昭和の初め、人文地理学の研究者・秋野は、緯度的には南九州とほぼ同位置に存在する大きめの島・遅島で、亡くなった主任教授のやり残した仕事を補完しようとフィールドワークをしていた。
古代、修験道のために開かれた島と伝わっていたが、モノミミというさらに古い信仰や、廃仏毀釈によって破壊され跡形も無い寺など、そこにはもっと複雑な背景があった。
また、島に住む素朴で温かい人々は、両親と許婚を亡くした秋野の心を癒していった。
それから戦争を挟んで50年後、再び訪れた遅島は、あまりにも大きく変貌していた。
フィールドワークをしている時は、ひたすら淡々と時が流れているように感じられましたが、50年後、それらの出来事、自然、遺跡、人々がどれほど大切なものだったかを、秋野と共に痛感しました。
秋野には多分、論文を書いていれば少しは・・・という思いが心をよぎったのではないかと思いました。
高度成長期、各地でこのような思いを抱いた人々がいたのでしょう。
古代、修験道のために開かれた島と伝わっていたが、モノミミというさらに古い信仰や、廃仏毀釈によって破壊され跡形も無い寺など、そこにはもっと複雑な背景があった。
また、島に住む素朴で温かい人々は、両親と許婚を亡くした秋野の心を癒していった。
それから戦争を挟んで50年後、再び訪れた遅島は、あまりにも大きく変貌していた。
フィールドワークをしている時は、ひたすら淡々と時が流れているように感じられましたが、50年後、それらの出来事、自然、遺跡、人々がどれほど大切なものだったかを、秋野と共に痛感しました。
秋野には多分、論文を書いていれば少しは・・・という思いが心をよぎったのではないかと思いました。
高度成長期、各地でこのような思いを抱いた人々がいたのでしょう。