職場の企画で、千葉県内のニュータウン事業地区を視察してきました。
ニュータウンと言えば多摩ニュータウンを思い出しますが、要はそれまでは山林原野や農地が中心であった都市の郊外地区に、新しい住宅を中心とした市街地を作り上げるという壮大な事業です。
歴史的には19世紀末に、ロンドンの人口問題を解決するためにその郊外に人口数万人の小都市を建設するというプロジェクトがわき上がり、エベネザー・ハワードの田園都市構想などがその先駆けということになっています。
日本でも、○○ニュータウンという言い方で、人口が増大した高度経済成長時代に大都市周辺に新市街地として数多く形成されていますが、その多くにわが機構が大いに関わっているのです。

ニュータウンとなると上下水道や電気などのインフラはもちろん、その地域へ通勤や通学を保証する鉄道や高規格道路などの高速交通ネットワークも併せて整備をしなければならず、民間事業者が開発行為として単に分譲住宅用地を作って売るという以上の高度な地域計画が必要です。
それには市や県の地方自治体行政と国、インフラ事業者などとの調整が必要で、それにはやはり高度な技術力が必要で、それを担ってきたのがわが組織の前身であるわけです。思えば壮大な事業をしてきたものです。
※ ※ ※ ※
ところが時代の潮目が変わってみると、先発のニュータウンはある程度計画が進んだのに対して、後発のものは思うように需要が発生せず苦しい事業展開を迫られるようになりました。
とうとうわが機構が関わってきたニュータウン事業にも改革の手が入り、独立行政法人改革の名の下に、平成25年度をもってニュータウン事業は終わることとするというタイムリミットが設定されたのが昨年のこと。
いくつかの地区では計画を縮小したり、大きな見直しをしたりして今後の計画を練り直していますが、過去30年かけてやっと事業を動かしてきた大きなまちづくりをあと5年で止めろ、というのは相当な急ブレーキなのです。
地区内のインフラ整備にも年間3千万円くらいかけてゆっくり整備をしていたところが、もう間に合わないのでその数倍を投入しなくてはならないなど、予算や投入できる人数、整備スケジュールの調整など、短期間に終わらせるのは机の上で考えるほど簡単なことではありません。現場も必死で調整を進めているのでした。
※ ※ ※ ※
それにしても、鉄道まで引き、数キロごとに駅を計画し、その周辺の土地利用を定めて民間事業者を誘致して魅力を増した土地に憧れを生み出してきたのはさぞやりがいのあった仕事だったことでしょう。

こうした開発を支えたのは人口増加とそれにともなう経済の拡大でした。人口が減少局面を迎えたこれからは、単に増える人口の受け皿ではなくて、個別の地区の魅力による競争が始まることでしょう。
それにしても、人口減少時代を迎えて、コンパクト化したまちでなくてはもう都市経営が難しくなると言われる中で、既存のまちでは大幅な都市改造は地権者同士の利害調整が難しくてとてもできません。
真っ白なカンバスに理想の都市の絵を描くニュータウンのようなところであればそれを実現できるのに、という思いはやはり残ります。また、既存のニュータウンでも、そこに移り住んだ人が一斉に高齢化して『オールドタウン』と化すという皮肉な現象も出始めています。
自分にとっての理想の終の棲家とはどういう場所なのか、あるいはどういう状態なのかをまちづくりの問題としてもう一度考えてみるときなのでしょう。
幸せってどこにあるのでしょうね。
ニュータウンと言えば多摩ニュータウンを思い出しますが、要はそれまでは山林原野や農地が中心であった都市の郊外地区に、新しい住宅を中心とした市街地を作り上げるという壮大な事業です。
歴史的には19世紀末に、ロンドンの人口問題を解決するためにその郊外に人口数万人の小都市を建設するというプロジェクトがわき上がり、エベネザー・ハワードの田園都市構想などがその先駆けということになっています。
日本でも、○○ニュータウンという言い方で、人口が増大した高度経済成長時代に大都市周辺に新市街地として数多く形成されていますが、その多くにわが機構が大いに関わっているのです。

ニュータウンとなると上下水道や電気などのインフラはもちろん、その地域へ通勤や通学を保証する鉄道や高規格道路などの高速交通ネットワークも併せて整備をしなければならず、民間事業者が開発行為として単に分譲住宅用地を作って売るという以上の高度な地域計画が必要です。
それには市や県の地方自治体行政と国、インフラ事業者などとの調整が必要で、それにはやはり高度な技術力が必要で、それを担ってきたのがわが組織の前身であるわけです。思えば壮大な事業をしてきたものです。
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ところが時代の潮目が変わってみると、先発のニュータウンはある程度計画が進んだのに対して、後発のものは思うように需要が発生せず苦しい事業展開を迫られるようになりました。
とうとうわが機構が関わってきたニュータウン事業にも改革の手が入り、独立行政法人改革の名の下に、平成25年度をもってニュータウン事業は終わることとするというタイムリミットが設定されたのが昨年のこと。
いくつかの地区では計画を縮小したり、大きな見直しをしたりして今後の計画を練り直していますが、過去30年かけてやっと事業を動かしてきた大きなまちづくりをあと5年で止めろ、というのは相当な急ブレーキなのです。
地区内のインフラ整備にも年間3千万円くらいかけてゆっくり整備をしていたところが、もう間に合わないのでその数倍を投入しなくてはならないなど、予算や投入できる人数、整備スケジュールの調整など、短期間に終わらせるのは机の上で考えるほど簡単なことではありません。現場も必死で調整を進めているのでした。
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それにしても、鉄道まで引き、数キロごとに駅を計画し、その周辺の土地利用を定めて民間事業者を誘致して魅力を増した土地に憧れを生み出してきたのはさぞやりがいのあった仕事だったことでしょう。

こうした開発を支えたのは人口増加とそれにともなう経済の拡大でした。人口が減少局面を迎えたこれからは、単に増える人口の受け皿ではなくて、個別の地区の魅力による競争が始まることでしょう。
それにしても、人口減少時代を迎えて、コンパクト化したまちでなくてはもう都市経営が難しくなると言われる中で、既存のまちでは大幅な都市改造は地権者同士の利害調整が難しくてとてもできません。
真っ白なカンバスに理想の都市の絵を描くニュータウンのようなところであればそれを実現できるのに、という思いはやはり残ります。また、既存のニュータウンでも、そこに移り住んだ人が一斉に高齢化して『オールドタウン』と化すという皮肉な現象も出始めています。
自分にとっての理想の終の棲家とはどういう場所なのか、あるいはどういう状態なのかをまちづくりの問題としてもう一度考えてみるときなのでしょう。
幸せってどこにあるのでしょうね。
