北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

街中オリンピック

2008-08-12 23:57:13 | Weblog
 久々に夫婦で映画鑑賞。夫婦でどちらかが50歳を過ぎるとペアで二千円で映画が観られるというサービスを初めて使ってみました。映画がずっと身近になりそうです。

 今回はバットマンシリーズの「ダーク・ナイト」です。次から次へと物語の山が訪れてきて、すばらしい作品でした。子供の時に見たバットマンは割と単純な勧善懲悪ドラマでしたが、この映画ではバットマンが「超法規的な自警市民」と扱われていて、時代性を取り入れています。

 破壊やカーチェイスなどのシーンはCGと分かっていても迫力満点で、やはり映画館で観るに値するものでした。面白かったー。

  *    *    *    *    *

 シネコンの入っている再開発ビル「札幌ファクトリー」には屋根付きの公開通路があるのですが、そこには大きな映像を映し出す画面があって日本の女子バレーが映し出されていました。今はどこへ行ってもオリンピックですね。

 昨日も柔道の谷本が豪快な一本勝ちで金メダルを取ってくれました。少しずつ日本選手団も力が出始めてきたようです。

 それにしても野口みずきは残念。そこまで練習しなくても良かったのに、と思うのは私だけではありますまい。 

  
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変化に飛び込む勇気

2008-08-11 23:23:24 | Weblog
 夜に地元の知人たちとの会合があって、いろいろと最近の情報を仕入れてきました。

 いろいろな意味で、北海道でも今までどおりのやり方が少しずつ変わってきていて昔の常識は通じないということを肌で感じてきました。

 自分の外で変化の波が押し寄せてきたときの対応の仕方には、大きく分けて①いくらかを差し出してやり過ごして耐え抜く、②得られるものを定めて自ら変化に飛び込んで戦う、の二つに大別されます。

 その場合、変化がどういう質の変化なのかを見極めることが大事ですが、外からの変化が時代の必然であれば、やり過ごしてその場をしのぐことが出来たとしても、第二波、第三派と変化が訪れてやがてはじり貧になって行かざるを得ないでしょう。

 そんなときは②の自ら変化に飛び込んで変化しなくてはなりません。今までは必要のなかった勉強もしなくてはならないし、より多様な経験を積む世界に飛び込むことも考えられます。
 やぶれかぶれの戦いをすることが目的ではなく、今残された体力を原資にして、何を得ることが出来れば納得できるのかという戦略上の目標をしっかりと持たなくてはなりません。

 しかしそういう戦いを挑めば、当然失うものも出てくるわけで、失われる側にすれば不満も出てきます。よく語られる『改革』も、その向こう側により幸せな社会があるための痛みだということを社会が認めればスムースに進みますが、しばしば失われる部分にスポットが当てられて進め方の歪みだという怨嗟の声が蔓延しがちです。
 一人一人にとっても今何をすべきか、という生涯学習が問われているわけです。

  *    *    *    *    *

 社会のリーダーと呼ばれる人たちは、社会の変化の向こうにどのような社会があるべきかを提示して支持を得なくてはなりません。小泉首相時代の郵政改革はそういう文脈の中での決断であって、部分的には縮小や不便といった変化もあるのでしょうが、そうした変化を受け止めれば、これから先に郵政株式会社だって持っている資産を活かして発展して行く道が開けたのです。

 少子高齢化や石油などの資源の受給が今後逼迫してくることなども、我が国の歴史の必然と受け止めて、これにどう対処して次の世代の社会を築かなくてはならないかを一人一人が受け入れなくてはならないと思います。

 政治に不満を受け止める唯一の存在になってしまっているけれど、一人一人が自分は何が出来て、何を貢献できるのか、と考えて行動できる社会が成熟した市民による社会のはず。
 社会から自分はなにを貪ることが出来るのか、何をしてもらわなくては損だ、と思ってばかりいる人が多いのはまだまだ成熟度合いが低いと言わざるを得ないでしょう。

