物語は明治22年春、河鍋暁斎の通夜から始まる。
主人公の娘、とよは5歳の春より父から絵の手ほどきを受け始め、絵描きとして曉翠を名乗る。
ただ女というだけで半人前として扱われ、しかも兄、曉雲は、12年前に17歳で養子先から戻ってから稽古を始めたのにもかかわらず一番父の奔放な筆を引き継いでおり、かつ、とよを憎んでいる。
とよとしても父から娘ではなく、弟子としてしか見てもらえていなかったのではという思いを抱いている。
いくら通夜から葬儀までの世話を引き受けてくれる大店の主がいて、その場でよく気をきかせてくれる弟弟子がいたとしても、頼りになる身内が1人もいないというのは心細かっただろうと感じました。
また、時の流れとは言え暁斎の絵が流行おくれとしての扱いしか受けられなくなり、同時にそれを引き継ぐ自分たちも同様の見方しかしてもらえず、その才能と努力を認めてもらえないというのは歯がゆく、先行きが不安になるとともに誇りを傷つけられるものだったと考えました。
さらに娘を授かって母にはなったものの、自分自身も父と同じように娘に対するのではないかという不安もきつかったろうと思いました。
彼女が晩年に至って人生を振り返るにあたり、その心の波がいくらかでも凪いでいたらいいなと感じつつ本を閉じました。
とても波乱に満ちた生涯だったと思います。
主人公の娘、とよは5歳の春より父から絵の手ほどきを受け始め、絵描きとして曉翠を名乗る。
ただ女というだけで半人前として扱われ、しかも兄、曉雲は、12年前に17歳で養子先から戻ってから稽古を始めたのにもかかわらず一番父の奔放な筆を引き継いでおり、かつ、とよを憎んでいる。
とよとしても父から娘ではなく、弟子としてしか見てもらえていなかったのではという思いを抱いている。
いくら通夜から葬儀までの世話を引き受けてくれる大店の主がいて、その場でよく気をきかせてくれる弟弟子がいたとしても、頼りになる身内が1人もいないというのは心細かっただろうと感じました。
また、時の流れとは言え暁斎の絵が流行おくれとしての扱いしか受けられなくなり、同時にそれを引き継ぐ自分たちも同様の見方しかしてもらえず、その才能と努力を認めてもらえないというのは歯がゆく、先行きが不安になるとともに誇りを傷つけられるものだったと考えました。
さらに娘を授かって母にはなったものの、自分自身も父と同じように娘に対するのではないかという不安もきつかったろうと思いました。
彼女が晩年に至って人生を振り返るにあたり、その心の波がいくらかでも凪いでいたらいいなと感じつつ本を閉じました。
とても波乱に満ちた生涯だったと思います。