prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

山の湖 6

2020年10月24日 | 山の湖
 水が堰の上端にまで達した。
 あふれた水は堰を越えて流れ出る。それとともにわずかながら上流から折れた木の枝や、腐食しかけた木の葉や、動物の死骸なども動き出し、堰にひっかかって絡み合いながら溜まった。大きめの木の枝が堰にひっかかると、そこに小さな枝や木の葉がひっかかり、隙間を埋めていく。
 板を流れにさしただけの急作りの堰は、次第にそれ自体が繁殖していく一つの生き物のように大きく厚い障害物に成長し、川の流れに立ち塞がる。
 それは、堰を設計し指揮して作った圭ノ介の思惑を超えた現象だった。


 圭ノ介たちはすでに四人を殺して金を奪っていた。
 彼らがいる側は、森が浅く小屋なども作られていない。そのため散りぢりになっても、あまりこちらに逃げてくる者はいなかった。これ以上探してもあまり益はないとみて、
「川を渡る」
 と、圭ノ介は宣言した。
 昼間うっかり渡ったら、周囲から丸見えになってしまう。弓矢を作って備えている者がどれくらいいるかわからないが、用心して日が暮れてから渡ることにした。
 すでに堰いっぱいに水が溜まったのだから、水位はあまり動かないだろう。
「先に行け」
 と、圭ノ介に命じられるままに与一郎がいざ腰から上まである水に入ってみると、全部で六本の金を握って川を渡るのは、相当に面倒だった。
 重みですぐ底に足がつくのはいいが、片方に一つもう片方に二つと左右で握り締めている金の重みが違うので、うまく釣りあいがとれない。
 なまじ浮力があるので、足で川底をしっかり蹴って進むのも難しい。
「なんて、やりにくいんだ」
 川底の苔に滑って、与一郎が転んだ。
 握った金の重さで拳が一気に沈む。
 拳が勝手に川底の岩を殴り、握った金の間で押しつぶされて激痛が走った。
「うあっ」
 思わず声が出た。
 圭ノ介はじろりと見て、与一郎の頭を腕で抱え込むとぐいと水中に押し込む。じたばたして溺れるのを、なおも押さえつける。
 抵抗できなくなるまで押さえつけ、やっと動きが鈍くなったところで腕で抱えたまま、水面に頭を出させた。
 はあはあ激しく息をつくだけの与一郎に、圭ノ介は小声でささやいた。
「騒ぐな。声を出すな。わかったな」
 与一郎は必死に頭を縦に振る。
 やっと圭ノ介は腕を放した。
「行け」
 与一郎に背中を見せはしない。先に行かせる。