 改革って先が見える人が提唱して、先の見えていない人を納得させる作業だからやっぱり大変なことなのです。
 
  *    *    *    *    *

 北島選手が100m平泳ぎで世界新記録で金メダルを獲得。前回のアテネオリンピックの優勝経験に留まらずに、そこから自らを進化させたすばらしい結果です。レーザーレーサーによる水着問題も取り入れて、勝つためには何かを失ったとしても自らが変化をしなくてはならないという勇気と行動の見本です。

 勝てる人のそうした変化にあやかりたいな。

 北島選手おめでとう!すごいレースでした!
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またこだわりのお蕎麦屋さん ~ 農家のそばや「羊蹄山」

2008-08-10 23:52:23 | Weblog
 今日は親を連れてのお墓参り。

 岩見沢と虻田の二カ所を巡るのですが、高速道路があるおかげで岩見沢へは時間が節約できて助かります。高速道路の料金所を見ていると、まだまだETCをつけていない車が多いことが分かります。通勤割引などでお得になるのにもったいないことです。

  *    *    *    *    *

 虻田でのお墓参りを終えた後には、羊蹄山からのわき水を汲みに真狩へと向かいます。羊蹄山のわき水は京極町が有名ですが、真狩の方が駐車場からの距離が近いので楽なのです。

 さて羊蹄のわき水を汲んだ後はこのあたりのお蕎麦屋さんに向かいます。うちの両親が春に弟に連れられて水汲みに来たときに、美味しいお蕎麦屋さんがこのあたりにあったというのです。今日は不参加の弟に連絡を取って場所を教えてもらいました。

 教えてもらったのは、倶知安の少し手前にある「農家の蕎麦屋 羊蹄山」というところ。羊蹄山を後ろに眺めるすばらしい立地です。店内は広くて、店の後ろにはわき水による池があって羊蹄山の眺めも綺麗です。建物も昔の古材を再利用していて、こだわりが伺えます。

  

  

  

 くわしくはこちら → 

  *    *    *    *    *

 お蕎麦には二八と十割があるのですが、今日は十割をいただきました。粉は100%この地域での地粉で、一本引きの粉らしい独特の食感がきいています。

  

 ご主人は時間があると店の中で建物の説明や食とは何かについて説明をしてくれます。曰く、「日本の食糧自給率はこんなに低いのに、もっている畑には使わずに余っているところがとても多いんです。日本の蕎麦だってほとんどが転作奨励金を受け取るための蕎麦作りになってしまっているのが残念です」

「こちらの粉は全部地元産なんですか?」
「建物のすぐ横に蕎麦畑がありますよ。うちの蕎麦は全部これですし、良い粉の調達先としてNHKのテキストでも紹介していただいています」

 粉を挽いているところを見せていただけますか、というお願いにも快く応じてくださいました。粉を挽いている建物は、岩内町にあったニシン番屋を移築したものだそうで、「家だって、こうやって使い回せば200年は使えるんですよ。食の問題も生き方も考えなくちゃ行けない時代ですよね」とも。

  

 お店の売店には、私も応援していたガーデンアイランド北海道のパンフレットが置かれていて、地域を盛り上げようという意識の高さが分かるというものです。

 帰り際に蕎麦畑の写真を撮りました。ある写真家の方が北海道で一番美しい蕎麦畑だと絶賛したそう。なるほど、食は北海道だ! 

  
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お蕎麦屋さんの地域貢献 ~ 一心

2008-08-09 23:31:34 | Weblog
 帰省の間には行かなくてはならないところやしなくて行けないことがたくさんあったり、遇っておきたい人などがたくさんいたりして、結構忙しいものです。

 春先に出会って、私のブログにもときどきコメントをしてくださるお蕎麦屋さんの「一心」さんに行きました。一心さんでは地域貢献として子供たちへの蕎麦打ち体験教室を行って大好評だったのだそうで、話を伺いがてら美味しい蕎麦にありつこうというわけです。

 お店へはいるとご主人が現れて、ブログへの書き込みのお礼を言うと覚えていてくださってさっそく会話が弾みます。普段は遇っていなくてもネット上で繋がっているととても身近に感じますね。

