北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

そ、その単語が思い浮かばない

2018-01-05 23:56:59 | Weblog

 

 歳のせいか、ちょっとした単語が思い出せずにウンウン苦しむことが増えました。

 今日は、「何かを探しているときに、偶然違う別なもっと価値のあるものに巡り合う」ということを何と言ったっけ(?)と思い出せずに苦しみました。

 よくノーベル賞クラスの発見も、実はちょっとしたミスから発見されるなどと言ったことがよくあるもので、フレミングがブドウ球菌の培養中に混ざり込んだアオカビからペニシリンを発見したような、偶然がよくその代表として使われた記憶があります。

(確か、インドかどこかの神話の中に出てくる話じゃなかったっけ)と思い、「偶然 インド 神話」などと検索をかけても出てきません。

 こういうときに役立つのが、自分のブログです。

 確か過去に、これにまつわる話を書いた記憶があります。そこで、自分のブログの中を「偶然」というキーワードで検索してみました。

 すると「偶然」という単語を含んだブログ記事が20本以上出てきました。
 一本一本を、(なるほど、なるほど)と読み返してみて、(おー、こんな記事を書いたなあ)などと感慨にふけることしばし。

 ところが肝心の、求める単語が出てきません。

 うーん、確かにその単語の出てくる記事を書いたことがあるはずなのにどうして出てこない?検索のキーワードが悪いのかな。


          ◆ 

 諦めてブログを閉じ、ちょっとした原稿を書き始めて数分、「あっ」とその単語を思い出しました。

 「セレンディピティ」です。

 この単語は、イギリスの政治家にして小説家であるホレス・ウォルポールという人が1754年に生み出した造語であり、彼が子供のときに読んだ『セレンディップの3人の王子(The Three Princes of Serendip)』という童話にちなんで作られたものです。

 この童話では、3人の王子たちは旅をしながら、いつも意外な出来事と遭遇し、彼らの聡明さによって、彼らがもともと探していなかった何かを発見するというのです。 

 もちろん、ノーベル賞クラスの偶然的発見ともなると、考えに考え、悩みに悩んだ末に現れる偶然を自分のことに照らし合わせて考えられる洞察力があってこそ、でしょうけれど、自分に照らしてみても、求めていないところから思いもかけず何かが得られるという事はときどきあるのではないでしょうか。


          ◆ 


 なんとか求める単語が思い出せたのは良かったのですが、この単語を自分のブログの中で探しているうちに、書きかけの原稿にとってとてもよいヒントとなるネタが見つかりました。

 内心、(これもセレンディピティか!)と思って可笑しくなりました。

 青い鳥は気が付かないだけで、すぐそばにいるのかもしれません。

 

コメント
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