北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

お菓子も時代と共に変化しているんだな

2016-05-19 23:30:15 | Weblog

 

 先週行ってきた東北旅行。

 お土産は東北各地のお酒や地域の産物ですが、両親には南部せんべいの詰め合わせを買ってきました。

 南部せんべいは八戸藩で作られた非常食で、その由来には諸説あるようですが基本形は小麦粉を水で練って円形の型に入れて固焼きするというタイプ。

 通常のスーパーではゴマや落花生が入っているものを良く見かけますが、八戸駅で売られたいたものはなんと十三種類ものせんべい。

 定番の黒ゴマと落花生はもちろん、玉ねぎ、かぼちゃ、リンゴにイカ、果ては牛乳や納豆などの入ったせんべいもあります。

 「伝統の南部せんべい」で売り続けるのでも良さそうですが、その伝統を墨守するのにとどまらず、新しい試みを行っているところに感心しました。

 この中のどれかが新しい時代の南部せんべいとして定着してゆくでしょうか。


       ◆ 


 娘が帰省していて、「なにかお菓子はない?」というので、買いだめてあったお菓子を見せたところどうもピンとこない様子。

 どうやら好みのお菓子の趣味嗜好が我々世代とは合わないよう。

 考えてみれば、親の実家を訪ねると薦められるのは昔のお菓子が多くて、「これ、美味しいんだよ」と言われてもちょっとピンとこないことがあるのですが、まさにそれと同じことが我々の世代と子供の世代の間にもあるのかもしれません。

 そういえば見なくなったお菓子も多いですね。お菓子もどんどん変化したり新しいお菓子が登場していく中で、我々の記憶の中にあるお菓子の姿は過去の遺物になっているのかもしれません。

 お菓子も新しい味にどんどん挑戦しないと時代について行けないんですね。

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支笏湖畔の朝は美しい

2016-05-18 23:33:33 | Weblog

 支笏湖の朝はきれいです。

 特に昨日の朝は天気も良くて、早起きの目覚めには最高のプレゼントをいただきました。

 今の時期は湖の正面から日が昇るような形になり、湖畔にカッコイイ車で乗り付けてキャンプをしている風景って、まるで車やアウトドアギアのコマーシャルのよう。

 自慢の車を持っている方は、こういうシチュエーションで撮影すると最高の一枚が撮れそうです。


       ◆ 


 もっとも、釣りの方はからきしいけません。

 早朝の釣りも魚の出る気配なし。そもそも川筋が豪雨災害の影響ですっかり痛めつけられています。

 直径一メートルほどの大木も各所で倒れているし、渓流の趣がなくなってのっぺらとした大河の様になってしまいました。

 自然環境が落ち着いてくるのにはかなり時間がかかるかもしれませんね。


 午前中には知人から「支笏湖で釣りをするけど合流しますか?」という連絡が来て、湖の東岸でニジマス狙いの釣りもしてみました。

 前日に、背中が青くて珍しい"ブルー・バック"というニジマスを釣ったという友人からの誘いなので、二匹目のドジョウ狙いでしたがこれもまったく音沙汰なし。ライズ一つ見られずすごすごと退散です。

「あと一週間ってところですかね。ちょっと早いのかもしれませんね」

 本格的なシーズン到来が待たれます。

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支笏湖畔でキャンプ中

2016-05-17 23:33:33 | Weblog

 東京の娘が我が家へ帰省中。今週友達の結婚式が札幌であるのだそう。

「何かリクエストはあるかい」と訊くと「キャンプに行きたいかな」というので、それならと支笏湖畔の美笛キャンプ場へとやって来ました。

 このあたりは先週も山菜取りで近くを歩いていたところ。湖のすぐそばにあって遠くには恵庭岳が眺められ、すぐ裏に美笛川が流れて釣りも楽しめるというので、シーズンになるととても人気のキャンプ場です。

