北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

移民について欧州の失敗を考える ~ 「西洋の自死」を読んで(長文です)

2018-12-27 22:23:32 | 本の感想

 

 もう20年以上も前のことですが、一度ドイツの観光街道を一週間ほど視察する機会に恵まれました。

 ドイツには、ロマンチック街道、メルヘン街道、ファンタスティック街道など、沿道の町々を結びつけて特定のテーマに従って史跡、遺蹟、風光明媚な風景などを結んだルートに名前を付けることで、ルート観光の付加価値を付ける取組行っていて、それを視察しに行ったのです。

 その際に、日本人ながら現地のドイツ人と結婚してドイツに暮らしている女性に通訳をお願いして、我が視察団に一週間にわたって帯同して頂いたのですが、そのときに「スーパーには、ドイツの国内産牛肉と輸入の安い肉が売られていますが、私たちは安全で安心できる国内産牛肉しか食べません」という話を聞きました。

「では安い肉は誰が買うんですか?」
「それは移民でやって来たトルコ人が買うんです。彼らは収入が少ないですから、安い肉しか買えないんです」

 今でもなぜか、その会話だけははっきり覚えていて、(ドイツには収入の低いトルコからの移民が大勢いるんだな)と漠然と思ったものです。


     ◆


 今般、政府は入管難民法を改正して、外国人労働者を積極的に受け入れる方針を打ち出しました。

 この法律改正案では、新たな在留資格である「特定技能」の創設が柱です。

 従来は医師や弁護士ら「高度な専門人材」に限定してきた就労目的の在留資格を、介護や建設、宿泊、外食、農業、漁業などの14業種において、単純労働分野に拡大するというものです。

 まだ細かい運用方針は議論中のようですが、わが舗装業界が外国人労働者を受け入れるためには、建設分野に新たな在留資格の基準になる「舗装工」を作ることになりますが、その次には「舗装工」という労働者に期待される「技能」が何か、ということが問われることになります。

 こうした準備を一つ一つクリアしてゆく中で、外国人が日本の舗装道路を作ってくれる日がいつか来るのでしょうか。


     ◆


 外国人の受け入れに関しては、国会でも「移民ではないのか?」「移民ではありません」というやり取りがありました。

 日本が外国人をより多く受け入れるとして、それは「難民」を無制限に受け入れるという事ではなく、互いの了解に基づいて、一定のルールと数のコントロールを行う人たちが日本に来て暮らすという事になります。

 そのためには、日本で暮らす外国人の人たちが、我が国社会と相互に適切に幸せを享受できるような制度とコントロールとそのしっかりした運用が必要になってくるでしょう。


 さて、日本の場合は、数も限られ、受け入れに対して事前の準備もするといった意味で、移民ではない、というところから外国人労働者の受け入れをスタートさせますが、こと『移民の受け入れ』ということに関しては、「欧州は完全に失敗し、今や自死の過程にある」と書いた「西洋の自死~移民・アイデンティティ・イスラム」(ダグラス・マレー著)という本が話題になっています。

 移民を受け入れるという事に関して、一体ヨーロッパの何が失敗だったのかを知るためにさっそくこの本を読んでみました。

 この本によると、実はヨーロッパの問題はここ数年のことなどではありません。

 冒頭のエピソードにもあるように、第二次世界大戦後にヨーロッパの多くの国で、外国人労働者の入国を許し、後にはそれを奨励してきました。

 その理由の一つは、始めは特に工業セクターでの未熟練工の人手不足から労働力を補うためという事だったのですが、もう一方の側面は植民地時代の罪悪感を抱き、それを、欧州的な”寛容の心”や”人権”などの道徳的な理由や、”多様性は善である”といった歴史からの教訓を前面に出す形での正当化でした。

 結果として、ほとんど国民的な議論のないままに、大量の移民が欧州になだれ込んでくることになったのです。

【ドイツにおける移民事情】
 移民の規模をネットで検索してみると、住友商事グローバルリサーチが提供するサイトに、『ドイツで増大する移民と経済への影響』というレポートがありました。

