国内法の見直しが進められました。
そして、2016年4月より「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(障害者差別解消法)」が施行されました。
岩清水は「差別の解消の推進」という法律名もどうかと思います。
とにかく障害に関わらず教育を受ける権利・社会参加す権利が認められました。
しかし実態はどうかな?
と山口さんは問います。
「どんな事情を抱えた人もすべてが、自分らしく社会参加していく真の共生社会を確立するために何が必要と考えているのか、
をお伝えしていきたいと思います」。
自己紹介:
1.山口さんの目の疾患は、「網膜色素変性症」です。
「見えている範囲が半分程度、暗いところが見えない」と「人とは違う目」を持った自覚は、
寂しさや悲しみという感情だけでなく、「私に強がり、頑なさ植え付けました」
「学校は、高校、大学と普通の健常な人と同じ道を歩いていきました」
「でも、私は周りに視覚障害を素直に伝えられず、何とかごまかそうと努力をしていました」
そして、
「視覚障害の事実をごまかすことに固執していた私は、他者に対してとても厳しかったと思います。」と。
2.かけがえのない友人と出会えた大学時代
「友人が私の世界をひろげてくれました」
映画館では、「館内の薄暗さで歩みの突然遅くなる私にあわせてゆっくりとなりを歩いてくれたり、
コンサートやライブが終わった人ごみの中、私がはぐれて困らないようにさりげなく
腕を組んでくれたりと自然な配慮をしてくれ」たことが、どんなに有難かったと書かれています。
そして、「私が頼られる場面もありました」。
それは、情報の確かさだそうだったそうです。
大学時代は「楽しい思い出がたくさん詰まった素晴らしい心の中の宝物のような気がします」
※私事ですが、伴走ボランティアをさせていただいていると、視覚障がいをお持ちの方の情報の確かさに
いつも感心させられています。聴覚による情報入力のレベルが私とはまったく違います。
私の耳が難聴レベルということもありますが(-_-;)
3.20~30歳代の人生観
その頃の山口さんの人生観とは、「太く短く、長生きなんでできなくて本望」と考えていたそうです。
「実験の好きな私は、目が見えるうちに実験や研究をして、見えなくなったら人生は終わりでいい」と願っていたそうです。
「視力がなくなる時がわかればいいのに、そうしたらその時をゴールに人生設計ができるのに、
未来を予測できないことを何度恨めしく思ったわかりません」
今日はここまでです。
4.学生から社会人に… 就職、そして退職
5、人生の転機…博士課程への進学、そして現職へ
お読みいただき有難うございました。