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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

北オホーツク100kmマラソン大会

2015-04-10 22:06:36 | Weblog

 今年で第五回となる『北オホーツク100kmマラソン大会』の事務局の方たちが、挨拶と協力依頼を兼ねて訪ねて来られました。

 100kmマラソンと言えば、日本で最初に行われた本家の『サロマ湖100キロウルトラマラソン』があって、こちらはもう今年で30回を数えます。

 しかも『サロマ湖100km』が北見市、佐呂間町、湧別町と言う三つの自治体にまたがって開催され多くの応援団が期待できるのに対して、『北オホーツク100km』はほとんどが浜頓別町エリア内(一部猿払村)で開催されるので自治体の応援の数が限られます。

 参加者数も『サロマ湖100km』には到底かないませんが、その代わり、回を重ねるごとに地元の理解と協力の姿勢が深まってきて、沿道の応援やボランティアスタッフの心温まるもてなしは比類がなく、参加者からの評価はとても高いそう。

 信号を止めてランナーを優先するようなオペレーションも行っていないので、正確な記録を出すような計測はなくてランナーは信号待ちをすることもあり(笑)。

 でも慣れた参加者は信号が変わるタイミングを見計らって事前にスピード調整をしてくれるようになるとか。郷に入っては郷に従え、です。


       ◆  

 
 この大会、今年は7月26日という7月末に開かれますが、本家の『サロマ湖手…』は6月下旬に開催されます。

 さすがに100kmマラソンともなると、完走できない人も続出するようですが、なかにはここで完走できなかったリベンジを『北オホーツク…』の方で果たそうという人もいるようで、距離が長いマラソンにはランナーを惹きつける魔力があるようです。

 浜頓別ともなると、自分の居住地から一泊程度で来られるというところは少なくて、ツアーに乗っかって家族連れで二泊~数泊という方も多いそう。

 北北海道の夏の風物詩である『北オホーツク100kmマラソン大会』。脚に自信のある方は是非浜沿いの花々を見ながらのマラソンに挑戦してみてください。

 

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経済合理性だけではない価値概念を

2015-04-09 20:38:24 | Weblog

 

 四月七日付の建設新聞に、建設産業全体をいくつものプレーヤーにインタビューしたコーナーがありました。

 そのなかの一人に東京大学政策研究大学院大学教授の家田仁先生が、「インフラ是非は冷静な議論で」と題した記事が掲載されています。

 

 **インフラのあり方は

 「インフラ投資を考える場合、国民の意識の変化、財布と金持ち度、求められる質の高さなどが影響する。たとえば、高速鉄道も、国民の所得水準が低ければ何もそんなに急いで運行する必要がないが、所得が高くなると、当然高速運行へのニーズが高まる。住まいについても、郊外でも庭付き一戸建てに住みたいという若い頃のニーズが高齢になると、駅近くの都心マンションがいいということになる」

 「人がどう変わるかによってインフラも変わる。インフラは長い歴史の中で量も質も基本的には上がってきているが、人の見方や価値観の変化でその時々に変わる。その意味では、人口減少時代になったからインフラも減らせばいいという単純なことにもならない。時代が変わる、そのとき何が必要で、何がいらなくなるのかという判断には冷静な議論を尽くすべきだ」

 「財政が苦しい、誰か文句も言わない悪者を見つけよう。それ、公共事業を悪玉にしようという迷信に走ること。それとは逆に、景気が悪くなるとすぐ公共事業を景気対策の糧としたがること。この二つの流れは、私にとってもインフラにとっても、どちらも敵である。いい悪いの判断と選択は高度な難しいことであり、だからこそ冷静に、慎重に考えるべきことだ」

 **判断の一つにB/C(費用便益)がありますが

 「そのような価値判断を持ち込むのは、インフラを十把一絡げのものと考えているからだ。防衛、教育と同様、国民の生活と安全に深く関わるインフラもB/Cを超えた判断が必要だ。明治維新後、大久保利通は自分の出身地と離れた東北にインフラ投資をした。それは戊辰戦争で傷んだ東北地域の基盤整備を急ぐことが国を一つにすることだと考えたのだ。決してB/Cではない」

  (以下略)


       ◆     ◆     ◆

 

 家田先生の主張は、『今の世の中はB/C、つまりかけた費用に対する見返りがあることが事業実施の前提となっていますが、それはそういう価値観が世を覆っているが、経済合理性だけではない別の価値観があってもよい』ということです。

