さて、銀を掘った間歩の後は、人が住む集落の大森地区を散策です。こちらも昔ながらの木造の家並みが続き、文化庁の指定する伝統的建造物保全地区に指定されています。
しかしこの大森地区の集落を見ても、石見銀山は、ぱっと見に「まさにこれが世界遺産かー!」と思わせるような派手な施設があるわけではありません。一度は指定が延期になったほどで、決して印象が強いものでもありません。
説明によると、石見銀山の世界遺産名は「石見銀山遺跡とその文化的景観」とのこと。そして世界遺産として認められたポイントはと言うと、
①世界的に重要な経済・文化交流を生み出したこと
②伝統的技術による銀生産方式を豊富で良好に残すこと
③銀の生産から搬出に至る全体像を不足なく明確に示すこと、の三つです。
実際に現場へ来ると、間歩による鉱山の歴史的雰囲気や大森地区の伝統的建造物保全地区による歴史的生活などは見ることである程度分かります。
しかし、石見銀山が本当にすごいのは、ここから算出された銀が15世紀から17世紀にかけて日本から東アジア経済を動かした原動力になったと言うことで、この銀を求めてポルトガルが宣教師を派遣し、鉄炮を売りに来たというように、日本の歴史を世界経済にも大きな影響を与えながら展開したという歴史的事実こそが最大のポイントなのです。
でもこれは相当説明を受けて深く理解しないと味わえないかも知れません。また、これだけ世界に影響を与えた銀の力も、学校の教科書にはあまり強調されていないような印象も受けます。日本人自身が世界におけるこの価値をもっと理解しなくてはならないと思いました。
※ ※ ※ ※
また石見銀山を学ぶうちに印象的だったのはその日本人らしいその経営方針でした。
こちらの銀山経営は、『御直山(おじきやま)』と呼ばれた代官所直営のところと、『自分山(じぶんやま)』と呼ばれる民間の自主開発による銀山の二種類があったとのこと。
御直山は公費で開発して民間が入札でそれを請け負う、いわば公共事業のようなもの。一方自分山は民間の事業者が申請をして開発許可をもらうというシステムで、こちらは現代で言うところの民活というわけ。
ここでは銀山の発掘は申請をして税金として収入の三分の一を納めさえすれば誰でも掘って良かったのだそうで、代官所もそれを大いに奨励したのだそうです。優良な銀の鉱床に当たれば大もうけが出来たわけで、江戸時代には有能な鉱山経営者が集まって活況を呈しました。
この石見銀山と同様にやはり世界遺産になっていますが、同じ時期にボリビアのポトシという町でも銀山が発見されました。
しかしこちらはスペインが現地のインディオを酷使して、まさに搾取によってスペインに銀の富をもたらしたのに対して、日本の石見銀山は、よほど優しい経営になっているのですね。
宮崎駿監督のアニメ「もののけ姫」では人間が山を開発したために山の自然が荒れて神が怒るということが底流を流れていましたが、ここ石見銀山では精錬に必要な炭も周辺の村々に割り当てることで調達をしていたのだそう。
決して自然から収奪をするだけではなくそのバランスを考えた開発の姿勢が伺えて、これがまた何とも日本人らしいではありませんか。
※ ※ ※ ※
江戸時代、関東は金が取れたので基本通貨は金であり、関西は岩見の銀が取れたことから銀が基本通貨とされました。そのため関西と関東の物資の交換ではレートが生じてそこに両替商が商売を行える素地がありました。
また銀による通貨は重さがそのまま貨幣としての価値となる「秤量貨幣(ひょうりょうかへい)」だったので、小額の場合は銀をちぎって払うこともあったのだとか。銀のちゃんとした通貨があまり残っていないのはそんな支払い方法によったからだ、とも教えられました。
教科書に書かれていない日本史の奥深さを心ゆくまで堪能しました。
しかしこの大森地区の集落を見ても、石見銀山は、ぱっと見に「まさにこれが世界遺産かー!」と思わせるような派手な施設があるわけではありません。一度は指定が延期になったほどで、決して印象が強いものでもありません。
説明によると、石見銀山の世界遺産名は「石見銀山遺跡とその文化的景観」とのこと。そして世界遺産として認められたポイントはと言うと、
①世界的に重要な経済・文化交流を生み出したこと
②伝統的技術による銀生産方式を豊富で良好に残すこと
③銀の生産から搬出に至る全体像を不足なく明確に示すこと、の三つです。
実際に現場へ来ると、間歩による鉱山の歴史的雰囲気や大森地区の伝統的建造物保全地区による歴史的生活などは見ることである程度分かります。
しかし、石見銀山が本当にすごいのは、ここから算出された銀が15世紀から17世紀にかけて日本から東アジア経済を動かした原動力になったと言うことで、この銀を求めてポルトガルが宣教師を派遣し、鉄炮を売りに来たというように、日本の歴史を世界経済にも大きな影響を与えながら展開したという歴史的事実こそが最大のポイントなのです。
でもこれは相当説明を受けて深く理解しないと味わえないかも知れません。また、これだけ世界に影響を与えた銀の力も、学校の教科書にはあまり強調されていないような印象も受けます。日本人自身が世界におけるこの価値をもっと理解しなくてはならないと思いました。
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また石見銀山を学ぶうちに印象的だったのはその日本人らしいその経営方針でした。
こちらの銀山経営は、『御直山(おじきやま)』と呼ばれた代官所直営のところと、『自分山(じぶんやま)』と呼ばれる民間の自主開発による銀山の二種類があったとのこと。
御直山は公費で開発して民間が入札でそれを請け負う、いわば公共事業のようなもの。一方自分山は民間の事業者が申請をして開発許可をもらうというシステムで、こちらは現代で言うところの民活というわけ。
ここでは銀山の発掘は申請をして税金として収入の三分の一を納めさえすれば誰でも掘って良かったのだそうで、代官所もそれを大いに奨励したのだそうです。優良な銀の鉱床に当たれば大もうけが出来たわけで、江戸時代には有能な鉱山経営者が集まって活況を呈しました。
この石見銀山と同様にやはり世界遺産になっていますが、同じ時期にボリビアのポトシという町でも銀山が発見されました。
しかしこちらはスペインが現地のインディオを酷使して、まさに搾取によってスペインに銀の富をもたらしたのに対して、日本の石見銀山は、よほど優しい経営になっているのですね。
宮崎駿監督のアニメ「もののけ姫」では人間が山を開発したために山の自然が荒れて神が怒るということが底流を流れていましたが、ここ石見銀山では精錬に必要な炭も周辺の村々に割り当てることで調達をしていたのだそう。
決して自然から収奪をするだけではなくそのバランスを考えた開発の姿勢が伺えて、これがまた何とも日本人らしいではありませんか。
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江戸時代、関東は金が取れたので基本通貨は金であり、関西は岩見の銀が取れたことから銀が基本通貨とされました。そのため関西と関東の物資の交換ではレートが生じてそこに両替商が商売を行える素地がありました。
また銀による通貨は重さがそのまま貨幣としての価値となる「秤量貨幣(ひょうりょうかへい)」だったので、小額の場合は銀をちぎって払うこともあったのだとか。銀のちゃんとした通貨があまり残っていないのはそんな支払い方法によったからだ、とも教えられました。
教科書に書かれていない日本史の奥深さを心ゆくまで堪能しました。