「人斬り」を撮影した坂道というのも残っている。
勝新に連れられて行ったすっぽん料理屋など40年前の来店もよく覚えている。
小料理屋で三島「あんたの最近の小説(「豊穣の海」)はおもしろくない」と面と向かって言った女将というのが登場。
仲代はもう上手く演ろうと思わない、と語る。今の境地にして言える言葉かと思う。
「地獄変」で火炙りになる内藤洋子をぎりぎりまで撮っていた、芸術至上主義といえばいいけれど、イヤな爺でね、って名前出していないけれど、監督の豊田四郎のことだろうなあ。
三島由紀夫になんでボディビルをしているのか訊いたら、「ぼくは切腹して死ぬんだと思うんだよ、その時に脂が出るとまずいだろ」と答えて、その一年後に市ヶ谷で割腹したという。
かなりの程度、時代劇は京都という場があったから作られたのだろうなと思う。
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