 実際、条件不利地を救おうという考えに立てば、国としてそういう措置を取るということはできます。

 「離島振興法」という法律が1953年に作られました。これは条件不利は離島の産業基盤や生活環境の改善を通して離島住民の生活の安定および福祉の向上を目的とした法律です。

 この法律策定に当たっては、歩く民俗学者として有名な宮本常一が対馬を調査研究してがその設立に尽力したことで知られていますが、長崎県も他の離島を抱える都県と連携して国に働きかけました。

 真にその意義が確かなものであり、しかも思いを同じくする立場の人たちとの連携があれば世の中を動かすことはできるのです。
 
 宗谷地域もこの北辺で国境を有する地域のB/Cではない意義をしっかりと考えたいところです。

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経済合理性だけではない価値概念を

2015-04-09 20:37:47 | Weblog

 

 四月七日付の建設新聞に、建設産業全体をいくつものプレーヤーにインタビューしたコーナーがありました。

 そのなかの一人に東京大学政策研究大学院大学教授の家田仁先生が、「インフラ是非は冷静な議論で」と題した記事が掲載されています。

 

 **インフラのあり方は

 「インフラ投資を考える場合、国民の意識の変化、財布と金持ち度、求められる質の高さなどが影響する。たとえば、高速鉄道も、国民の所得水準が低ければ何もそんなに急いで運行する必要がないが、所得が高くなると、当然高速運行へのニーズが高まる。住まいについても、郊外でも庭付き一戸建てに住みたいという若い頃のニーズが高齢になると、駅近くの都心マンションがいいということになる」
 「人がどう変わるかによってインフラも変わる。インフラは長い歴史の中で量も質も基本的には上がってきているが、人の見方や価値観の変化でその時々に変わる。その意味では、人口減少時代になったからインフラも減らせばいいという単純なことにもならない。時代が変わる、そのとき何が必要で、何がいらなくなるのかという判断には冷静な議論を尽くすべきだ」
 「財政が苦しい、誰か文句も言わない悪者を見つけよう。それ、公共事業を悪玉にしようという迷信に走ること。それとは逆に、景気が悪くなるとすぐ公共事業を景気対策の糧としたがること。この二つの流れは、私にとってもインフラにとっても、どちらも敵である。いい悪いの判断と選択は高度な難しいことであり、だからこそ冷静に、慎重に考えるべきことだ」

 **判断の一つにB/C(費用便益)がありますが

 「そのような価値判断を持ち込むのは、インフラを十把一絡げのものと考えているからだ。防衛、教育と同様、国民の生活と安全に深く関わるインフラもB/Cを超えた判断が必要だ。明治維新後、大久保利通は自分の出身地と離れた東北にインフラ投資をした。それは戊辰戦争で傷んだ東北地域の基盤整備を急ぐことが国を一つにすることだと考えたのだ。決してB/Cではない」

  (以下略)


       ◆     ◆     ◆

 

 家田先生の主張は、『今の世の中はB/C、つまりかけた費用に対する見返りがあることが事業実施の前提となっていますが、それはそういう価値観が世を覆っているが、経済合理性だけではない別の価値観があってもよい』ということです。

 実際、条件不利地を救おうという考えに立てば、国としてそういう措置を取るということはできます。

 「離島振興法」という法律が1953年に作られました。これは条件不利は離島の産業基盤や生活環境の改善を通して離島住民の生活の安定および福祉の向上を目的とした法律です。

 この法律策定に当たっては、歩く民俗学者として有名な宮本常一が対馬を調査研究してがその設立に尽力したことで知られていますが、長崎県も他の離島を抱える都県と連携して国に働きかけました。

 真にその意義が確かなものであり、しかも思いを同じくする立場の人たちとの連携があれば世の中を動かすことはできるのです。
 
 宗谷地域もこの北辺で国境を有する地域のB/Cではない意義をしっかりと考えたいところです。

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唯一?外国の見える庁舎

2015-04-08 23:45:19 | Weblog

 稚内市内で着任の挨拶をしていると、他の官庁でもいわゆる転勤族で稚内に来ている人に多く会うことができます。

 多くは既に1~2年をこのマチで過ごしている方たちですが、「稚内に住んでみていかがですか?」と問いを発すると答えは三通り。

 一つは「仕事ですから頑張ります」という、良くも悪くもマチの評価はしないという姿勢。

 二つ目は半分は冗談にせよ、「これまで良いところを歩かせてもらってきたのでツケが回ってきました」という、ちょっとこのマチを下に見る姿勢。

 そして三つ目は「ご縁があってこのマチにようやくこれました」という、前向きで喜びを感じていたり幸せの種を探そうという態度で、大体この三つにくくられるものです。

 物事はとにかく、じっと同じところに止まっていずに動くことで何らかの感情が惹起されるものです。

 それをあえて押し殺すか、ネガティブに感じるかポジティブに感じるか。これを「人の性格に依りますね」という人もいますが、どうしてどうして。私は『人の考え方は意識して練習すれば変わる』と思っています。