「手打ち蕎麦教室は大好評だったようですね」
「おかげさまで募集の時と教室を開いたときの様子を新聞にも載せていただきました。ご要望が多くて、また冬にもやって欲しいということになりましたよ」

「子供が相手というのは、包丁を扱うときに心配ではありませんか?」
「いえ、蕎麦包丁はほんの少し刃を甘くしてあるのと、包丁は危ないという思いがある分却って子供たちは慎重に作業をするので案外危なくないものですよ」

 私も子供たちを相手にした蕎麦打ち体験教室を何度かしましたが、こういう体験を通じて北海道の人間はみんな蕎麦が打てるというような地域を作りたいと思っています。
 それが、自分たちが使える資源を最大限に生かすことに繋がるはずだと思うのです。

  *    *    *    *    *

 さて今回は、野菜かき揚げ蕎麦とプロのカレー南蛮蕎麦を堪能しました。

 野菜は、エビ、イカ、カボチャ、ちくわ、サツマイモなどを一口サイズに切って、実にからっと揚げられています。天ぷら蕎麦とはまたひと味違った食べやすさで感心しました。さすがはプロです。

  

 テーブルの上に「緑提灯運動」の説明が置かれていました。日本の食糧自給率向上に貢献するお店の証が、店頭に緑色の提灯を掲げることで、そのお店が使っている国内産食材の割合によって、

 50%を超えれば星一つ ★
 60%を超えれば星二つ ★ ★
 70%を超えれば星三つ ★ ★ ★
 80%を超えれば星四つ ★ ★ ★ ★
 90%を超えれば星五つ ★ ★ ★ ★ ★

 という区分をするのだそうです。 詳しくはこちら→ http://midori-chouchin.jp/green_lantern.html

 こちらの一心さんは★四つの提灯を掲げていました。

 子供たちへの手打ち蕎麦教室と言い、食糧自給率向上活動と言い、地域への貢献が盛りだくさん。これも蕎麦打ちならではの生き方へのこだわりなのでしょうか。

 
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今度は私の番・・・ですか?

2008-08-08 23:40:32 | Weblog
 木曜日の夜の飛行機で東京を離れて札幌に帰ってきました。金曜日に札幌で仕事を一つこなしてからはそのまま夏休みで帰省の旅です。

 飛行機の時間ぎりぎりまでしばらくぶりに会った友人と新橋で飲みました。お代が三千円と、時間が早いと安く飲ませてくれるところで良かった。空港では家族へのお土産を千円で買いました。

 飛行機は最終便を避けて、一本早い20時20分羽田発新千歳行きです。空港ロビーで待っていると館内放送があって、「皆様ご登場予定の20時20分発○○便は・・・機材の到着が遅れており・・・出発予定を21時30分とさせていただきます・・・」とのこと。

 やれやれ、今週の初めも同じようなことがあったばかりなのに、また飛行機の遅延です。カウンター周りもなんだか騒然としています。

  

 遅れるというものを文句を言っても仕方がないのにね。しかしこんなに遅れると、新千歳空港から札幌への電車があるのかどうかだけは心配です。

 そういうための措置なのか、大幅な遅延のために飛行機会社から搭乗者に対してキャッシュバックがあるとか。一人一人に現金入りの封筒が配られました。いつでもこんなときのためにこうした封筒を用意してあるのでしょうか。飛行機会社も大変です。

 さて、飛行機はアナウンスどおりに、遅れながらもなんとか羽田を21時30分に出発。新千歳空港には23時10分に到着しましたが、やはりすでにJRの最終便は出発した後。しかしどうやらJR側で臨時便を出してくれるようで、到着ロビーでは地下の駅へとさかんに地下の駅へと誘導がされています。

 臨時の電車は各駅停車ですが、時間が遅いためにもう駅から公共交通の接続はありません。車内ではしきりに「到着駅からの公共交通の接続はございません」と繰り返し放送が流れています。札幌駅への到着は24時30分、もう午前様です。

