興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

菜園は春の作業スタート!

2025-03-12 | 菜園の四季

昨日、今日と、菜園作業に行ってきた。わが家の菜園は、家から歩いて8分ほどのところにある。

昨日はグリンピースの畝(うね)に、グリンピースの蔓(つる)をはわすネット(蔓ものネット)を張るための、ネット用の支柱を立ててきた。

畝に沿って縦の棒を9本地中にさし込み、横棒を渡してヒモで固定。

さらに縦棒の補助棒を、畝のわきに立ててきた。

 

 

 

   

今日、この支柱に「蔓ものネット」を張ってきた。

これから初夏にかけて、グリンピースの蔓と葉がどんどん生長し、高く伸び、この網にからみついてくる。

ネットの支柱を地中に深くさし込んだから、グリンピースが豊作になってたっぷり実っても、少々の風ならネットが倒れることはないだろう。

6月にはさや(莢)に実が入り、収穫できる。グリンピースご飯が、最高に美味。

 

 

 

   

今日のわたしの作業は、タケノコイモ用の畝を耕し、施肥する手伝い。

この畝は昨年から先ほどまでライ麦を植えていた場所。ライ麦は耕す直前に菜園管理者の家内が刈り取った。(干して、敷きわらに使う)

わたしが畝を耕し、下に掘り、そこに家内が肥料を入れる。(写真)
肥料は鶏糞、牛糞に、家で作ったボカシ肥料。それに米糠。(すべて有機肥料)

そのあとわたしが、わきに除けておいた土をかぶせた。湿気を吸った春の土は重い。今日は重労働であった。

これで、5月にタケノコイモの種芋を植えるまでのあいだに、春の雨と日差しで、肥料と土の熟成が進み、最高の土壌となる。

タケノコイモはサトイモの一種なのだが、サトイモよりクセがなく、やわらかく、好みにもよるが煮物には最高である。

晩秋の収穫が楽しみだ。


日本の三大七味を味わう

2025-03-11 | 随感・偶感・歳時感

日本三大七味を買いそろえた。 

 

上の写真左から長野・八幡屋磯五郎、真ん中が東京・やげん堀、一番右が京都・七味家。それぞれの七味が日本の三大七味といわれている。

 

なぜそろえたのかというと、自分で実際にこの三者の味比べをしてみたくなったからだ。

日本の七味のベストスリーというからには、どれも美味しくないわけがないだろう。でも、ほんとうのところどれがいちばん美味しいのだろう。

 

また、七味は唐辛子のほかに山椒、陳皮、胡麻、生姜など、7種ほどの香辛料を使っているようだが、店によってその材料と配合割合が違うという。ということは三者で味、香り、辛さにどういう差があるのだろう?

 

興に駆られたわたしは、次第に居ても立ってもいられないような気持になり、自分で実際に食べ比べをすることにした。

 

八幡屋磯五郎はすでに持っていたので、あとの二つを購入。やげん堀は昨年秋、浅草に行った折、新仲見世本店で買い、七味家は京都の本店から通販で入手した。

 

八幡屋磯五郎は十数年前長野・善光寺前の本店で買って、以来長く愛用している。(中味の詰め替えは近くのスーパーで買える)

 

 

 

 

 

   

味比べは、お新香(糠漬け)に七味を少しずつ付けて、違いを見きわめることにした。(上の写真)

 

白い皿の上に出した七味は、左から七味家(やや黒っぽい)、真ん中がやげん堀(茶色)、右が八幡屋磯五郎(赤みが濃い)

それぞれを少しずつキュウリ、ナスなどの糠漬けに付け、香りを嗅ぎ、ゆっくりかじってみた。

ワインのテイスティングならぬ七味のテイスティング。日本酒の利き酒ならぬ ‘利き七味’ である。

 

はたして結果はどうであったか。わたしの鑑定結果は以下の通り。

 

七味家の七味は香りと辛みが渾然一体となった旨さ。やげん堀は香ばしさが立った味。八幡屋磯五郎は上品な香りのあとにしっかりした辛みがくる。

 

もちろんこれはわたしの私見。お新香でなく焼き鳥であったり、熱いうどんであったりしたら、評価はまた違うものになったかもしれない。

 

また実際のところ、七味をあれこれ続けて味わっているうちに、舌が麻痺してきて、何が何だか分からなくなってきたというのも正直なところである。

 

そんな状況ではあったが、結論めいたことをいうと、今回わたしはやげん堀の香りの高さにいちばん心ひかれた。

七味の材料にプチプチした歯触りの素材(麻の実か)も入っていて、噛んでいても楽しかった。

 

こんど七味が切れたら、やげん堀を買おうと思っている。今回の味比べでたくさん買ったので、当面切れそうにないが……。


ちらし寿司で晩酌

2025-03-04 | 美酒・美味探訪

きのうはひな祭り。

ひな祭りといえばふつうは雛人形と来るが、わが家ではちらし寿司と来る。
娘も独立しているし……。

家内がちらし寿司を作ってくれた。レシピは以下の通り。

今回の酢飯には黒酢を使った。ご飯が薄茶色。
これに、煮たニンジン、かんぴょう、しいたけをまぜて冷ましておく。

冷めたらここにさまざまなトッピングを載せる。(あるものでよい)

