仕事の帰りに市立博物館へちょっと立ち寄り。
博物館はこの4月に新しい館長さんを迎えて、ツイッターでも情報発信中(@kushiro_museum)。持っている情報資産をツイッターで的確に伝えてほしいものです。
※ ※ ※ ※ ※
さて、今日博物館に立ち寄ったのは地震に関する展示や情報がないかと思ったもの。市民の情報の宝箱として、地震に関してもいろいろと教えてもらえるでしょうか。
私が知りたかったのは「最近の津波報道で『釧路では500年に一度津波が押し寄せているという情報があちこちから聞こえてくるのですが、土壌のボーリングサンプルなどからそんな津波の地層が分かったり、どんな津波だったかが分かるような展示はありませんでしたか?」というもの。
すると学芸員のお一人が「残念ながら今の展示物の中にはそういうものはありません。しかし道東沿岸の津波に関してはここ何年にもわたっていろいろな学者さんがこの地域の津波の痕跡を調査研究して発表されていますので、論文の情報をちょっと当たってみましょう」とのこと。
待つこと10分。
「とりあえずこんな調査レポートがありました」と渡されたのは、「春採湖で採取されたボーリング結果から、ここでは過去9000年に20回の津波が来ている事が分かった」という七山太先生外による論文の写しでした。
【七山先生の論文】
「9000年に20回も!」単純に割っても約450年周期で春採湖には津波が襲来しているというのです。釧路の津波500年周期説はどうやらここから来ていたようです。
※ ※ ※ ※ ※
春採湖と言うのは今から約2000年前に海の水位が下がる海退とそれにともなって湾口で砂が堆積したことなどによってできた海跡湖と言われています。
面積は約0.36平方キロメートルで、平均湖面標高は0.26m。湖面はほとんど海の高さと同じで津波の被害を受けやすい立地条件です。
【過去の津波震源地マップ】
七山先生のこの論文では、冬期に凍った春採湖から湖底に堆積したものを8本もボーリングして取り出します。ボーリングサンプルコアは短いもので深さ3.9m、最も長いものは深さが12.6mに及びます。
【春採湖でのボーリング箇所。津波が大きいほど奥で堆積物が見つかるのです】
そしてこのサンプルコアの中から津波に起因すると思われる堆積物の痕跡を探しだすのですが、地層の中には既に歴史上いつ起きたかが分かっている『広域テフラ』と呼ばれる火山噴火による降灰が見つかります。
このときのサンプルコアには、1856年の駒ケ岳噴火、1739年の樽前山噴火、1694年の駒ケ岳噴火そして1667年の樽前山噴火のものが比較的上の方、つまり歴史的に新しい堆積物として存在することが分かりました。
またもっと古いものでは約2000年前の樽前山噴火のものがあったり、最も深くて古いものでは7400年前の駒ケ岳噴火による降灰も確認されました。それにしてもよくわかるものだなあ、と感心してしまいます。
【津波堆積物の年代を調べる】
さて、春採湖の湖底のボーリングサンプルコアの中にはこうした広範囲に広く降り注ぐ降灰に挟まれて、津波によると思われる貝化石や植物片を含んだ小石・砂・泥などからなる10センチ~30センチ、大きなものでは50センチにもわたる層が見つかりました。
これらの津波イベント堆積物は中に含まれる材料を炭素14という年代測定調査を行い、また年代の分かっている広域テフラの前後性とを総合して、過去のいつ頃のものかを検討して行きます。
その結果は、過去9000年の間に20層の津波イベント堆積物を認めることができた、というもの。つまり過去9000年の間に春採湖の中にまで海由来の泥や珪藻類を運ぶような津波が20回も来ているというのです。
【20層の津波イベント堆積物】
なるほどー、釧路には津波が確かに来ているんですね。もっとも、それぞれに津波の規模には大きなものから小規模なものまでばらつきもあります。
江戸時代以降の近世であれば様々な文献や記録があるので、それらと重ね合わせてみることができますが、一番近い津波と考えられるのはTs2と呼ばれる堆積物が1843年4月25日(旧暦では天保14年3月26日)の北海道東方沖地震(津波マグニチュードMt8.0)のもののよう。
しかしこのときはあまり規模が大きくなくて、そのひとつ前のTs3とTs4呼ばれる堆積物の方が湖の奥まで運ばれていて大量だったこと、つまりこれは大津波であったことの証拠のように思えます。
この当時の歴史に残る地震としては1611年12月2日(旧暦では慶長16年10月28日)の三陸地震津波(Mt8.2)が考えられます。
まとめると、この研究調査の結果としては、
①過去9000年の間に春採湖には20回の津波痕跡を確認できたこと。
②これらの津波のうち、太平洋プレートが沈み込むことで起きるプレート間地震ではほぼ100年に一度くらいの津波が起きているがこれの規模は比較的小さい。
③津波の中には大津波と思われる痕跡もあり、これは400~500年間隔で起きており一番近いところでは1611年の地震がそれと考えられ、過去400年起きていないと思われること、…などがあげられます。
改めてこの地域の地震特性を知ったうえで、様々な防災計画や避難計画を立てる必要がありそうです。
とりあえず釧路の津波の「500年に一度」と言われる根拠については分かりました。博物館って案外頼りになるものです。
もっと上手に情報が発信できるとなおよいのですが。
【論文の現物を読んでみたい方はこちら】
「釧路市春採湖コア中に認められる,千島海溝沿岸域における
過去9000 年間に生じた20 層の津波イベント堆積物」
http://bit.ly/gujJRj