 自分が何かをネガティブに考えているな、と誰かに言われて気が付けば、(そうか、これからはポジティブに考えよう)と思うことができますし、練習すれば自分で勝手に気が付くようになるものです。

  
 しかも本当にポジティブな人は、転勤して歩いていても決して前任地を悪くも言いません。「前任地が変なところだったのでここへ来てよかった」ではなく、「前任地も良いところでしたが、ここはもっといいんじゃないかな」と言う。

 こう考えることができれば、転勤するたびにより素晴らしい土地に移れるわけですから幸せに違いありません。

 
 「幸せは誰かが与えてくれるものではなく、自分で見つけるもの」だということに気が付くことと、それが自分の中で腹落ちして実践できるかどうか、ということですね。
  
 誰かが言っていました。「小松さん、庁舎から外国が見えるところってここしかないんじゃないですか?」

 うーん、気が付かなかったけれど、味わい深いなあ。


   【実はこの写真のど真ん中の方向に樺太が見えるのです】

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見えない財産

2015-04-07 23:45:00 | Weblog

 今日も市内で各方面へのご挨拶。

 こちらへ来る前から、「稚内への転勤」ということをお知らせしたところ、各方面から「それだったら、○○さんという方がいますよ」とか、「うちの稚内支社に××さんというかたがいます」という情報をたくさん寄せていただきました。

 始めて会ってから仲良くなるのと、信頼できる誰かに紹介してもらえるというのでは、出会ってからの親密度に大きな差が出てきます。

 "紹介する"というのは、実は紹介する側にもリスクのあることです。

 紹介してしまってから「あんな奴をどうして」と思われると、紹介者の信頼も失うからです。

 しかしそれを超えて、「あの人と彼とを合わせると面白いことになるだろうな」というフィクサー的な考えがあって、会わせた当人たちから「いやあいい人を紹介してくれてありがとうございます」と言われることは、後々の見返りなど全く期待することのない無上の喜びなのだともいいます。

 自分の知人と言うのはそれだけ財産なのであり、その人との間に良い関係があるというその関係性も財産です。

 私も多くの知人からの応援を受けていますが、これもまた財産と言えるでしょう。

 見えない財産って実は多いのです。

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九年前の名刺

2015-04-06 22:36:59 | Weblog

 時間を作って稚内市内でのあいさつ回りを始めました。

 稚内は過去に何度か出張で訪ねたことがあって、そのときに何人かの方に案内をしていただきました。

 今回市内あいさつ回りである金融機関の理事長をお訪ねしたところ、「やあ、お久しぶり、お待ちしていましたよ」と迎えてくれました。

 こちらは(あれ?どこかでお会いしたことがあったんだったっけ…?)と思い出せずにいたのですが、先方は「今日来られるというので探したら、九年前にお会いした時の名刺が出てきましたよ」とのこと。

「稚内東小学校へ入られて、高校は旭川なので私の子供の先輩ですが、大学では私の方が先輩ですね」とにこやかにおっしゃいます。

「確かに私は稚内日が小学校へ入りましたが、九年前の名刺と言うことで、その時に私が話したことを覚えていらっしゃったのですか?」
「いえいえ(笑)、当時のメモにそう書いてありました。私としては印象的な出会いだったんですよ」

 いくら印象的だったとはいえ、私もさすがに九年前の名刺は持ち合わせていません。

 人との出会いをこんなに大切にする方がいるものか。組織のトップに立つ方と言うのはこういうことの大切さをしっかりと考えて実践されているのだな、とちょっと鳥肌が立ちました。

 その後も稚内の今後のビジョンについて熱く語られて、こちらも大いにインスパイアされる素敵な時間でした。

 今日は挨拶だけだったので短時間の意見交換でしたが、次回にお会いできる日が楽しみです。

 人との出会いをこのくらい大切にする方もいるんだと、改めてショックを受けた今日のあいさつ回りでした。
 

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疲れるけれどスマホの契約変更を

2015-04-05 23:25:32 | Weblog

 スマホの契約をする際には、いろいろなオプションがついています。

 いや、オプションをつけなくても良いのですが、「まずはこれをつけておいていただくと3千円の割引になりますよ」とか「このセットをつけておくと、2千円の割引になるんです」と薦められて、ついその気になるという仕掛けです。