 しかしこの季節でしかも平日。数組のテントがあるだけで、静かなキャンプに身も心も癒されます。

 天気も良くて雨の心配はないのですが風が強くて背の高いテントはかなり煽られます。

 こんなときはロープでステイを強化。キャンプを始めたころに、買ったテントに付属のロープやペグしかもっていなくて風の強い時に難渋したときがありました。

 そのときに近くのサイトでキャンプをしていたベテランの年配の方から、「これ、使うといいですよ。差し上げます」と紐を何本かもらって助けられた思い出があります。

 それ以来、余分なペグとロープは常備するようにしていますがそれが役に立ちました。

 この美笛キャンプ場、二年前の九月の豪雨災害で大きな被害を受け、一時は復旧工事のために利用できなかったのですが、今では復旧工事も終わってまた使えるようになっています。

 しかし護岸工事の周辺などでは車の立ち入りが制限されていたりしてまだその余波を引きずっている様子。

 途中の国道453号線も、まだ砂防工事や護岸工事が行われており橋も仮設のところがあり、その被害の大きさがうかがい知れます。それにしても被害を受けてから早急に修復を果たしたわが開発局の仲間たちの仕事ぶりは立派なもの。仲間のことながら敬意を表します。

 キャンプ場では裏の美笛川も河道が大きく変わったり大きな木が倒れたりしていて、こちらでも被害の大きさが想像されます。

 さて、明日は釣りに行ってみますが魚はいるかな。

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稚内とコルサコフ間の定期航路、再開はいつの日か

2016-05-16 23:44:44 | Weblog

 稚内から知人が札幌出張とのことで、「飲みませんか」と声をかけていただきました。

 もちろんOKをして、最近の稚内の事やこれまでの歴史など、稚内にいた時にも聞けなかったような話で盛り上がりました。
 
 特に、昨年九月を最後に休止となった稚内~コルサコフ間の定期フェリー航路については、返す返すも残念な結果となりました。

 稚内市役所も定期航路の再開に向けて努力をしてくれましたが、事業主体や採算性など様々な事をクリアしなくてはならない中で、今年6月の再開は断念する方向です。

 個人的な思いとして、稚内在任中から考えていたことですが、稚内とコルサコフ間の定期航路は、稚内市とコルサコフ市との関係だけではなく、サハリン州と北海道という、より広域的な地方自治体間の問題であるはずで、さらに広げて考えれば、日本国とロシアとの国家間の問題でもあるのではないか、ということ。

【北海道知事がサハリン州知事と会談】 
 http://bit.ly/1ZXox5Q 

 稚内市が少ない財政力の中で無理をするには自ずと限界があり、高橋北海道知事さんもロシアサハリン州の知事と会談をして様々な協力の約束をしているのであれば、北海道とサハリン州との間の定期フェリーの再開などは大きな得点のはず。

 まして安倍総理がこの5月6日にわざわざロシアのソチを訪ねて経済協力と政治対話の加速を提案したのであれば、サハリン州との交流拡大は国家としての課題としても捕えられるのではないでしょうか。

 それなのに、その具体的な形としてのフェリー航路問題が、一地方自治体である稚内市の努力と頑張りに委ねられているというのはどうもバランスが悪いように感じられてなりません。

 道庁としての意思、国としての意思はどのように発言されるのかが良くわからないという何とも宙ぶらりんな状態に置かれているように思うのは私だけでしょうか。

 
 まあ元より正しい答えなどない問いではあるのですが、答えのない問いに自分なりの意思をもって実現に向けて周囲の共感と賛同を得るというのは政治の領域の話ではないか、と思うほどに、しっかりとした政治を実行してサハリン州との経済交流の拡大と充実を果たしてほしいと願うばかりです。

 昨年就任したサハリン州のコジェミャコ知事はプーチン大統領からの信任も厚いと聞きます。

 コトが実現されるには、「天地人」すなわち、天の時、地の利、人の和が揃う必要があると言われます。

 いまこそ現役で頑張っている人たちのさらなるがんばりどころの様に思います。是非とももう一度、フェリーでのサハリン旅行が楽しめるときが来ることを願わずにはいられません。

