北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

それは根性じゃないです。単なる頑固です。

2016-05-20 23:39:44 | Weblog

 

 先日知人と飲んでいて、昔はやっていたけれど今はもうやらなくなった趣味の話で盛り上がりました。

 その典型はスキューバダイビングで、本州にいた頃と違って北海道へ戻ってきてからはとんとご無沙汰です。

「大体小松さんなんて、北海道に住んでいるんだから無理して遠くの暖かい海へ行くよりも裏山のスキー場で憧れの北海道スキーを楽しめばいいんじゃないの」
「そういいますけど、なんだかスキーはもう楽しくなくなっちゃって」

「どうして?」
「もういくらやっても一向に進歩がみられなくってモチベーションが湧かないんです」

「それは頭の中がまだ二十代だからじゃない?もうあなたも還暦間近だよ(笑)。ゆるいスロープを上手に滑るんでも良いじゃない」
「そうですねえ。多分今若い時の気持ちで急斜面に入ったら確実にケガをすると思いますが、頭の中は若い時のままなんですよ」

「まあ敵はその辺にありだな(笑)」


       ◆ 


 続いて話題は家の話に。「単身赴任が終わったのに家の荷物が整理しきれない」という話をしたところ、「実はうちも似たようなことがある」と言います。

「もう子供は独立して家を出たにもかかわらず、その部屋が無駄に子供のモノで占領されているんだ。スペースの無駄だなとも思うんだけど、さすがの妻も『子供が返ってきたときに可哀想だ』なんていって、整理しようとはしない」
「なるほど、うちは娘の部屋を整理して僕の部屋にしちゃいました」

「それは立派だね。うちはなんだか子供たちが小さかった時の家のイメージを拭いきれないね。ハウスじゃなくてホームなんだなあ」
「つまりは自分たちの家族のステージが変化していてもう昔には戻らないのに、昔にこだわっている…と」

「本当にそうかもしれないな。周りが変化しているのに自分の頭の中だけが頑なに変化を自覚することを拒否しているのか」
「さっきの私のスキーの記憶と一緒ですね。もう体のステージは変わっているというのにそれを自覚しようとしないというあたりが」


 そう気づいて二人で爆笑しましたが、考え直すと深い気づきがありました。

 周りはもう変化しているのにそれについていこうとしない頑迷で意固地な気持ちが新しい行動を起こさせない一番の敵であること。

 下手をすると、そういう頑迷さを持ち合わせているということにすらしばしば気が付かないでいること。

 自分の頑固さを根性などの良い気質と思ったり、わざと混同させてごまかしていないでしょうか。

 まさにそれを振り切れるのが「断捨離」です。気が付いた時が行動を起こすとき、ですね。

 

 

コメント
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