「これは今契約しておくとして、あとで取り外せるんですか?」
「はい、一か月はお試し期間でこの間は料金が発生しません。こちらとしては続けていただきたいところですが、この間に外されればその後は料金が発生しません」

 いかにも必要のないだろうな、と思うような有料のアニメや映像見放題オプションもあれば、スマホが水没した時の保険など安心提供プランなどもあり、しっかりと選別しなくてはいけません。


        ◆  


 契約から半月が過ぎ、お試し期間が過ぎてしまわないうちに外そうと思って、今日オペレーターセンターに電話をしてみました。

 電話がかなり混雑していてなかなか繋がりませんが、繋がってみるとオペレーターの方は実に感じが良くて、親切に契約内容を教えてくれました。

 繋がればあとは淡々と進むのは分かりましたが、まあ年寄りだったら面倒くさくなったり忘れたりして、料金を払い続けたりすることもあるだろうな、と思う感じ。

 新しい文明の利器や時代の変化について行こうと思うと不断の勉強が欠かせません。

 そもそもその勇気と覚悟がなくてなかなかガラケーからスマホに替えられなかった私ではありますが、この「変化について行く強い気持ち」こそ生涯学習の一つの側面です。

 さて、楽をしがちな自分の脳みそを少し苦しめてやるとしますか。

 

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稚内へ行ったら「まるみ寿司」へお行きなさい

2015-04-04 23:14:51 | Weblog

 稚内へ転勤になります、と言ったとたんに各方面から、「それならここの居酒屋へ行ってください」とか、「ここのお店にぜひどうぞ」という情報が山のように押し寄せてきました。

 それらをすべてこなすわけには行かないので、少しずつ世界を広げていこうと思いつつ、今夜は特に「ぜひ"まるみ寿司"へ行って下さい」と言われていたことを実行して妻と二人で出かけてきました。

 "まるみ寿司"さんは南稚内近くのオレンジ通りと言う繁華街にあるお寿司屋さん。「カウンターで良いですか」と言われて望むところと妻と二人で出かけていきました。

 ネットで見るとお話好きのご亭主ということでしたが、情報にたがわず、実に客あしらいの上手な方で実に生き様が私と合う方でした。

「お客様と話していてお伝えしたいことはたくさんありますが、お客様から知らないことを教えていただくのは実に楽しいです」

 好奇心をフルに発動して、客と自分を互いに高め合おうという姿勢が実にすばらしいと思いました。

「私は稚内出身なんですが、最初は日産自動車へ就職したものの、いろいろなご縁をつないでいるうちに、おやじの後をついでこの寿司屋を営むことになりました」

 ご亭主は札幌の寿司屋で修業をしたうえでこのまるみ寿司を継いだとのこと。

「ある時に素晴らしいイモ焼酎に出会ってしまってからは、その魅力に取りつかれてしまいました」と言います。

 全国には三千のイモ焼酎の種類があるそうですが、それらを大体味わった中で、手に入るお薦めの瓶を『趣味で(笑)』並べて客に提供してくれています。

「はあ、では一番芋くさいお勧めは何ですか?」と言うと、「『鷲尾』ですね。これはもう最高ですよ」

 そこから始まって、濃いイモ焼酎をぐんぐんいただくことになり、無上の幸せの極致。


 ご主人とぽんぽんと話が弾む雰囲気を通じて気が付いたのは、(これって、バーのバーテンダーのもてなしと同じだなあ)ということ。

 刺身を出したり寿司を握ったりしながら客の様子に気を配り、客からの質問や話題に的確な返しをして客を楽しませるというのは、単なる話し好きと言うのではなく、かなり高度な客あしらいの手練れです。

 お寿司屋さんでカウンターへ座ることの楽しさを改めて知ったひとときとなりました。


       ◆  


 実に楽しいなあ、と思っていたところへ、「こんちわ」と入ってきたのはなんとわが職場の若手の二人連れ。しかも、「あ、小松さんですか」と一気に素性がばれてしまいました。

 しかしなかなか職員と直に話す機会などないかなで、稚内の深い情報や特に釣りの話で盛り上がり、実に楽しい出会いになりました。

 海釣りからフライまで宗谷地域の釣り事情のディープな情報から熊対策まで幅広い話題で、あっという間に4時間が経過。こんなに時間が経つのが短いと思えたのは久しぶりです。
 