 幸い私の家は札幌からさらに先のJR駅から比較的近いので、うちの奥さんに車で迎えに来てもらって事なきを得ました。

 家に着いてから「また飛行機の遅延に遇ってしまったよ。そのかわりキャッシュバックだってさ。飛行機会社も大変だなあ」と言うと、妻が「私たち三人は良いホテルに泊めてもらえたけれど、あなただけ前回良い思いをしなかったからじゃないの?」と言います。
「あ~、そういうことか?」そんなこととは気づいていませんでした。

 空港で配られた封筒を開けてみると中には現金で4千円。今日の飲み代とお土産の分が出た計算です。

 なるほど、まだ出雲の旅の続きがありましたか。 

 ちょっと不思議な偶然でした。

  *    *    *    *    *

 さていよいよ北京オリンピックの始まりです。サッカーは男女ともちょっと残念でしたが、これから巻き返して欲しいものです。

 がんばれ日本!

 
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中国での防災都市作り

2008-08-07 23:44:37 | Weblog
 職場に大学の先生から連絡があって、「中国の大学から防災公園を視察のためにお客さんが来ているので、対応してくれませんか」とのこと。

 そう言うお話なら受けないわけにはいきますまい。事業の説明と現地のご案内を企画して待ち受けます。

 訪ねてきてくださったのは中国農業大学の李教授という方。日本語がお上手なので会話には困りませんでしたが、聞けば京都大学で学位を取って、その後淡路景観園芸学校でも二年間教えていたのだそう。

「H先生ってご存じありませんか」と知人の名前を挙げてみると、「はい、良く存じています。頭の切れる方でしたね」と覚えておられました。共通の知人がいると思うと距離がぐっと近くなりますね。

  *    *    *    *    *

 今回の李先生の視察の背景は、四川省で発生した大地震を受けて、これからの都市作りにおいて防災計画を策定すべきだという気運が政府全体で高まっているということ。そのため、地震対策先進国である日本の防災都市作りに学べるものを学んでこようということで、一週間ほど日本に滞在して、新潟、山古志村(現長岡市)での復興の状況や東京での防災公園を視察していると言うことでした。

 日本の防災公園では、耐震性貯水槽や災害時トイレ、炊き出しのためのかまどベンチなどが作られますが、李先生はこれらに大変興味を示されて、「公園にこういう施設を作るべきだという説明は中国でも社会の支持を得ることでしょう」と感心されていました。

 また、中国ではこれまでの都市作りで交通計画などはあったものの、防災計画という意識が全くなかったとのことで、そういう面では日本の制度は大きく先進的であるわけです。
 先例のないことに対して手探りで解決方法を探るという努力こそ、課題解決先進国としての日本の真骨頂なのかもしれません。相互の知識の交流で中国でもよい社会づくりが進むと良いですね。

 一方、日本の場合は、私有地に家が建ってしまっている既成市街地でなかなか防災のためのオープンスペースがとれないというのが最大の悩みですが、「中国ではその問題だけはありません。土地は国有ですからね」とのこと。中国で高速道路をはじめとする社会インフラの整備スピードが速いのは、土地の取得に予算や時間がかからないのが最大の利点です。

 お互いの社会システムの違いを理解しつつ、共有できるものはもっと相互の交流が望ましいことでしょう。 
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オリンピックの準備

2008-08-06 22:41:00 | Weblog
 いよいよオリンピックの始まりです。

 開会式はまだだけれど、女子サッカー予選の日本対ニュージーランド戦が日本登場の皮切り。

 途中までは0-2で危うかったところをなんとか2-2に盛り返して引き分けで初戦を終わりました。下馬評では日本が有利というが勝負の世界は分からないものですね。これから実力のあるチームと当たるので、今日は勝っておきたかった相手でした。

 さていよいよオリンピックの開会も近くなりました。

 ビールとポテトチップは買ってありますか?
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スピリチュアルなエピソード

2008-08-05 23:19:21 | Weblog
 今回は出雲大社を中心に島根県の旅をしてきましたが、いろいろと不思議なこともありました。そんな出雲のスピリチュアルなエピソードのご紹介です。

【デジカメ水没事件】
 初日に出雲空港へ降り立ち、早速ドライブ観光を楽しみました。写真もたくさん撮って、ブログ用素材もたっぷり。

 ところがホテルへ帰ってユニットバスのトイレに立ったところ、腰につけていたデジカメがカバーごとするするとベルトからはずれてトイレにポッチャン!