 美味しいジョージア(グルジア)ワインももう一度現地で飲みたいなあ。

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逃げ切ったタラの木~北海道春の山菜取り

2016-05-15 23:05:41 | Weblog

 穏やかな春の一日。野遊び仲間に誘われて支笏湖方面へ山菜取りに行ってきました。

 タラの芽はもうこの週末で終わりかな、と思いながら林に入りましたがまだまだ案外残っていて結構な量が採れました。

 人に芽を取られず残った木の中には上手いこと生長してもう5~6メートルの木になっているものもあります。

 ちょっとくらいの背丈の木だったら先端を引っかけて引っ張れば頭頂部の芽に手が届くのですが、さすがにこんなに高くなると引っ張りすぎて折れてしまうので山菜取りの人たちも諦めてしまうのでしょう。

 そういう意味では"逃げ切った"と言えるタラの木。がんばって種をつけて、我々の将来の為にも子孫を増やしてほしいものです。

 明るい林の中ではシラネアオイの群落もありました。咲くのがちょっと早くないかな。

 
 続いては支笏湖沿いの林道を行く山菜コース。事前の目論見では朽ち果てたミズナラの木に天然のシイタケがなっているかもしれない、とのことだったのですが、道路沿いからでは簡単には見つかりません。

 そのかわりに日当たりのよい斜面でウドを見つけてこちらも程良く収穫できました。

 アイヌの人たちの物語の中には、ウバユリなど食べられる植物の神様が「せっかく食べられようとこの世に降りて来たのに、気がつかないでいるとは何事だ。悲しいぞ」と怒っている姿が夢枕に立った、という物語りがあります。

 人間生活に役に立つものはみな神として崇めたアイヌの人たちですが、食べ物を採るときには採りすぎず、逆に採るべきものを採らないことにも申し訳なさを感じるというのは大変興味深い考え方ですね。

 
 採った山菜はさっそく天ぷらとウドは酢味噌和えときんぴらになりお酒の友となりました。

 まあ北海道の春は豊かさが一気に土から湧いてくるような季節です。


  【裏から見た恵庭岳 山頂ドームが見えません】

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蕎麦パーティは大人のホームパーティ

2016-05-14 23:44:44 | Weblog

 自宅でいつものように蕎麦を打ち、娘夫婦と孫を呼んでの蕎麦パーティですが、今日はこれに妹の旦那さん、つまり義理の弟も参戦。

 妹は蕎麦アレルギーで蕎麦粉の近くには寄れないという残念な事情で、義理の弟もずっと蕎麦屋から遠ざかっていたのだそう。

 ところが「実は蕎麦は好き」ということがわかり、「それは可哀想だ」ということで私の自宅で行う蕎麦パーティに招待したところ喜んで来てくれました。普段なかなか接する機会のない間柄でしたが距離感が一気に縮まって楽しい話で盛り上がりました。

 身近な親類でも実は案外会ったり心を通わせるような時を過ごすことって少なかったり難しかったりするものですね。身近な親類縁者も大事にしましょうね。


       ◆ 


 さて、「蕎麦前」と言えばお酒、それも日本酒と相場は決まっています。

 普段から旅先で仕入れたりネットで送ってもらっているお酒などを集めたら五種類ほどのお酒が並びました。

 なかでも真ん中の「金蘭黒部」は安曇野時代にお世話になった大町の市野屋商店さんの自慢のお酒。特に12月に出来上がりのお知らせが届く「新酒」は度数が19度という濃いお酒。フルーティながらガツンとくるエッジの効いたお酒です。

 右から二番目のお酒の名の入っていない便は、今回の東北旅行の際に秋田の両関酒造さんで買い求めた「蔵元限定」のお酒。酒蔵で採取された"蔵付酵母"で醸し出されたお酒だそうで他のお店では売っていないしお店のホームページにも載っていないという点で希少価値大。濃い味で美味しいなあ。

 岩手のお酒の「撫子」は、なでしこの花から取った酵母で仕込んだお酒だそう。世の中にはいろいろな酵母があるものですね。


       ◆  


 人数が増えると蕎麦を打つのも苦労しますが、わが家は家に蕎麦を打てるスペースがあるのでいつも楽しんでいます。

 家は上手に使って大いに遊びましょう。大人のホームパーティって楽しいですよ。

 