 チェーン店ではない、一軒個点の魅力を存分に味わった「まるみ寿司」さん。妻も「稚内へ来る楽しみが増えた」と大喜びでした。

 あまり話に花が咲きすぎて時間が過ぎてしまい、「最後にお勧めのお寿司を少し握ってください」とお願いして出てきたのは、見慣れない巻物二種類。

 一つはマグロと行者ニンニクの醤油漬けで、もう一つは山ワサビのすりおろし巻き。

「スタミナ巻きと涙巻きです(笑)」というご亭主のお薦めのお寿司に文字通り涙した二人でした。

 個性ある稚内のお店を回る楽しみのしょっぱなが「まるみ寿司」さんというのは素晴らしい出会いで、若手たちとのふれ合いも楽しい時間。

 稚内を楽しむには良いスタートが切れました。


 

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稚内市役所へバスで行ってみた市内旅

2015-04-03 21:52:31 | Weblog

 午前中は休暇を取って稚内市役所へ転入届を出してきました。

 市役所へ向かうのには、本当に久しぶりにバスに乗って見ましたが、走る路線は五十年前と同じでした。

 「次は鈴蘭幼稚園前」という案内を聞き、また「盆子原(ぼんこはら)歯科へ行かれる方は…」という50年前から開業していた歯科医の名前を聞いた時は、気持ちがタイムスリップしていました。


       ◆   


 市役所では住基カードでの転入届をしました。私は住基カードを持っているので、札幌市を転出する際は転出届が要りませんでした。

「住基カードに転出記録が入りますので、転出届は発行しません。転入先で届出書を書いてカードをご提示ください」と言われていたのです。

 慣れない自治体によっては、住基カードを見せられても「これはうちではできません」などというとこもあると聞いていましたが、稚内市役所ではコンシェルジュらしき男性がいて、実に丁寧に対応していただきました。

 転入の手引きをもらって、緊急情報ラジオを貸与されていよいよ稚内市民です。

 市役所前の道路標識の外国語表記がロシア語なのを見て異国情緒を感じますが、この新鮮さを忘れずにいたいものです。

 
 今日は朝から冷たい雨が風を伴って吹き荒れており、市役所を出た頃にはいよいよみぞれから雪に変わりました。

 天が「こいつは稚内を舐めてるから、ガツンとやってやらにゃいかん」と思ったわけではないでしょうけれど、本当に冷たくて寒くてシビレルような一日。

 夕方にはいよいよ風が真横に吹いて、稚内の風の強さを思い知りました。

 東京の桜はもう終わったかな。まだまだ稚内の春は遠いです。   

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ノスタルジックな風景~高台のNHK

2015-04-02 23:26:08 | Weblog

 稚内での着任初日。札幌を出るときは快晴で、気持ちの良い旅立ちとなりました。

 札幌から稚内までは特急で5時間。名寄まで来たところで丁度2時間半で、そこから先はスピードが落ちて走ります。

 ポケットルーターを手に入れたので、移動中でもインターネットができるので、少しは気がまぎれるようになりました。

 
       ◆  


 南稚内駅で汽車を降りて、新しい住まいへと向かいます。わりと新しい官舎で広さも十分ですが、その分寒そうな感じ。稚内は風も強くて、まだまだ寒い日が続きそうです。

 引っ越し荷物は午後に届きましたが、同行している妻が受け取って家の中の整理を進めてくれました。こちらはまだまだかかりそうです。


 私の方は職場へ初登頂し、初日の勤務は部内でのあいさつ回りとこれからの短期の予定調整。職場のパソコンを動くようにしたり、出勤時や退出時のシステムまで教えてもらうなど、まずは職場環境に慣れなくてはいけません。

 通勤の途中の道はまさにかつて幼い時に住んでいた地域に外なりません。とはいえなにしろ50年も前の事。なんとなく雰囲気はつかめますが、昔あったお店が今でもあるわけもなく、通りの雰囲気がつかめるだけ。

 それでも官舎から見える「白樺保育所」はかつて私が通った保育園。建物こそ建て替わっていますが、場所も名前もイメージ通りです。

 また何よりも高台にあるNHKの電波塔は昔のままで、子供の時分にあそこへ上るのは大冒険だったことが思い出としてよみがえります。

 さて、明日からはこのマチとその周辺をじっくり見て回ります。変わったろうなあ。

 

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