初めてフィリップ・シーモア・ホフマンの教祖と会う場面でも、しきりとライトを向けて熱さがらせる嫌がらせをしているという具合に、なんでもない一見リアルな細かいシーンにも仔細な象徴性を持たせた作りに思える。
正直、その分一度見ただけではよくわからず、えんえんと続くわけのわからない自問自答など自己啓発セミナー風で(というか逆なのだろうが)、かなり退屈もする。
さらに砂で作られた女体像の上で腰を振る、といった象徴的でもありリアルでもある映像が重なるが、後の方で信者たちのうち女性だけが裸になって見える幻想とも現実ともつかないシーンとともに、女性そのものを相手にしたがらない女性嫌悪的な感覚が忍び込んでいる。
教祖とその側近というと、カリスマと実務家という組み合わせをまず連想するのだが、先走ってというか勝手に暴走して教祖に対する批判者を暴行してまわる。教祖の方でももてあますくらい。あからさまにキリストとユダを思わせるわけではないが、金儲けのためのインチキ教祖の話かというと必ずしもそうでもなく、かなりエキセントリックに精神的な渇きを癒そうとして果たせない話になっている。
(☆☆☆★)
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