今回使ったのは天然ブリ刺身、マグロ刺身角切り、シラス、薄焼き卵(金糸卵)
とびっこ卵、花なると、そぼろ、紅生姜、塩ゆで菜の花。

酒はとりあえずサッポロのサクラビール。近くの河津桜も咲いたことだし……。
のち高清水の普通酒を冷やで。

晩酌にはちらし寿司は最強である。
手元にワサビをそえた醤油の小皿があれば、トッピングの刺身をつまみにできる。鮨飯も美味しい。


近くの河津桜がようやく開花

2025-03-03 | 季節の移ろい

2、3日前、散歩道対岸の河津桜が、ようやく咲いた。例年より1~2週間遅い。

本ブログでは、この木をほぼ毎年記事に上げているので、それが分かる。
今年は1~2月がたいへん寒かったから、開花が遅かったのはそのせいかもしれない。

 

 


   

こちらはいちばん上の写真の木の、50メートルほど左にある2本の木。花が咲いている。

これも河津桜だと思う。毎年同じ時期に開花するから。

 

 

 

   

近くで見た右側の木。まだ3分咲きといったところ。(きのう2日)

 

 

   

こちらは同じく近くで見た左側の木。これは5、6分咲きか。


きのうは20度越えの暖かさだったのに、きょうは一転冷たい雨の、真冬の寒さにもどった。

この冬は寒い冬だった。3月に入ってもまだこの寒さ。早く春らしい春になってほしいものだ。「今は温暖化だ」などと言ったのはだれだ!(八つ当たり)


寒さがゆるみ、菜園も本格始動

2025-02-26 | 菜園の四季

わが家の庭の梅がきょう26日、ようやくほころび始めた。

花芽は前からふくらみつつあったのだが、寒波がこの10日間ほど居座り、寒さがゆるんだきょう、やっと開花ということになった。

例年より1~2週間遅い。

 

 

   

開花した花は二つか三つ。

今年は花芽が多いので、咲き切ったら見栄えがすると思う。


 

 

   

今朝、家から徒歩8分ほどのわが家の菜園に、これまで家で育てていた苗の一部を、移し替えに行ってきた。

今朝菜園の畝に移し替えたのは、とんがりキャベツ、玉レタス、サニーレタス。

 

 

   

これは苗を育てていた紙製の鉢。このまま植えれば鉢は溶けて、土に同化するようだ。

菜園の世界もいろいろ工夫がなされているのですね。


苗の植え替えという軽作業をしたのは、菜園管理者の家内。
わたしはインゲンを植える畝と落花生を植える畝、二畝をクワを力いっぱい振り下ろして耕すという「重作業」。

疲れました。

この冬、寒くてウオーキングをサボり、ろくに体を動かさなかったせいでしょう。


もうすぐ菜園デビュー

2025-02-14 | 菜園の四季

わが家では今、菜園用の苗が育っている。
今あるのは、キャベツ、サニーレタス、ブロッコリー、カリフラワーなど。

3月には、家から歩いて8分ほどのわが家の菜園に植え替えられる。

苗たちは、レギュラーシーズン(ペナントレース)を前にキャンプインしたMLB選手、日本のプロ野球選手のようなものですね。
陽の光を浴び(基礎練習を重ね)、体力をたくわえている。


野球のキャンプ地では、テレビを見ると、ファンが訪れてにぎやかなようだが、わが家の苗キャンプでは菜園管理者の家内が一人。

日がよく当たるように、朝は東側の窓際に、昼は南側の窓際に苗の入った箱をこまめに移しかえ、夜は夜で冷えないように箱全体に不織布をかぶせ、毛布代わりにしている。

こうして苗たちは、種から芽が出て、葉が伸び、ここまで大きくなった。菜園デビューも間近である。

 

 

   

   これはサニーレタス。

 

 

   

   これはブロッコリー。

苗はこれから、もっともっと増えてくる。


語尾に「やか」の付く言葉

2025-02-13 | 言葉ウォッチング

先日ふと気がついた。

「穏やか」「爽やか」など、語尾に「~やか」の付く言葉には、人間にとって好ましい状態を形容するものが多い、と。

 

「穏やか」「爽やか」のほかにも、「和やか(なごやか)」「にこやか」「伸びやか」「晴れやか」「健やか(すこやか)」などがあり、これらはいずれも、こうありたい、こうあってほしいと思えるものばかりである。

 

「やか」という語自体に「好ましい」という意味があるのかなとも思ったが、そうでもないらしい。

「冷ややか」(な視線を向ける)、「まことしやか」(な嘘をつく)などは、かならずしも好ましいこととはいえないし、「速やか(すみやか)」「ゆるやか」などは、好ましい、好ましくないの枠をこえた表現である。

 

辞書で「やか」を引くと、「いかにもそのようなようすであるという意。状態を表す語に付いて形容動詞の語幹をつくる接尾語」とある。(デジタル大辞泉)