 これによると「ドイツ連邦統計局の人口統計(2016)によると、現在、ドイツに居住する外国人は約896万人で全人口8,243万人の約11%を占め、ドイツの外国人比率は他の欧州主要国と比較して最も高い。
 英仏では旧植民地から多くの移民が流入しているのに対し、ドイツでは高度経済成長期の労働力として1950年代からトルコ、イタリア、ポルトガルなどから流入した。当時これらの人々は一時的な滞在を前提としていたが、その後ドイツに家族を呼び寄せ定住し、ドイツで生まれ育った2世、3世が増え続けた。
 現在、こうした移民の背景を持つドイツ人を合わせると全人口の約23%に達している」とありました。

 また、「そもそも飲食・宿泊サービスなどのサービス業や建設業などは賃金が安く、ドイツ人求職者の求める水準に達していないため、低賃金で仕事を請け負う移民を雇用せざるを得ない。しかし同時に、こうした労働集約型産業で多くの移民が低賃金で就労することにより、企業の労働生産性だけでなく、産業全体の労働生産性の向上にもつながっている」とも。(2017年11月28日 住友商事グローバルリサーチ 伊佐 紫)
  ※ https://www.scgr.co.jp/report/survey/2017112829422/

 

【イギリスにおける移民事情】
 もう一つ、今EU脱退問題で揺れるイギリスの移民事情も見てみましょう。

 イギリスの情報には、"EIKOKU GO"というサイトがあり、ここに、「イギリスの入国問題」という記事がありました。 https://japanesewriterinuk.com/article/nationality.html 

 記事では、「第二次世界大戦後の1945~1997年の間、イギリスへの移民の年間水準は毎年約3万人(ネット)でした。
 これは選挙で労働党が勝利し、1997年に政権に就いた時に大きく変化しています。
 労働党の政策は移民の水準を上げることであり、2000年代初期に東ヨーロッパから移民制限を緩和することも決定されました。
 労働党はこれにより、移民が毎年約1万3000人ずつ増えていくと予測していました。
 しかし移民者数は劇的に増加しました。 2015年には移民が年間約332,000人まで増えたのです」

 しかも、イギリス国民は、この数字には嘘があると疑っているとも言われます。

 それは、「イギリスで働くために必要となる国民保険(National Insurance)を申請しているイギリス国民以外人数が2015年には約655,000人のEU国民が国民保険の申請をしている」という事実があって、この国家統計の数字と大きなかい離があることが分かったからです。

 なので、イギリス国民は、政府が元々の英国民の不安と不満を一向に受け入れずに、移民拡大政策を取り続けていることに反発しています。

 イギリスが国民投票の末に、EU離脱を決めたその背景には、こうした政府の移民政策への反発が充満していたことは想像に難くありません。


     ◆


 本の内容に戻りましょう。

 こうした安い労働力の供給という、経済的なメリットを感じながらも、欧州の一般大衆は不安と不満を感じています。

 移民を大量に受け入れ続けてきた結果起こったことは、欧州の文化やアイデンティティに同化せず、自国の言葉で話し、独自の習俗で暮らす人々による並行社会が存在するようになったことでした。

 特にセンシティブな問題は、イスラム教の人たちの問題でした。

 はじめは労働力を補うために始まった移民でしたが、2011年代以降の「アラブの春」と呼ばれる中東や北アフリカでの民主化運動の後にその様相が変わりました。

 中東の国々の民主化に、西側勢力が勝利に酔った一瞬の後には、メルトダウンとも呼ばれるくらいの内線、テロ、独裁の再燃が始まり、大量の難民の発生と、イスラム過激派、そしてそれらに伴う憎悪、民族間紛争、不寛容、暴力の大量発生と拡散でした。