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香典が半額で済む方法

2016-05-13 23:06:12 | Weblog

 久しぶりにマチへ出て、ある会合の総会と夜の宴会に出席。久しぶりだとマチに酔いますね(笑)

 その会合は上は年齢が80歳代半ばの方から若い人は30歳そこそこまでと幅の広い参加者がいます。もう若い人たちは最年長クラスになると「あれは誰?」という状態。

 知らないのも無理はありません。私だって良く知らないほどの方ですから。でもそれだけの年齢幅が目的を一つにして語り合えるというのは、年代を超えて面白い集いです。

 
 いろいろなセレモニーが終わり乾杯で宴会が始まってしばらくして、一人の年長の方が壇上に立ってお話を始めました。

 それはこの会の設立当時のエピソードだったのですが、最後に一言。「もうすぐ私も死んで皆さんの中にはお香典を持ってきてくださる方もいるでしょう。しかしそれなら死んでからと言わず、今くだされば半額といたしましょう」

 会場は爆笑。でもよく考えてみるとお互いにとってメリットのあるwin-winなのかもしれないなあ、と感心した次第。

 困る人がいるとしたら残された遺族?でも死んじゃう自分には関係ありませんしねえ(笑)。

 『香典の半額セール』っていかがでしょう。仲の良い友達なら「おい、生きてるうちに出すから半額にしろ」って言えそうじゃありませんか。


 

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的確な観光情報はネットじゃ無理~やっぱり信頼できる人からだね

2016-05-12 23:37:34 | Weblog

 

 今回の東北旅では四日間で800km以上をドライブする旅でちょっと強行軍だったかな、と反省。

 地元へ行ってみてはじめてそこで見たいものを見る"ぶらり旅"のつもりでしたが、宿の距離が離れすぎていて、日中は興味が赴くままに見て回っても最後は延々と宿までドライブするというパターンに陥りました。

 妻とも、「もっとそこで何を見るかを事前に詰めていった方が良かったかね」と話しましたが、実は事前の情報ではなかなかコアな観光スポットを調べ上げるのが難しいのが現実です。

 観光情報誌に載っているのは本当に王道の観光ポイントか、あとは恣意的な宣伝の飲食店情報ばかり。自分たちの趣味や好みに合致したところを探すのは本当に難しいと感じました。

 その一例ですが、今回の旅の最後に岩鋳鉄器館さんを訪ねました。そこの展示館の中に、岩手県が"岩手"となった由来が書かれていました。

 それは、昔悪い鬼がこのあたりで悪さをするのに困り果てた村人たちが、岩手山が噴火した時に飛んできたとされる三つの岩で「三ツ石さま」と呼んで崇めていた神様に退治をお願いした。すぐに三ツ石さまはその願いをかなえて鬼を岩に縛り付けてしまわれた。
 鬼はびっくり仰天して、「もう二度と悪さはいたしません。この里にも出てきません」と詫びを入れ、その証として岩に手形を押して姿を消した。そこでこの岩に手から岩手という名になった、というお話。

 その三ツ石さまは盛岡の三ツ石神社というところにあるというので、できれば行ってみたかったという思いが募りましたがもう時すでに遅し。よくよくガイドを見れば書いてありますが、なかなか思いが至りませんでした。
 興味に合致したポイントへ効率的に行くというのは実に難しいものです。


       ◆ 

 
 今日も知人たちとそんな話をしていると、釣り好きの知人の一人が「全くそうなんですよ!」と強い口調になりました。

「ど、どうしたんですか」
「いえ、似たような話だなあと思いましてね。それは道央のある管理釣り場での話なんですが、そこは本州では考えられないくらい大きなニジマスがバンバン釣れるというので、本州の釣り人には隠れた人気スポットなんです。あるときそこへ行ったら、『ここで三日連続で釣りを楽しみました』という人がいて、よく聞くと新千歳空港からまっすぐこの釣り場へ来て三日泊まってそのまま空港から東京へ帰るというんです」