「あ・あ・あ!」慌てて拾い上げましたが、カバーはもちろん、中身もびっちょり。電池をはずして拭ける限りの水気を拭き取りましたが、数時間後に電池を入れなおしてみたところ、液晶は写らないし、レンズの動作も不安定に・・・orz。

「あちゃー」デジカメが使えない旅となってちょっとガッカリです。仕方がないのでデジタルビデオの静止画モードで写真を撮ってきましたが、やっぱり色合いやピントに難ありです。

 旅を終えて川崎の自宅へ戻り、(修理が効くのかなあ・・・)と思いながら改めて電池を入れて動作を確認してみたところ、なんと直ってる!レンズも動くし液晶も写り写真も撮れます。

 下手をすると買い替えの3万円を覚悟していただけに助かりました。濡れてしまったせいでしょうが、SDカードの映像は一部しか取り出せなくて、最初の足立美術館などの映像はなくなってしまいましたが、まあ良しとしましょう。

 そんなわけで旅の全般を通じてデジカメが使えなかったのですが、これって写されたくないものを撮ってしまったのでしょうか?

 それとも、その瞬間は同じく腰につけていた携帯電話が水没してもおかしくなかったので、携帯電話に気をつけろという警告だったのでしょうか?いずれにしても『警告』で済んだ事件でした。
 

【天気も味方の旅】
 今回の島根県の3泊4日の旅は、場所が西日本だけにたしかに暑かったものの、総じて天気に恵まれました。

 中でも三日目の石見銀山の周辺見学では屋外をずっと歩くことになります。前日の天気予報は「晴れ後曇り夜に雨」というものでした。「日中は猛暑だとつらいなあ」と思いましたが、石見銀山では雨は降らないものと思い傘も持参せずに11時からのガイドツアーに参加しました。

 ところが龍源寺間歩のガイドツアーを楽しんで帰路につき掛けた昼過ぎ頃から急にポツポツ雨粒が落ちてきて、あっという間に土砂降りに。

「わー!」
 全員慌てて道沿いの樹の下で雨宿りをしましたが膝あたりまで濡れるほどの強い雨です。

 雨が小止みになるたびに早足で移動をしますが、雨脚が強まるとまた樹の下やお寺の山門で雨宿り。「バス停まではあと15分くらいなんだけど・・・。もっともそこからバスに乗ってもバスはガイドセンターまでしかいかないし、傘は遠くの駐車場の車の中。雨が降り続けば大森地区はどうしようか・・・」と急な天気の変化に戸惑っていました。

 しかし30分も経った頃には通り雨も上がり、再び空が明るくなってきました。どうやら天気回復の兆しです。

 雨が降らないのならば、満員のバスに乗らなくても、ガイドさんと一緒に歩きながらでも楽しい散策道です。降った雨もちょうど打ち水のようで、涼やかな道をさらにガイドしていただきながら楽しむことが出来ました。

 間歩のガイドツアーの後も、五百羅漢や大森地区をゆったりと散策出来てとっても快適。暑い夏の旅に、ちょっと打ち水までしてださるとはありがたい。ちなみに、その夜には豪雨が宿を襲ってきたのですが、朝にはまたからっと快晴になっていました。

 まさに天気も味方の旅でした。お稲荷さんへのお参りは欠かせません。


【『おい、もう帰るのか』事件】
 ハプニングは最終日の飛行場で起きました。

 16時40分出雲空港発羽田行きの便に登場すれば、羽田から新千歳空港行きの20時55分発には楽々間に合うはずでした。ところがなんと我々が乗る飛行機に雷がおちて修理をするために出発時間を延期するとのこと。

