主人公は現代美術家のゲルハルト・リヒター、その師はヨーゼフ・ボイスをモデルにしているわけだが、名前は変えて、どこまで創作なのかは明かさないという約束で作られたという。
画家が辿ってきた、叔母がナチスによる優性政策で命を奪われ、しかも恋人=妻の父がその政策に関わった医師だったという人生の皮肉、最も当人にとっては痛烈でそれだけに目をそむけてきたところを、他人が撮った写真を模写するというワンクッション入れることで芸術作品として昇華する中で逆に直視するという組み立ては、現代美術の難解なイメージに反してわかりやすく、ちょっとわかりやすぎて良くも悪くも通俗的に思えた。
画家が辿ってきた、叔母がナチスによる優性政策で命を奪われ、しかも恋人=妻の父がその政策に関わった医師だったという人生の皮肉、最も当人にとっては痛烈でそれだけに目をそむけてきたところを、他人が撮った写真を模写するというワンクッション入れることで芸術作品として昇華する中で逆に直視するという組み立ては、現代美術の難解なイメージに反してわかりやすく、ちょっとわかりやすぎて良くも悪くも通俗的に思えた。
実在の芸術家に託して映画の作者自身の芸術に対するイデーを表現したともいえる。
ヨーゼフ・ボイスをモデルにしたキャラクターが脂肪とフェルトを素材にしているのはボイスの説明そのままなのだが、その説明はフィクションだという説もあるのと似ている。
芸術の来るところを芸術家の個人的な体験に求めるのはいいとして、芸術として昇華する中のいわく言い難い想像力や無意識の働きが無視される格好になったのは、それがおよそ描きにくいからには違いないが、やや物足りない。
ナチス体制から東側に組み込まれても全体主義的というあたりは大して変わらない一方、ナチ協力者に対してはソ連は強硬に取り締まるといった複雑な状況が面白い。
撮影がアメリカのキャレブ・デシャネルというのが意外だが、光の操り方はさすがに見事。
ヌードシーンがかなり多いが、たっぷりした肉体感がよく出ている。