興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

挑戦なければ感動なし

2010-09-30 | 余白の創作ことわざ

*外堀夕景。 飯田橋から市ヶ谷方面を望む。 本記事とは関係ありません。


「余白の創作ことわざ」の第10回です。

挑戦なければ感動なし  ちょうせんなければ かんどうなし

<意味>
何ごとであれ積極的に挑戦することがなければ、達成感も心からの喜びも得がたいということ。 リスクを負って物事にチャレンジすることの大切さをいう。

<さらに一言>
今年2月、バンクーバー冬季オリンピックでのフィギュアスケート、浅田真央選手とキム・ヨナ選手の戦いを見て思いついた言葉です。

結果はキム選手が金メダル、浅田選手が銀メダルでした。
しかしながら、難易度が高く失敗のリスクの大きい三回転半ジャンプに果敢に挑戦した浅田選手のほうが、その三回転半ジャンプにチャレンジしなかったキム選手より、見る人に大きな感動を与えたのではないかと思ったのです。

その折に、当ブログの記事にもしていますので(下のURL)、ご覧いただけましたら幸いです。

それを今読み返すと、キム・ヨナ選手だって五輪での優勝を目指して厳しい練習を重ね、金メダルにチャレンジしてきたはずだということにも思い至りますが・・・。

<もう一言>
今回は、ばかに勢いのいい “ことわざ” をあげましたが、 「おまえはどうなんだ? 挑戦しているかい」 と問われれば、胸をはって 「イエス」 とは言いがたい。
でも、ささやかなりとも自分なりの活動を前向きに続けていくことができれば、それでいいのではとも思っています。

http://blog.goo.ne.jp/kyusan2/e/b4f3cce05632b44e302d7727014a1963


不機嫌は甘えの内

2010-08-31 | 余白の創作ことわざ

「余白の創作ことわざ」 の第9回です。

不機嫌は甘えの内   ふきげんは あまえのうち
 
<意味>
社会生活の中で不機嫌な顔を露(あらわ)にする人は、周囲への気遣いに欠けた人であり、甘ったれの子供と変わらない。

<さらに一言>
テレビを見ていると、芸能人やスポーツ選手などの中に、‘不機嫌会見’‘不機嫌対応’ をする人を時折見かけます。
(取材者側が非礼だった場合もあるでしょうが)

一般社会においても、不機嫌顔で周りに余計な気を遣わせている人がいないでしょうか。(他人のこと言えないか・・・汗)

人間四六時中笑顔の人である必要はないし、立場上時に意図して厳しい顔を見せねばならない人もいるかもしれません。
しかし、やたらに不機嫌顔をさらすのは、社会人としては問題でしょう。

<もう一言>
人としてのあり方を説いた 「親父の小言 」 の中に、 「朝きげんよくしろ」 という一項があります。(写真)

この親父の小言の数々は、どれも生活実感があってたいへん教えられますが、これなどその最たるものですね。

そのほかこの親父の小言には、 「恩は遠くからかへせ」 「人には馬鹿にされていろ」 などがあります。
まさに ‘人生の達人の言葉’ といえるでしょう。

「大酒は飲むな」 なんてのもあるなあ・・・。(再び汗)

 http://www.yamaju1.com/kogoto.htm


半分ゆで卵

2010-08-01 | 余白の創作ことわざ

(写真は西武ライオンズ電車<西武池袋線池袋駅にて>。本記事とは関係ありません)

「余白の創作ことわざ」の第8回です。

半分ゆで卵  はんぶんゆでたまご

<意味>
ゆで卵を包丁で半分に切ると、黄身はどちらかの半身にどうしても片寄ってしまう。たまたま自分に与えられた半身のゆで卵が黄身の少ないほうだったとしても、それを嘆いても仕方がない。 人生には如何ともし難い 「当たり外れ」 があるものだ。

<さらに一言>
たとえ不運、不幸に出遭っても、もしそれがどうにもならないものならば、嘆いてばかりいるのでなく、思いきって受け容れたいものです。
気持を切り替え、次のステップに進めば、新たな道がかならず開けてくるように思います。

切り替え下手なわたしが言うのもヘンですが・・・。

<もう一言>
ラーメン店で、ラーメンの具として載ってくる半分に切ったゆで卵に、黄身の部分が少ないと、損した気持になりませんか?
「ならない」
という人には、このことわざは理解不能でしょう。
「白身の多いほうが好きだ」
という人もいるかもしれませんし・・・。

と、ここまで書いてきて、ふと思ったのですが、今はゆで卵を半分だけで出すラーメン店は少ないかもしれません。
‘一つまんま’ を (真ん中に包丁は入れても)、出してくれる。
これなら不満は生じませんね。

「いや、となりにすわった客の卵のほうが大きいと、嫌だ」
「・・・・・」


急ぐ時でも墨を磨れ

2010-06-30 | 余白の創作ことわざ

「余白の創作ことわざ」の第7回です。

急ぐ時でも墨を磨れ   いそぐときでも すみをすれ

<意味>
(墨を硯で磨るのは時間のかかるものだが、) 時間的に切迫した状況下にあっても、墨を磨らなければならない時には墨を磨れ。 どうしてもやらねばならないことは、たとえ時間がなくても慌てずうろたえず、あきらめず、心を静めてやってみろ。 意外にできてしまうものだ。

