興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

心は ‘ピカピカの一年生’

2022-02-23 | 随感・偶感・歳時感

ネイティブの講師を招いて、近くの公民館でやっている韓国語学習サークルに参加している。そこでこの3月から使う新しいテキストを、先日買った。

中古品でない新品の教科書。わたしは今、‘ピカピカの一年生’ 気分である。

この文を書き始めて急に思い出したことがある。
わたしが小学生のころ(大昔)、教科書は無償ではなく、新しい教科書が買えずお兄ちゃん、お姉ちゃんの「お下がり」を使わざるをえない子がいた。
(昭和30年頃、当時はわが家も含めて一般的にみな貧しかった)

お下がりの教科書と新しい教科書は、部分的にところどころ違っていて、古い教科書の子の授業中の申し出で、それが分かった。

わたしはお下がりの教科書を使った記憶はないが、使わざるをえなかった子は、卑屈な思いをしていたのかもしれない。

思い出しついでに、もう一つ思い出を書いておくと、わたしはランドセルがお下がりだった。
革がくたくたで軟らかく、色ムラとシワのある象色(灰色)のランドセル。(おそらく新品のときは黒だった)

わたしには兄がいないので、どこか知り合いから母が譲り受けたものであろう。

わたしはそれが嫌でダダをこねたという記憶はないが、そのランドセルの色や形状を半世紀の余も経た今も憶えているのは、何がしかの強い思いをそのとき懐いたからにちがいない。
(それを6年間使い続けた)

今、わたしはピカピカの韓国語テキストを買った。しかしこんどはわたし自身が年をとって、かなりくたくたである。
しかたないから、3月からは、

 見た目はくたくた 心はピカピカ

で行こう。

2022.2.23