「まあちょっとくらいなら」と気楽に思っていたところ、修理に時間を要するためについには機材を変更するとのこと。そして代わりの飛行機をこちらの空港にもってくるため、出発時間が19時15分に変更になりました。

「19時15分!これじゃ、羽田での札幌乗り継ぎは間に合わないかも・・・」

 羽田の到着は第1ターミナルですが、そこから預けてある荷物を取り出してからエア・ドゥで出発の第2ターミナルまで移動しなくてはならないのです。

 こんなときはパニックにならずに、とにかく係員に事情を話すのが先決です。羽田での地上係員の方を通じて飛行機会社同士でも連絡をしてくれることでしょう。

 運を天に任せてのフライトでしたが、結局羽田へ着いたのが20時55分では乗り継ぎ飛行機に待ってもらうには無理がありました。J●Lさんも精一杯対応してくれましたがまあ無理なものは無理と言うこと。問題はではこれからどうするか、ということ。

 J●Lさんからのお申し出で、今日は第2ターミナルに隣接するホテルへ宿泊させてくれること、そして明日の朝一番のエア・ドゥの予約を取ってくれる、ということなので、当方としても納得の交渉成立です。結果として家族は高級ホテルでの一泊二食付きのボーナスを得たことになりました。

  *    *    *    *    *

 我々は翌朝に大切なビジネスがあるわけでもないので、帰りを保証してくれるならばお気楽に楽しめばよいのでそれほどの損失でもありません。私も一緒だったので、航空会社との話し合いもできました。

 思うに、出雲空港からのストップなので出雲の神様たちが「おいおい、もう帰っちゃうのか~?そんなに急がずにもう少しこっちにいたらどうだ、食事くらいさせてあげるから」といういたずら心を起こされたのではないか、というのが私の解釈。

 そう考えると決してトラブルとは思えず、却ってありがたい気持ちにすらなるというものです。

 どこまでも神様に見守られたスピリチュアルな旅となりました。

 出雲は実に良かった~。日本人が一度は行っておきたい場所です。 
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出雲を歩く④~日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)と荒神谷遺跡

2008-08-04 23:22:06 | Weblog
 昨夜は石見銀山からほど近い温泉津温泉(ゆのつおんせん)に泊まりました。

 ここのお湯は約1300年前から知られていたのだそうで、歴史ある温泉地です。15世紀から江戸時代にかけては石見銀山の積出港として栄えたのだそうですよ。

 温泉街にある銭湯の薬師湯は、2005年9月に日本温泉協会の新基準による審査の結果、全項目「オール5」の天然温泉として認定されたのだそうですよ。そもそも「5」の基準がよく分からないのですが。

    ※    ※    ※    ※

 いよいよ今日は旅行の最終日なので、出雲空港方面へ戻りながらの周辺観光です。

 日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)へもお参りをしてきました。こちらには天照大神と神素盞嗚尊(スサノオノミコト)の二柱の神様が祀られています。

  

 こちらには大きなお社が二つあるのですが、その一つが「日沈(ひしずみ)の宮」。その名前の由来は、創建の由緒が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社である事によるのだとか(Wikipediaより)。

 徳川家光が社殿建立に力を尽くしたのだそうで、なるほど日光東照宮の流れを汲む、権現造りが豪華絢爛です。

    ※    ※    ※    ※

 旅の最後は荒神谷遺跡でした。ここには日本で最も多い銅剣がまとまって出てきたことで知られる遺跡ですが、1984年から1985年にかけての2ヵ年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土し同じく近くから出土し、それまでの古代史を書き換える大きな話題を提供したのでした。

  

 そもそも古事記や日本書紀のなかでも出雲系の神話に裂いている分量は多く、相当出雲に気を遣っていたことが想像されます。

 古代出雲王朝という歴史ロマンをより印象づけたのがこの荒神谷遺跡。

 いやあ出雲って本当に古代史に満ちあふれていますね。

 今回の旅は総じて天気も良く、神様に見守られた旅となりました。いやー、良かった!
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【番外編】石見銀山の歴史的意味を考える

