今回の掛川訪問は、私の使える時間があってなおかつ榛村元市長さんにも余裕のあるうちに、榛村さんが言い出した"生涯学習"について振り返ったお話を聞きたいと思ったものでした。
榛村さんも今年で八十二歳になり、また地方行政の一線から退かれて十年以上経つということで、いろいろなことを忘れてしまわないうちに記録や記憶しておきたいと考えたのです。
もともとは三十代の後半に、森林組合にいて住民が都市へ行ってしまって過疎になる現実を憂い、なんでもかんでも都会志向を再考して都会へ出ずに地方で暮らすことも良いのだと価値観を変えたい、と思ったのが始まり。
「そのためには都会志向の教育を変えなくてはだめだ、と思ったんだよ。それが生涯教育、生涯学習の始まりだね」 そう榛村さんは回顧します。
「すぐに反応は出ましたか」
「いや、それを言い出してからは、地元に残った若い人たちが、地域に残って村づくりをしてきた先人たちの批判勢力になるという負の面がありました。『あなたたちがちゃんとしないから、地域が疲弊した』ってね。そうではないんだけれど、そういう側面があったということだなあ」
「そこから始まって生涯学習の体系が少しずつ出来上がっていったのですか」
「さっき言った森林組合での活動が、政治をする人たちの目に留まって『こいつに市長をやらせてみたらどうか』ということでまとまって偶然市長になったようなものだった。しかし市長になってみると、市民の幸せとか良い地域を考えるうえでいろいろな課題があった。
そのころから高齢者問題は本人も地域社会も大変になると思ったが、それを乗り越えるためには一人一人の問題として頭を使ってボケないようにすることが基本で、そのためには各人が自分の健康をちゃんと考えることが必要で、それも生涯学習の一つの目的になった。そうやって自覚をもって勉強を続けて、後世に良い地域社会を残すよう貢献して死んでゆこう。そういうことを体系立てたのが生涯学習になったようなものだね」
そういう意味では、生涯学習という語感から文部科学省が彼らの所管としてとらえた行政領域なのですが、テーマはまちづくりであって、決して教育とか学習ということにとどまるものではありません。
「中央省庁でも、学校教育は文科省の所管なんだけど、それが緑や森林学習ということになると農林省の所管とか、環境教育は環境省が担当するとか、結局教育も各省庁の所管通りの縦割りなんだよ。だからそれらを統合してしっかりとまちづくりにつなげるためには地方自治体が頑張らなくちゃいけないんだよ」
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かつて何度も聞かされた話もありましたが、それでもなお「なるほど」と思わせるような興味深い話もありました。
「榛村さんは地方行政を担わないといけないという責任感が強いように思いますが」と水を向けると、「明治維新って、薩長土肥が徳川憎しで潰したんだけど、潰してみたところで何をどう作ったらよいか、ということが分からなかったんだ」とおっしゃいます。
「考えてみればそうですよね」
「そのときに、うちもそうだけど地方には十代以上続いた家が"豪農牧民官"として『こりゃなんとかしなくちゃいかん』ということで地域を支えた。全国で七~八千軒くらいあったと思うけど、地域を混乱に陥れないようにと頑張って支えたんだよ」
「豪農牧民官…ですか」
「はは、旧自治省は牧民思想と言って、『民を牧(やしな)う』ことが自分たちだという考えだったんだよ。しかし第二次大戦の敗戦によって財閥が解体されたのと、農地解放で豪農が力を失ったね。今は地域社会を支える力のあるような存在がなくなったんだろうな」
エリート意識ではなく、良い意味で弱い民を養うという側面が出されれば良い行政になりそうです。
榛村さんは「地方の首長はそのまちの中で一番生涯学習をしてどんなテーマでもどこに書いてあるか、くらいはしっておかないといけない、と思ってやってきたがなあ」と言い、一瞬舛添都知事のことが一瞬頭をよぎりました。
四時間のインタビューでしたが、あっという間に感じました。