久坂部羊(くさかべ・よう)著「人はどう老いるのか」(講談社現代新書)を読みました。
著者の久坂部さんは麻酔科医、外科医として活躍された後に外務医務官として外国に長く赴任、帰国後は医療の最前線での活動を諦めて高齢者医療に携わりつつ小説家としても活躍されている方です。
長く高齢者の生き方に寄り添った経験を基に、文筆家として現代の高齢化社会に対して警鐘を鳴らすのがこの本です。
著者の主張は本の帯にある通り、
・老いの現実を知るべし
・医療への幻想を捨てるべし
・健康情報に踊らされないこと
・あきらめが幸せを生むと知るべし、と言うことに尽きます。
「そんなことは知っている」と言う人がいますが、知識としてそのことを知っていても次第に老いが進む中で心構えとしてそれが身につけないと「不幸な老人になりますよ」と久坂部さんは言います。
大体が老いて不幸になる老人は「事前の準備が足りない」のだと。
長生きということはどんどん老いが進んでゆく日々を過ごすことであり、老いが進むことで体には筋肉、内臓、記憶、思考などに様々な不具合が生じます。
それを「まあこの歳なんでそんなものでしょう」と老いの現象と付き合える人は"幸せな老人"で、「こんなはずではない、まだまだ自分は若さを取り戻せる」と現状に甘んじることができず抵抗する人ほど"不幸な老人"なのです。
もちろん人には個人差がありますから、歳を取るにしたがって見た目にも運動能力にも健康の度合いにも差が出てきます。
しかしいつまでも若々しい人を見て、「自分も努力やお金をかけて食事やサプリや薬を飲めばそうなれるはず」という理想を追い求めすぎることにはどうしたって無理がある、と。
老いとともに生じる病気や不具合も医療がなんとかしてくれるはずだ、というのも幻想だと著者は言います。
それらを称して著者は「下手に老いて苦労している人は"油断"しているのだ」と断じます。
大切なことは老いるとどうなるか、ということを予習しておくことで、この先に起きることをあらかじめ知ったうえで、最悪にならなければ良し、最悪になっても「まあ今生の人生はこんなものか」という境地に達することが幸せへの道なのです。
◆
最近は朝早起きをするようになって、早朝にやっているラジオ番組を 聞きながら朝の用意や食事をして出かけるのですが、朝の番組にはもちろんやらないよりはやった方が良いような情報に交じって、「これを飲めば健康が続く、維持される(のではないか)」と思わせるような商品の情報がさりげなく散りばめられています。
歳を取ると案外お金を使わなくなるので、心の安寧を得るための出費と思えばそれもそうかもしれませんが、はたから冷静な目で見ると「そんなことにお金を使うんだ」と思うようなことも結構あるものです。
そう思わせるのが上手なビジネスだという側面もあって、他人を見て憂うよりは「せめて自分だけは冷静でいたいものだ」と思うようにしたいものです。
◆
著者は「老いたら欲望が不幸の元だ」と言います。
あるお年寄りが「もう終活で家の整理をしたいんだけれど、体力がなくてそれもままならない」と嘆く姿を見て、「それも欲望ですね」と言い、言われた相手が驚いた、という場面を描いていました。
欲望とは「健康を取り戻したい」とか「若々しくいたい」というようなものだけではなく、「家の整理をしたい」、「〇〇したい」ということも欲望なのだと。
全ての欲望を取り去ったお釈迦様の境地に至ることは凡夫たる我々には土台無理なことかもしれませんが、そこだけは「そうありたい」と願いたいものです。
◆
人が死期を迎えれば最後はもう静かに見守ってあげましょう、ということも著者は強調します。
死期を迎えつつある人に「ガンバレ」ほど意味のない言葉はありません。今さら頑張って死を先延ばしにすることは往々にして苦しみを長引かせるだけと言う現場を数多く経験している著者だから言えることでしょうが、その経験こそ、人生の予習の素材としたいものです。
高齢化が進む社会を生きるための教科書の一つになり得る本だと思います。