 川を渡って、暗い森に入った。
 森も水浸しになっていて、川を渡った感じがしないくらいだった。
夜の風が木の間を吹き抜けて、与一郎は思わず身震いした。火に当たりたいが、地面が水浸しではそれもかなわない。
 森に入るとますます暗くなり、月が雲に隠れると鼻をつままれても何も見えない真っ暗になった。
 与一郎は圭ノ介がどこにいるのか、呼びかけようとしたか、また水に沈められるのではないかという恐怖がよみがえってきて、口をつぐんだ。
 月が雲から出てきて、辛うじて夜目がきくようになると、圭ノ介がいつのまにかいなくなっているのに気づいた。
「おいっ…どこだ…、どこだっ」
 耐え切れずに与一郎は声を出した。答えはない。
 叫び出しそうになったとき、上から声がした。
「ここだ」
 見上げたが、何も見えない。目を凝らして見ると、木の上に何か黒い大きなものがある。ちょうど月の光を遮る格好になっているので影でしか見えないが、声はそのあたりからしたらしい。
「どこ」
「上がって来い」
 手探りで木を登っていくと、やがてそれが舟であることがわかってきた。
 ただ木を組んだだけの筏ではなく、二人から三人乗りくらいの、きちんと組み立てられた小舟だ。
 その上に偽装の木や枝を巡らして、下からちょっと見上げたくらいではわからないように仕立ててある。
 与一郎が陸ならぬ木に上がった舟に乗り込むと、圭ノ介はぐるりを黒く塗られた布を巡らした。そして残りの布を与一郎に渡し、
「よくくるまっていろ」
 と命じた。それから、
「やけどするなよ」
 と干した苔や木の葉を補給した小さな火の容器をを渡した。言った圭ノ介自身が火が消えないように息を吹き込み、やけどしないようにその上から布を巻き、あちこち身体を撫でさするようにして、暖めるのに使っている。
 与一郎もさっそく真似して身体を暖めだした。
「これはいい」
 思わず、ため息がもれた。
「川を渡るのに、この種火はどうやって」
 圭ノ介は何か薄い袋を広げて、与一郎に触らせた。
「わ、なんだ、これ」
「なんだと思う」
「妙な手触りだ」
 明かりがあったら、楕円形のごく薄い膜でできた袋であることがわかっただろう。
「猪の身体から取り出したものだ」
「猪?」
「猪のゆばり尿をためておく袋だよ」
「尿ぃ?」
「そう。だから、水を通さない」
「どこでそんなものを」
「いくらも、獲って食べただろう」
「だけれど、はらわたまではよく見ていなかった」
「だろうな。だが、役に立つものがいくらもある。熊の胆は知っているか」
「いや」
 圭ノ介はそれ以上通じにくい話をするのをやめた。
「火が焚ければいいのだがな。だが、火が焚けないのは、他の連中も一緒だ。今夜はろくに寝ることもできまい。明日の朝には、水浸しが続いて、身体も冷え切っていよう。そこがつけめだ」
「朝討ちをするので」
「夜駆けは、この地面では無理なのでな」
 与一郎は、ぶるっと胴ぶるいした。
「寒いか」
 からかうように、圭ノ介が言うと、
「まさか。胴ぶるいだ。十四の初陣のとき以来の」
「そうか。働きを期待してるぞ」
「しかし、こんな舟をいつのまに」
「金を掘り出したはいいが、運べないのでは仕方ないからな。前々から用意していたのだ」
「前々とは」
「金を隠したときからだ」
「なんとまあ」
 あとの言葉が続かなかった。
「この分だと、明日になればもっと水かさが増しそうだ」
 与一郎はぼそっと訊いた。
「あんたは、天狗さまじゃないのかね」
「まさか」
 圭ノ介は笑った。珍しい笑い顔だった。
「鼻も高くなければ、高下駄も履いてはおらん」
「そうではなくて」
 それ以上、うまく言葉が続かなかった。
「明日からは金を回収してまわらないといけない。全部で三十本。それから堰を壊し、水を抜く」
「川下は洪水にならないか」
「なるだろうな」
 こともなげに言った。
「どうする」
「どうもしない」
「いいのか」
「何を心配してるんだ」
 圭ノ介は芯から不思議そうに聞き返す。
「いや…」
 あまりに堂々と言われて、それ以上言葉が続かなかった。
「少し食っておけ」
 と、舟底から干飯を出した。
「やあ」
 およそ旨いものではないが、腹のたしにはなる。
「しかしこう乾いていると、水がないと」
「一応、汲んでおいた」
 と、圭ノ介は満々と膨らんだ膀胱の袋をもう一つ出した。与一郎はいやな顔をした。
「その中身は、水か」
「もちろんだ。他にあるか」
「いや…」
 また言葉が途切れた。
「川から汲んだ水だ。飲め」
 と、先に自分で口を開け、縛った袋の口から器用に水を噴き出して、受け止めてみせた。
 与一郎は干飯をかじり、膀胱から同じようにおそるおそる水を噴出した。
「もっと思い切って」
 そう言われても、与一郎は口に含んだ分だけ溜めておいて、しばらく水の匂いを確かめるように、しきりと鼻から息を出し入れしている。
「余計なことしなくていいのに」
 圭ノ介は平気な顔でもしゃもしゃ干飯をかじりながら、喉を鳴らして水を飲んでいる。
 与一郎は思い切って水ごと干飯を飲み込んだ。
 圭ノ介がまた笑った。


 次之進と兵馬はなんとか小屋にたどり着いていた。しかし、もともと地面と高さがほとんど違わない床の上にまで浸水し、とても横になれたものではない。
 木切れを積んで腰をかけ、しゃがんだ姿でなんとか夜を過ごした。ほとんど眠れない、ひどく長い夜だった。
 やっと森が明るくなり、湿気でいや増した朝もやを枝葉で分かれた無数の光の筋が貫いた。
 鳥の鳴き声が聞こえない。この騒ぎでみんな逃げ去ったらしい。
 兵馬は小屋から出て、長いこと屈んでこわばった体を伸ばした。続いて次之進が出てきて、こちこちになった肩や首筋を揉んだ。
 身体は冷え、よく眠れなかったたため頭はぼんやりし、半日何も口にしていないため力が出ない。
 小屋に何か食べ物は残っていないか、と次之進は中に戻って探してみた。
 わずかに生米が残っていたが、生ではどうしようもない。
「食えないか」
 いつのまにか小屋に入ってきていた兵馬が後ろから声をかけた。
「生の米などかじったら、腹を壊すだけだ」
 生米の袋をどかして、床を上げてさらに探してみた。
「うーむ」
「どうした、何かあったか」
「あることはあったが」
 次之進は床下に押し込んであった袋の中にあった泥まみれの米をすくってみせた。
「生か」
「干し飯だ。水に漬かっていたから戻ってる」
「ちょうどいいじゃないか。干したままのをかじるより」
「泥水で戻したんだぞ」
「かまってられるか」
 と、兵馬はかじりついたが、すぐ口をひん曲げて吐き出した。
「食えたもんじゃない」
 次之進はしかし気にしないふりをして口に運んだ。
「食え。食わんと戦えない」
 そう命じられて、兵馬はしぶしぶ泥と、ときどき虫の混じるふやけた干飯を食べた。