 欧州ではイスラムの人々同士の争いや暴力も頻発し始め、それが自国民へのテロなどの脅威が増すことへの不安は日々高まる一方です。

 しかし、移民受け入れが絶対善である前提に立つ政府においては、移民に関する犯罪や争いなどのネガティブな情報は隠蔽され、そうした移民に対する否定的な声を発する健全な人たちは、「人種主義者」というレッテルを貼られ、言論は封殺され、社会的な地位を失うというおかしな方向にはまって行ったと言います。

 本の著者であるマレー氏はそれを「エリートと大衆の乖離」であり「欧州の失敗」と言っています。

 『欧州の失敗』とは、移民を「永住せず、いつかいなくなるもの」と漠然と思ったことであり、また今いる移民に対して「同じ国の中で移民たちが居住国の相容れない種族や法の下で暮らすことを国家規模で奨励したこと」であり、「同一の法の支配や一定の社会規範が全員に適用される、ポスト多文化主義を目指しながらもそれを実現できなかったこと」であると著者は喝破します。

 ドイツのメルケル首相は移民政策に寛容な立場を取り続けてきましたが、自らの政党が選挙で敗北したことを受けて、ついに「多文化社会を築き、隣り合わせに暮らし、互いの文化を享受するというアプローチは完全に失敗した。だからこそ重要なことは同化なのです」と失敗を認めました。

 しかし今さらそれを認めたところでどうなるでしょう。

 出生率の低い元欧州人は、イギリスでもドイツでも減少する一方で、それに対して出生率の高い移民たちは増える一方で、あと数十年のうちに欧州人は数の上でも移民よりも少数の民族になってゆくと人口学者は唱えていて、そしてそれはこの不確定な世界においてもほぼ確実な未来に見えます。

 難民を受け入れるのではない日本と事情は大きく異なりますが、著者のマレー氏は、こと難民の問題に対しては、「欧州の政治家たちももっと上手にやれたはずだった」と指摘しています。

 一つには、難民を受け入れるに際しては、ひとつには自国に無制限に入れてしまうのではなく、難民が発生したその近くに留まれるような国際政治を行うべきだったという事。

 二つ目には、難民申請の処理を自国に受け入れてから行うのではなく、そもそも欧州の域外で行うべきだった、という事です。 

 ただ、それらが行われたとしても、欧州はもう変わってしまう過程の中にいます。

 「移民は国の性格を変えてしまう。私たちはこの国の性格を変えたくない」と叫ぶごく普通の国民たちの思いを、各国の政治は一体どのようにくみ取ることができるでしょうか。

 あまりにも歴史と規模の異なる事例ではありますが、先行して、そして今自国のアイデンティティを侵食されそうになっている欧州を目にして、私たちも心して外国人を受け入れるための心構えを持たなくてはならないと強く感じます。

 外国人労働者に対しては、労働力の期待だけではなく、一方で異文化の人たちが来ることへの恐怖だけでもない、現実的な対応が社会として求められるという事です。

 そして受け入れに際してのキーワードは、やはりメルケルの言うような、『同化してもらうこと』ではないかと思います。

 新たな来訪者にとって、日本語を話し、日本の食べ物を好み、日本の文化を楽しみ、嘘をつかず誠実を価値あるものとする日本の国柄に浸り、働きながらも日本という国の性格を味わうことが喜びと幸せに結びつくような橋渡しを行う事です。

 単なるネガティブな反対論や、寛容の心や、もしかしたらアジアや世界に対する贖罪の念を起させるような議論に惑わされずに、我が国のあり様のなかで、来る人と受け入れる人とのwin-winをどう実現できるか。

 「西洋の自死」は、オピニオンリーダーや国の政治家だけではなく、我が地域の暮らしが変わりかねない、地方自治体の首長にとって必読の書だと思います。

 地方の政治も大いに問われる時代になることでしょう。

 以上、本のレビューでした。長文失礼。

 

 

 

 

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