2008-08-03 23:59:06 | Weblog
 さて、銀を掘った間歩の後は、人が住む集落の大森地区を散策です。こちらも昔ながらの木造の家並みが続き、文化庁の指定する伝統的建造物保全地区に指定されています。

 しかしこの大森地区の集落を見ても、石見銀山は、ぱっと見に「まさにこれが世界遺産かー!」と思わせるような派手な施設があるわけではありません。一度は指定が延期になったほどで、決して印象が強いものでもありません。

  

  

 説明によると、石見銀山の世界遺産名は「石見銀山遺跡とその文化的景観」とのこと。そして世界遺産として認められたポイントはと言うと、
①世界的に重要な経済・文化交流を生み出したこと
②伝統的技術による銀生産方式を豊富で良好に残すこと
③銀の生産から搬出に至る全体像を不足なく明確に示すこと、の三つです。

 実際に現場へ来ると、間歩による鉱山の歴史的雰囲気や大森地区の伝統的建造物保全地区による歴史的生活などは見ることである程度分かります。

 しかし、石見銀山が本当にすごいのは、ここから算出された銀が15世紀から17世紀にかけて日本から東アジア経済を動かした原動力になったと言うことで、この銀を求めてポルトガルが宣教師を派遣し、鉄炮を売りに来たというように、日本の歴史を世界経済にも大きな影響を与えながら展開したという歴史的事実こそが最大のポイントなのです。

 でもこれは相当説明を受けて深く理解しないと味わえないかも知れません。また、これだけ世界に影響を与えた銀の力も、学校の教科書にはあまり強調されていないような印象も受けます。日本人自身が世界におけるこの価値をもっと理解しなくてはならないと思いました。

    ※    ※    ※    ※

 また石見銀山を学ぶうちに印象的だったのはその日本人らしいその経営方針でした。

 こちらの銀山経営は、『御直山(おじきやま)』と呼ばれた代官所直営のところと、『自分山(じぶんやま)』と呼ばれる民間の自主開発による銀山の二種類があったとのこと。
 御直山は公費で開発して民間が入札でそれを請け負う、いわば公共事業のようなもの。一方自分山は民間の事業者が申請をして開発許可をもらうというシステムで、こちらは現代で言うところの民活というわけ。

 ここでは銀山の発掘は申請をして税金として収入の三分の一を納めさえすれば誰でも掘って良かったのだそうで、代官所もそれを大いに奨励したのだそうです。優良な銀の鉱床に当たれば大もうけが出来たわけで、江戸時代には有能な鉱山経営者が集まって活況を呈しました。

 この石見銀山と同様にやはり世界遺産になっていますが、同じ時期にボリビアのポトシという町でも銀山が発見されました。
 しかしこちらはスペインが現地のインディオを酷使して、まさに搾取によってスペインに銀の富をもたらしたのに対して、日本の石見銀山は、よほど優しい経営になっているのですね。

 宮崎駿監督のアニメ「もののけ姫」では人間が山を開発したために山の自然が荒れて神が怒るということが底流を流れていましたが、ここ石見銀山では精錬に必要な炭も周辺の村々に割り当てることで調達をしていたのだそう。
 決して自然から収奪をするだけではなくそのバランスを考えた開発の姿勢が伺えて、これがまた何とも日本人らしいではありませんか。

    ※    ※    ※    ※

 江戸時代、関東は金が取れたので基本通貨は金であり、関西は岩見の銀が取れたことから銀が基本通貨とされました。そのため関西と関東の物資の交換ではレートが生じてそこに両替商が商売を行える素地がありました。

 また銀による通貨は重さがそのまま貨幣としての価値となる「秤量貨幣(ひょうりょうかへい)」だったので、小額の場合は銀をちぎって払うこともあったのだとか。銀のちゃんとした通貨があまり残っていないのはそんな支払い方法によったからだ、とも教えられました。

 教科書に書かれていない日本史の奥深さを心ゆくまで堪能しました。

  
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