「すごい旅ですね!」
「確かにすごいんですが、我々からするとそのすぐ近くの自然河川には野生の魚がポンポン釣れるポイントがいくらでもあるんです。それで『いくら管理釣り場で釣れると言っても三日もやれば飽きちゃうでしょう?』って訊いてみたら、そこがどこかわからないし熊も怖いし、川歩きのウェイダー(胴長)もないというんです。結局彼らは面白い釣りの現場情報にたどりつけなくて、そこの釣り場情報しか分からなかったというわけですよ」

「なるほど。我々だったら釣りのガイドができる友人やガイドのプロを紹介することだってできますよね」
「でしょう?小松さんも、ガイドブックやネットでは本質になかなかたどりつけないと思ったでしょう。そこでカギになるのが人の縁や紹介という"繋がり"なんだと思うんです」

「そうかあ。現地へ行く前に友達ネットワークで『今度○○へ行くんだけど、お薦めの場所はありますか?』と訊いておけばいろいろと教えてもらえたんですね。うーむ」


       ◆ 


 実は旅の最中に多くの知人から、「山形へ来たならここへ行ってみて」とか「それならここはどうですか」という声がフェイスブックなどで寄せられていたのですが、情報が土地を離れた後に届いてかないませんでした。

 新幹線もレンタカーも宿も、ネットで予約ができる時代になりましたが、結局現地のコアな観光情報はネットではたどり着けないというのが現実。

 私が旅へ行ってみてそうなのだとしたら、北海道へ来るお客様たちもきっとそれに似た思いをしながら道内を旅しているのではないでしょうか。

 もっと分かりやすくて好みに応じた旅の提案情報に接してもらうにはどうしたらよいでしょうか。

 できれば事前に普段から道内の観光情報に接してもらうと言うのが良さそうですが、そのためにはどうすればよいでしょう。

 ネットをひらけば何万と出てくる情報に重みや価値づけができるのは結局人間であり、信頼という要素が必要だということのように思います。

 旅と情報について思いを深めた東北旅でした。

 

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南部鉄器はいいね~東北旅最終日

2016-05-11 22:57:36 | Weblog

 

 いよいよ東北の旅最終日。朝から強い雨の中、ホテルを出発して南部鉄器の「岩鋳(いわちゅう)鉄器館」を訪ねました。

 こちらは南部鉄器の展示販売をしているところで、様々な鋳物の作品が見られるほか、職人さんたちが実際に鉄瓶などを作っている所の見学もできるところです。

 南部鉄器は、古いものは平安時代にこの地方に技術者を招き入れて鋳物を作らせていたという記録があるそう。岩手には、砂鉄、木炭、鋳型の材料となる質の良い砂と粘土が調達できたことから産業として盛んになったのです。

 江戸時代には藩の支えもあって日用品はもちろん、梵鐘や燈籠などの大作もつくられ、さらには幕末には大砲も製造されたそう。

 鋳鉄の品は何度も廃りかけたことがありましたがそのたびに盛り返してきた不思議な歴史があります。

 明治になって後ろ盾となっていた藩がなくなって廃れかけた時には、いくつかの展覧会で賞を取ったり、また東北本線が開業したことで生産と流通の体制が整って見事に売れ行きを回復。

 明治後期に再び廃れかけた時には、時の皇太子(後の大正天皇)が東北を行啓された際、八代小泉仁左衛門が鉄瓶の製造を実演して見せて話題を呼んだことをきっかけにまた盛り返す。

 終戦後にはアルミニウム製品などに押されて日用品としての地位が大きく後退しましたが、近年になって鋳物製品の鉄による健康への効果が見直されたり、煮る焼くなどの調理用具としての引き合い、さらに海外からも注文が増えるなど、また違った形で人気が出ています。

 特にここ岩鋳さんでは従来の鋳物にはなかった、赤や緑などカラフルな鋳物作品を作り海外での人気が出ています。

 展示品を眺めていて、(ちょっとセンスが良いなあ)と思うような作品は注文から納品まで三か月から半年待ちというものもあって、人気のほどがうかがえます。

 お店の方は、「鋳物は一つ作るのに一か月くらいかかるのと、なかなかすぐに作るというわけにはいかなくて申し訳なく思っています」と話してくれました。

 さんざん見学して眼福を得ても我々は小物しか購入しませんでしたが、考えてみると我が家にはかつて買った鉄瓶があるので、まずはこれを使って健康なお茶やコーヒーを飲んでみようと思います。