博物館はこの4月に新しい館長さんを迎えて、ツイッターでも情報発信中(@kushiro_museum)。持っている情報資産をツイッターで的確に伝えてほしいものです。
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さて、今日博物館に立ち寄ったのは地震に関する展示や情報がないかと思ったもの。市民の情報の宝箱として、地震に関してもいろいろと教えてもらえるでしょうか。
私が知りたかったのは「最近の津波報道で『釧路では500年に一度津波が押し寄せているという情報があちこちから聞こえてくるのですが、土壌のボーリングサンプルなどからそんな津波の地層が分かったり、どんな津波だったかが分かるような展示はありませんでしたか?」というもの。
すると学芸員のお一人が「残念ながら今の展示物の中にはそういうものはありません。しかし道東沿岸の津波に関してはここ何年にもわたっていろいろな学者さんがこの地域の津波の痕跡を調査研究して発表されていますので、論文の情報をちょっと当たってみましょう」とのこと。
待つこと10分。
「とりあえずこんな調査レポートがありました」と渡されたのは、「春採湖で採取されたボーリング結果から、ここでは過去9000年に20回の津波が来ている事が分かった」という七山太先生外による論文の写しでした。
【七山先生の論文】
「9000年に20回も!」単純に割っても約450年周期で春採湖には津波が襲来しているというのです。釧路の津波500年周期説はどうやらここから来ていたようです。
※ ※ ※ ※ ※
春採湖と言うのは今から約2000年前に海の水位が下がる海退とそれにともなって湾口で砂が堆積したことなどによってできた海跡湖と言われています。
面積は約0.36平方キロメートルで、平均湖面標高は0.26m。湖面はほとんど海の高さと同じで津波の被害を受けやすい立地条件です。
【過去の津波震源地マップ】
七山先生のこの論文では、冬期に凍った春採湖から湖底に堆積したものを8本もボーリングして取り出します。ボーリングサンプルコアは短いもので深さ3.9m、最も長いものは深さが12.6mに及びます。
【春採湖でのボーリング箇所。津波が大きいほど奥で堆積物が見つかるのです】
そしてこのサンプルコアの中から津波に起因すると思われる堆積物の痕跡を探しだすのですが、地層の中には既に歴史上いつ起きたかが分かっている『広域テフラ』と呼ばれる火山噴火による降灰が見つかります。
このときのサンプルコアには、1856年の駒ケ岳噴火、1739年の樽前山噴火、1694年の駒ケ岳噴火そして1667年の樽前山噴火のものが比較的上の方、つまり歴史的に新しい堆積物として存在することが分かりました。
またもっと古いものでは約2000年前の樽前山噴火のものがあったり、最も深くて古いものでは7400年前の駒ケ岳噴火による降灰も確認されました。それにしてもよくわかるものだなあ、と感心してしまいます。
【津波堆積物の年代を調べる】
さて、春採湖の湖底のボーリングサンプルコアの中にはこうした広範囲に広く降り注ぐ降灰に挟まれて、津波によると思われる貝化石や植物片を含んだ小石・砂・泥などからなる10センチ~30センチ、大きなものでは50センチにもわたる層が見つかりました。
これらの津波イベント堆積物は中に含まれる材料を炭素14という年代測定調査を行い、また年代の分かっている広域テフラの前後性とを総合して、過去のいつ頃のものかを検討して行きます。
その結果は、過去9000年の間に20層の津波イベント堆積物を認めることができた、というもの。つまり過去9000年の間に春採湖の中にまで海由来の泥や珪藻類を運ぶような津波が20回も来ているというのです。
【20層の津波イベント堆積物】
なるほどー、釧路には津波が確かに来ているんですね。もっとも、それぞれに津波の規模には大きなものから小規模なものまでばらつきもあります。
江戸時代以降の近世であれば様々な文献や記録があるので、それらと重ね合わせてみることができますが、一番近い津波と考えられるのはTs2と呼ばれる堆積物が1843年4月25日(旧暦では天保14年3月26日)の北海道東方沖地震(津波マグニチュードMt8.0)のもののよう。
しかしこのときはあまり規模が大きくなくて、そのひとつ前のTs3とTs4呼ばれる堆積物の方が湖の奥まで運ばれていて大量だったこと、つまりこれは大津波であったことの証拠のように思えます。
この当時の歴史に残る地震としては1611年12月2日(旧暦では慶長16年10月28日)の三陸地震津波(Mt8.2)が考えられます。
まとめると、この研究調査の結果としては、
①過去9000年の間に春採湖には20回の津波痕跡を確認できたこと。
②これらの津波のうち、太平洋プレートが沈み込むことで起きるプレート間地震ではほぼ100年に一度くらいの津波が起きているがこれの規模は比較的小さい。
③津波の中には大津波と思われる痕跡もあり、これは400~500年間隔で起きており一番近いところでは1611年の地震がそれと考えられ、過去400年起きていないと思われること、…などがあげられます。
改めてこの地域の地震特性を知ったうえで、様々な防災計画や避難計画を立てる必要がありそうです。
とりあえず釧路の津波の「500年に一度」と言われる根拠については分かりました。博物館って案外頼りになるものです。
もっと上手に情報が発信できるとなおよいのですが。
【論文の現物を読んでみたい方はこちら】
「釧路市春採湖コア中に認められる,千島海溝沿岸域における
過去9000 年間に生じた20 層の津波イベント堆積物」
http://bit.ly/gujJRj