<さらに一言>
わたしが小学生のときのことです。 冬休みが終わり、三学期の始まる日の朝のことでした。
前夜遅くまでかかって書いた書き初めの宿題の、清書した分がなくなっていたのです。

状況を詳しく覚えていないのですが、前の晩わたしが間違って捨ててしまったか、朝、母が書き損じと思い捨ててしまったかのどちらかでしょう。

登校しなければならない時間が迫っていました。
オロオロとうろたえ、泣き叫ぶわたしを見て、母はこう言いました。
「今、やんなさい」
そして硯に水を注ぐと、墨を磨り始めたのです。

なんとか書き上げたわたしの “涙入り書き初め” を、母はすぐ炭火で乾かしてくれました。
宿題は、間に合ったのです。


その後の社会生活の中で、このような時間切迫の場面に何度も出くわしました。そんな時わたしはこの ‘書き初め事件’ のことをよく思い出したものです。

それが教訓となってその都度冷静に対処できたかというと、そうでもありませんが・・・。

<もう一言>
今小学校では、かなり以前から書道の時間に硯で墨を磨ることはやっていないそうです。 時間も無いので墨汁を使うとのこと。
わたしのこの ‘墨を磨れ’ という 「創作ことわざ」 は、今の子供たちや若い人にとっては実感のないものであるかもしれません。

筆で文字を書くことだけでなく、心を静め時間をかけて硯で墨を磨ることも、‘書道教育’ の重要部分を成すのではとわたしは考えますが、いかがでしょうか。


好かれ果報、嫌われ果報 

2010-05-31 | 余白の創作ことわざ

*(写真は池袋東口、炭火煎珈琲皇琲亭にて。本記事とは関係ありません)

「余白の創作ことわざ」の第6回です。

好かれ果報、嫌われ果報   すかれかほう きらわれかほう

<意味>
人から好かれるのは幸せなことだが、人間、時には誤解されたり嫌われたりすることもあるものであるから、反省はしても気に病みすぎることはない。むしろ嫌われるのも幸せの内というくらいに思って、開き直ってやれ。

<さらに一言>
「嫌われることにへこたれない」
という言葉をデザインしたトレイ(お盆)を、昔あるスーパーの食器売り場で見つけたことがあります。
‘嫌われることは誰にだってあることだからくじけるな’ という慰めと励ましのメッセージが伝わってきて、印象に残った言葉です。
誰の言葉だったのでしょう。

実際、嫌われることを怖れたり、人の思惑ばかり気にしていると、成すべきことも成せません。 したいこともできないものです。

また、嫌われてしまったことを気に病んでばかりいてもしかたがありません。 気持ちを切り替えて、新たな一歩を踏み出したいものです。

<もう一言>
嫌われていることに鈍感過ぎるのも問題かもしれませんが・・・。


半兵衛より清兵衛

2010-04-30 | 余白の創作ことわざ

*写真はソウル清渓川わきの歩道にある方角案内板。本記事とは関係ありません。

「余白の創作ことわざ」の第5回です。

半兵衛より清兵衛  はんべえよりせいべえ

<意味>
自分のまちがいや失敗は、 「知らぬ顔の半兵衛」 を決めこまず、 「正直清兵衛」 となって、素直に認めたほうがよい。
正直清兵衛とは、落語 「井戸の茶碗」 に登場する正直者の清兵衛のこと。 名前をちょっと拝借しました。

<さらに一言>
ふた月ほど前に訪れたある居酒屋でのことです。
その店はそのときが二回目。 馴染みの店ではありませんでした。

お店のおねえさんに頼んだ二本目の燗酒が、なかなか手元に来ません。
おねえさんは先ほど、カウンター内にあるお湯の燗つけ器に徳利を入れ、そのまま忘れてしまったようです。
わたしは、ちょっと気位の高そうなそのおねえさんにあえて催促せず、ジッと待っていました。

しばらくして、ようやく持ってきた徳利をわたしの手元に置くと、おねえさんはすました顔でこう言いました。
「熱いの、嫌いかな?」
「・・・?」

徳利を持ってみると、やはり超飛び切りの熱燗です。 マア、飲んで飲めないこともありませんが・・・。
おねえさん、自分が燗(つ)け忘れていたことを言わず、知らぬ顔の半兵衛を決めこんだようです。

「酒、熱過ぎるよ!」
と、わたしがそこで文句を言ったと思いますか? 言わなかったと思いますか?
ハイ、言わなかったのです。

(肴もいいし、酒もわざわざお湯で燗つけてくれる店なのにナア)
と思いながら、気弱なわたしはその店に今度また行こうという気持ちが、今すっかり萎えてしまっています。
お湯で燗をすると酒がさめにくく、しかも美味しい

<もう一言>
「コメンナサイ、ちょっと燗け過ぎたみたい」 とでも、ひと言いってくれれば良かったのにねえ・・・。
「商いは正直が第一」 と昔からいうじゃないですか。

