昨夜は石見銀山からほど近い温泉津温泉(ゆのつおんせん)に泊まりました。
ここのお湯は約1300年前から知られていたのだそうで、歴史ある温泉地です。15世紀から江戸時代にかけては石見銀山の積出港として栄えたのだそうですよ。
温泉街にある銭湯の薬師湯は、2005年9月に日本温泉協会の新基準による審査の結果、全項目「オール5」の天然温泉として認定されたのだそうですよ。そもそも「5」の基準がよく分からないのですが。
※ ※ ※ ※
いよいよ今日は旅行の最終日なので、出雲空港方面へ戻りながらの周辺観光です。
日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)へもお参りをしてきました。こちらには天照大神と神素盞嗚尊(スサノオノミコト)の二柱の神様が祀られています。
こちらには大きなお社が二つあるのですが、その一つが「日沈(ひしずみ)の宮」。その名前の由来は、創建の由緒が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社である事によるのだとか(Wikipediaより)。
徳川家光が社殿建立に力を尽くしたのだそうで、なるほど日光東照宮の流れを汲む、権現造りが豪華絢爛です。
※ ※ ※ ※
旅の最後は荒神谷遺跡でした。ここには日本で最も多い銅剣がまとまって出てきたことで知られる遺跡ですが、1984年から1985年にかけての2ヵ年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土し同じく近くから出土し、それまでの古代史を書き換える大きな話題を提供したのでした。
そもそも古事記や日本書紀のなかでも出雲系の神話に裂いている分量は多く、相当出雲に気を遣っていたことが想像されます。
古代出雲王朝という歴史ロマンをより印象づけたのがこの荒神谷遺跡。
いやあ出雲って本当に古代史に満ちあふれていますね。
今回の旅は総じて天気も良く、神様に見守られた旅となりました。いやー、良かった!
ここのお湯は約1300年前から知られていたのだそうで、歴史ある温泉地です。15世紀から江戸時代にかけては石見銀山の積出港として栄えたのだそうですよ。
温泉街にある銭湯の薬師湯は、2005年9月に日本温泉協会の新基準による審査の結果、全項目「オール5」の天然温泉として認定されたのだそうですよ。そもそも「5」の基準がよく分からないのですが。
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いよいよ今日は旅行の最終日なので、出雲空港方面へ戻りながらの周辺観光です。
日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)へもお参りをしてきました。こちらには天照大神と神素盞嗚尊(スサノオノミコト)の二柱の神様が祀られています。
こちらには大きなお社が二つあるのですが、その一つが「日沈(ひしずみ)の宮」。その名前の由来は、創建の由緒が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社である事によるのだとか(Wikipediaより)。
徳川家光が社殿建立に力を尽くしたのだそうで、なるほど日光東照宮の流れを汲む、権現造りが豪華絢爛です。
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旅の最後は荒神谷遺跡でした。ここには日本で最も多い銅剣がまとまって出てきたことで知られる遺跡ですが、1984年から1985年にかけての2ヵ年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土し同じく近くから出土し、それまでの古代史を書き換える大きな話題を提供したのでした。
そもそも古事記や日本書紀のなかでも出雲系の神話に裂いている分量は多く、相当出雲に気を遣っていたことが想像されます。
古代出雲王朝という歴史ロマンをより印象づけたのがこの荒神谷遺跡。
いやあ出雲って本当に古代史に満ちあふれていますね。
今回の旅は総じて天気も良く、神様に見守られた旅となりました。いやー、良かった!