さて今日からの東北旅。
新函館北斗駅からの新幹線はスムースに発信。ホームでは写真を撮る鉄道ファンがたくさんいました。
車内放送は親切にも、「11時01分頃に青函トンネルへ入ります」と情報提供してくれて、おまけに青函トンネルのミニ知識まで教えてくれました。
新幹線は午後一時前に盛岡駅に到着。盛岡は石川啄木の生まれた村が今は合併して盛岡市になっているということがあって、釧路にいた時に啄木没後百年関連のシンポジウムを盛岡市で開催した際に釧路代表として訪ねたことがあり、5年ぶりの訪問となります。
しかしきょうのところは市内観光は後回しで、駅近くで予約してあったレンタカーに乗り込んで一路山形方面へと移動を開始です。
東北自動車道から秋田自動車道へ乗り換え、さらに横手自動車道で南下します。しかしここまで来たら釧路と姉妹都市の湯沢市を忘れるわけにはいきません。
二度ほど訪問団を引き連れて訪ねてきたことがあり、地酒の「両関(りょうぜき)」は銘酒です。そこで湯沢インターで高速を降りて湯沢市内を巡り趣のある両関酒造で蔵元限定のお酒をゲット。
建て替えるという話を聞いていた湯沢市役所の庁舎も現代的なガラス張りの立派なものになっていました。
市役所は災害時には全ての業務の中心になる拠点ですから、古いままで被災したら大変なことになることでしょう。
市民から「贅沢だ」と批判されることを恐れて古い庁舎の建て替えを躊躇するところもあるかもしれませんが、勇気を奮って市民に説明して理解を得る努力をすべきところです。
「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」ですね。本当の大善への勇気が必要です。
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さて、湯沢市の隣の雄勝町(おがちまち)は、平安の女流歌人小野小町の生誕地を売りにする町です。生誕地は諸説ありますが、まあこのあたりというのが通説になっているようです。
小町堂というお堂がありました。
ここはもともと芍薬塚という塚を祀った小町神社があったとのことで、老朽化によって今の形に変えたのだとか。
芍薬塚とは、小野小町に惚れた深草少将が99日にわたって芍薬を送り続けそれを小町が植えた場所という故事に由来するようです。
なお、このお堂の裏地に江戸中期の放浪の随筆家菅江真澄がここを訪れたという説明書きがありました。歴史物語のある場所ってうらやましいですね。
今日は鶴岡市に宿泊。夫婦して風邪気味で体調が心配です。どんな珍道中になるやら。