*「余白の創作ことわざ」は毎月月初めに掲載します


凡楽

2010-03-31 | 余白の創作ことわざ

*(ソウル、景福宮興禮門の守門将<衛兵>。本記事とは関係ありません)

今回は「余白の創作ことわざ」の第4回です。

凡楽   ぼんらく

<意味>
背伸びしてまで非凡を気どらず、凡人であることに安(やす)んじていれば自分も周りも楽(らく)だ。
また、毎日の平凡な暮らしを楽しむところにこそ幸せがある。

<さらに一言>
貧楽(ひんらく)という言葉があります。 広辞苑によると、「貧乏なために、心労が少なく気楽であること」とあります。
凡楽はこれを少しもじったものです。

負け惜しみ、開き直りといわれればその通り。 人生、負け惜しみ、開き直りも大切だとは思いませんか。

<もう一言>
実は、自分を凡人と悟ること、それ自体が非凡なことなのかもしれません。


*「余白の創作ことわざ」は毎月月初めに掲載します。


上戸(じょうご)の至福

2010-02-28 | 余白の創作ことわざ

 *(ソウル、仁寺洞通りの店舗案内板。本記事とは関係ありません)

「余白の創作ことわざ」の第3回です。

上戸の至福下戸知らず、下戸の空腹上戸知らず
                                                        じょうごのしふくげこしらず げこのくうふくじょうごしらず

<意味>
「飲めない者は酌の一つもせず、気が利かない」
「酒飲みは飲んでばかりで、飯(めし) も食べさせない」
と、上戸(じょうご) と下戸(げこ) が対立するさま。

<さらに一言>
下戸と寿司屋に行く上戸はたしかにつらい。 トロだウニだと先に ‘握り’ をパクパク食われると、ゆっくり飲めません。

<もう一言>
かといって、上戸にとって上戸がいい飲み相手であるかというと、そうともかぎらない。
やはり ‘いいお酒’ の人がいいですね。(オマエはダイジョーブか)

酒は飲めなくてもウーロン茶などを飲み、酒席を楽しくさせる人もいます。いいお酒の人です。

http://blog.goo.ne.jp/kyusan2/e/e57ea127c5f7e0929ac9d392fa1e8324


腹に胆力、頭に弾力

2010-01-31 | 余白の創作ことわざ

「余白の創作ことわざ」 の第2回です。

腹に胆力、頭に弾力 はらにたんりょく、あたまにだんりょく

<意味>
人間、事に当たっての度胸と精神の柔軟性が大切である。

<さらに一言>
「度胸」 と 「精神の柔軟性」 を得るためには、イザという時、その場の現実をサッと受け容れてしまうことも大切なようです。

こんな経験があります。
あるパーティ(立食)で、日頃敬愛するMさんとご一緒したときのことでした。
「突然のお願いでまことに恐縮なのですが・・・」
と冒頭司会者が、その集まり(7~80人)ではたまたま長老格だったMさんに、スピーチ(乾杯の音頭)をふってきたのです。

Mさんはちょっと面食らった面持ちでしたが、
「 “下手でもいい。 逃げない”  だナ」
と隣にいたわたしを見て微笑み、壇上に上がると立派にその場の役割を果たされたのです。

“下手でもいい。 逃げない”
これはそれ以降、わたしの大切な言葉の一つになりました。

<もう一言>
「頭に弾力」といっても、サッカーの技術ではありません。


(写真は昨年のNHK大河ドラマ「天地人」の舞台の一つ雲洞庵(新潟県南魚沼市)の中庭。 本記事とは関係ありません)


余白の創作ことわざ

2010-01-14 | 余白の創作ことわざ

今回から新しいカテゴリーを追加します。 題して、

“余白の創作ことわざ”

わたしの作るオリジナルのことわざです。 一回に一つずつ、その意味や創作意図とともに提示してまいります。
このカテゴリーの新原稿は、だいたい月一回のペースでアップしていく予定です。 ご笑覧いただけましたら幸いです。

第一回目、今日のことわざは・・・、


下衆の勘繰り下衆知らず  げすのかんぐり げすしらず

<意味>
心の卑しい人は自分のレベルで臆測をし、みずからの品性を自分も知らないうちに露呈してしまいがちである。
人間誰しも自分の理解の範囲でしか物を見ることができないことが多いから、言動には気をつけなくてはならない。

<さらに一言>
せっかくの良い話にも、裏がないかと勘繰ってみたり、ケチをつけようと待ち構えていたりするのでなく、良いものは良いと素直に評価できる人になりたいものです。

<もう一言>
最近、テレビを見ていると、「関係者への取材で分かった」「○○という声もある」などと具体的な根拠を示さず報道、論評するキャスター、コメンテイターが多すぎるように思います。
報道番組は(新聞も)、予見のない独自取材による事実の丹念な発掘、報道のみにとどめてほしい。 論評やコメントは要りません。

*論は後(あと)証拠は先 (これは昔からあることわざ)


(写真は新宿駅東口 「自家焙煎珈琲 凡」 にて。 ここも美味しい珈琲を飲ませてくれるお店です。 本日の記事には関係ありません)