「錆びたらお茶を煮出してタンニンと反応させることで錆びを防げますよ」とも。鋳物について良い勉強になりました。


       ◆ 


 盛岡駅から再び北海道新幹線「はやぶさ」に乗り込んで帰路につきました。

 しかし新函館北斗駅で、札幌から来た特急が函館で折り返して札幌へ向かうところが、倒木があったとのことで大幅な遅延が発生。予定よりも一時間以上遅れての札幌到着。

 実は旅の途中、二人して風邪を引いていたようで全体に具合が悪い中での旅だで、地域の名物もほとんど食べられない情けない旅でした。しかしそれでも事故もなく無事に帰ってこられたのでよしといたしましょう。

 旅の総括はまた後日。お付き合いいただきありがとうございました。

    

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石ノ森章太郎ふるさと記念館~東北旅の三日目

2016-05-10 21:27:31 | Weblog

 いよいよ旅も後半。今日は仙台から盛岡まで移動です。

 東北地域は朝から断続的に雨が降っていて行楽にはちょっと厳しい一日となりました。

 仙台からは海沿いの道で石巻市へ向かい、そこからさらに海沿いを女川、南三陸町へと向かいました。

 東日本大震災による大津波からの復興の姿を見てみたいと思ったのですが、道路では大型ダンプとのすれ違いが多く、今でもまだ大量の土が動いている印象です。

 小さな入り江の地区でも高台の空いた場所は土地の造成が行われていて、また市街地には仮設住宅があり復興の道半ばであることが思い知らされます。

 落ち着いたとはいえ、まだまだ忘れてはいけないなと思います。


       ◆ 


 盛岡へ向かう途中で、宮城県登米市にある「石ノ森章太郎ふるさと記念館」に立ち寄りました。石ノ森章太郎さんはこの町で生まれたのです。

 

 

 最近は漫画家の記念館が少しずつ増えていますが、石ノ森章太郎さんは私の世代にとって印象的な漫画家の一人です。

 彼は「サイボーグ009」や「幻魔大戦」にドキドキさせられ、またテレビドラマ「仮面ライダー」や「人造人間キカイダー」、「ゴレンジャー」などの原作者としても活躍しました。
 
 館内の常設展示では石ノ森章太郎さんの漫画家としての歴史を彩ったキャラクターや思い出の品々などが展示されています。

 トキワ荘時代に写した赤塚不二夫さんとのツーショットなどの写真もありましたが、同時代の漫画家たちがだんだんトキワ荘から出てゆく中、最後まで残ったのが石ノ森さんだったそうです。

 彼は幼い時からマンガ雑誌を読み、「これくらいなら俺でも描ける」として自作の投稿を重ね自信を深め、手塚治虫にも見出されたことなどから18歳で単身上京して漫画家を目指したのです。

 最初のうちは食えなくてアニメ会社に就職したりもしたようですが、一本立ちする漫画家としての道を目指し、多作の漫画家として知られていたとか。

 彼の先見性は、紙ベースのマンガ作家にとどまらず、テレビのドラマの原作者としてそのデザインや構想に加わって成功したこと。仮面ライダーシリーズは彼の没後も新たなキャラクターがどんどん誕生していますが、彼の名は原作者として登場しています。

 彼の作品の一つに「ロボット刑事」というマンガがあるのですが、彼は「良い構想だと思ったのだが、後にハリウッド映画の『ロボコップ』がヒットしたときは、どうしてこれを日本の誰かが拾ってくれなかったかと悔しかった」と書かれていました。

 先進的で多作な彼の作品を楽しみ癒された人も多いことでしょう。

 ちなみに彼の本名は小野寺といい、石ノ森は彼の生まれた地区の名前です。故郷を大切にした彼の思いが伝わってくる「石ノ森章太郎ふるさと記念館」でした。

 石巻市には「石ノ森漫画館」もありますが、彼の故郷に建つこういう施設もいいですね。


【石ノ森章太郎ふるさと記念館】
 http://www.city.tome.miyagi.jp/kinenkan/

 

 

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