つまり、「やか」そのものには、好ましい・好ましくないの意味はなさそうだ。

 

このような ‘~やか言葉’ で、まえから気になっていた言葉が三つある。「さやか(清か)」、「けざやか」、「たおやか」だ。

いずれも今は一般にあまり使われていないように思えるので、わたしの好きな言葉ではあるが、自分では使いにくい。

 

「さやか」は、「秋来ぬと 目には ‘さやかに’ 見えねども・・」という古今和歌集の藤原敏行の歌にもある。「はっきりと」という意味で使われている。

 

「けざやか」は「きわだって、くっきりしている」という意味で、「○○山は ‘けざやかに’ 東の空にそびえる」というように使う。

 

「たおやか」は「ものごし、態度などがものやわらかなさま。気だてや性質が、しっとりとやさしいさま」という意味で(精選版日本国語辞典)、わたしの見つけたこの言葉の用例としては「凛として ‘たおやか’ に」がある。(いつも行っている歯医者さんで飾ってあった絵手紙のなかに書かれていた)

 

凛としてたおやかに・・・、意味は「穏やかな中にも態度がきりっとしている。優しいが芯がしっかりしている」ということであろうか。素敵な言葉ではないか。

 

「たおやか」は女性に対して使われることが多い、と説明している辞書もあった。しかし今はジェンダーフリーの時代。男であるわたしも、凛としてたおやかな人間でありたいと思う。

 

*上の写真はわが家の庭に咲いたビオラ(鉢植)。厳寒の今の時季にも凛として咲いています。


恵方におわす神様のお許し

2025-02-01 | 美酒・美味探訪

きょうの昼は、「恵方巻き」の巻きずしだった。

恵方巻きの慣習は、昔わたしの育った新潟にはなかった。
今、関東南部に住むわが家でも、それを習慣にしているわけではない。

それではなぜ恵方巻きを食べたのか。それはわたしが寿司が好きだからだ。

恵方巻きには作法があるらしい。

節分の日に恵方(今年は西南西)に向かって、太巻きを丸ごと一気に食べること。
食べるときは無言で、何もしゃべらずに食べること、という作法である。

これをすれば邪気が払われ、これからの一年、無事に過ごせるのだ。

わたしは家内の作ってくれた巻きずしを、一口目は西南西を向いてかぶりついた。
しかし、そのまま一本食べ続けるのは、喉がつまりそうで、とてもできない。
そこで ‘やむなく’ ビールで喉をうるおした次第。しかもしゃべりながら・・。

それともう一つのルール違反があった。気がつけばきょうはまだ節分ではなかった。今年の節分は二日、つまり明日である。

でも恵方におわす神様は、日頃のわたしの行いを見て、きっとお許しくださることであろう、たぶん。

来月には雛祭りがある。
雛祭りといえばちらし寿司。ちらし寿司というばビール、いや、酒か。

いずれにしても、今から楽しみである。


たくあんが旨くなってきた

2025-01-19 | 美酒・美味探訪

昨年12月初旬に家内が漬けたたくあんが、食べごろになってきた。

ダイコンの品種は三太郎。わが家の菜園で育ててきた。

 

 

 

   

このところ三、四日に一本ずつ、樽からあげている。そのたびにどんどん旨みが増しているのが分かる。
発酵が進んでいるのだ。

とくに樽からの上げたて、切りたて美味しい。

 

 

   

干して、漬けるときは白かったダイコンが、糠と塩とザラメなどで漬け込むと、ほぼ一カ月で、ここまで黄金色に色づいてきている。

微生物の力で発酵が進むと、素材の分解が進み、アミノ酸や酵素が増え、それで美味しくなるのだそうだ。

消化、吸収もしやすくなるので、腸を患っている人にもいいと聞いたことがある。

味噌や納豆などの発酵食品も、味が良いだけでなく体にいいのは同じ理由であるようだ。

 

 

   

わが家では、残ったたくあんは細かく切って、醤油で煮る。これがまた美味しくて、おかず、つまみの格好の一品になる。


2025 わたしの今年の漢字は「寛」

2025-01-14 | 随感・偶感・歳時感

「わたしの今年の漢字一字」2025年は、「寛」で行こうと思う。

寛容の寛、寛大の寛である。

辞書で寛を引くと、「ひろびろとしてゆとりがある。くつろぐ。ゆるす」などの意味がある。(岩波国語辞典)

音読みでは「かん」、訓読みでは「くつろぐ」と読む。

人は年を取ると、とかく頑なになりがちである。
人の話はよく聞かず、自分の話ばかりする。自分には甘く、人の過ちはすぐ咎め立てする。
正直なところ、わたしもそうなってきていると感じないでもない。

したがって他人には「寛」に、自分には「厳」に、と言いたいところだが、老いては自分にも「寛」でいいではないか、とも思う。

実際、自分にゆとりがないと、他人にも寛容になれないような気がする。

この一年、自分をゆるし、ゆとりを持って、大いに寛ぐ(くつろぐ)ことにしよう。

*上の写真はわが家の庭に咲いたムルチコーレ。(撮影2022年3月)