 出川と平伍と文六は、森を出て圭ノ介が立って指揮した岩場のあたりに戻っていた。
「腹が減ったな」
 そう言えば、すぐ飯が出てくるような出川の口ぶりだった。
 もちろん平伍も文六も、そう言われたから何をするわけでもない。無視して堰から流れ出ている水を眺めている。
 ときどき、間抜けな魚がいきなりあふれ出す水に混ざって堰の上からこぼれ落ちてくる。そのまま六尺ほど下の浅い水溜りになっている岩場に叩きつけられ、そのまま伸びている間抜けな魚がいる。そのままだと流されるのを何尾か、二人は急いで拾い集めに行く。近くに寄ると、ぎしぎしいう堰のあちこちから異様な色をした泥がはみ出て、さらに水が吹き出している。
 ぬるぬるする川底に足をとられながら、拾った魚を袋に詰めて、腰を浮かすようにして戻る。そんな時でも出川はあくまで動こうとしない。
「生では食えんな」
 と、出川が言う。
「そんなことはわかっている」、
 平伍と文六は同時に怒鳴った。なぜそんなに声を荒げるのか、と不思議そうな顔で出川は見返した。
「火は、どこにある」
「崖っぷちの小屋にないか」
 崖下と行き来するのに作られた昇降機の近くに三、四人が雨をしのげる程度の簡単な小屋が作られていた。人が集まって煮炊きをすることもあったから、今でも火の元があるかもしれない。
「行ってみるか」
 三人は、ぞろぞろと岩場を歩いて小屋に向かった。
 振り向くと、なんとも異様な光景が目に入ってきた。堰とその両脇のせり上がった岩にせき止められた水が目の高さより高くかさが上がり、今にもこちらに押し寄せてきそうだ。せりあがった水は森にひたひたと迫り、遠目には湖から突然森が生えているように見えた。
「えらいもの作っちまったなあ」
 平伍が今更のように呟いた。
「もっと簡単に壊れるかと思ったが、思いのほかしぶとい」
 出川は意に介さず、小屋の中を漁りだした。
「あった」
 種火を見つけたらしい。
「粗朶はないか。乾いていないとだめだぞ」
「わかっているっ」
 また二人同時に怒鳴った。
 あちこち水びたしになっているため、乾いた枝や葉を集めるのは難しくなっていたので、しまいには小屋を壊すことになった。
 それでもしけっているらしく、火がなかなか移らない。なんとか移しても煙ばかり出てなかなか炎が上がらない。
 平伍が懸命にふーふー吹くが、煙をわざわざ発生させているようなものだ。
 いいかげんうんざりしていたところで、いきなりその焚き火を出川が踏みにじった。
「何しやがる」
 かっとなって殴りかかるところを、文六が後ろから組み付いて止め、崖下のはるか川下を指差した。
 彼方の河原で煙が上がっているのが見える。
 よく目をこらすと、刀、槍、果ては鉄砲で武装した集団が朝餉の煮炊きをしているのがわかった。
「来た」
 ぼそっと出川が呟いた。
「援軍ですか」
 平伍が訊いた。
 それには答えず、出川はひとりごちた。
「多すぎる」
 その顔つきが、いつになく厳しくなっている。
「多すぎるって」
「いざ、人数を揃えたのを見ると、金を分けるのが惜しくなってきたわ」
「なんですって」
 この人の気まぐれは病気ではないか、と平伍には思えた。
 それとも、人をムダに右往左往させるのを楽しんでいるのだろうか。
「分けるって、まだ手に入れてもいないのですよ。ただ見つけたというだけで、今はみんなばらばらになって持っているのです」
「わかっている。では、ちょいと行って挨拶してくるか」
 と、昇降機の方に向かった。
 そして板切れの上に腰をかけ軽い調子で、
「では、頼む」
 平伍と文六はやむなく昇降機の滑車についた縄を引いた。
 ゆっくりと出川の姿が降りていき、見えなくなった時、平伍はこのまま手を離して落としてしまおうかと思った。
 怨嗟の念も知らず、やがて出川は崖下の地面に到着した。
 下から見上げると、いったん涸れた滝は、またちょぼちょぼと水が落ちてくるようになったとはいえ、そこだけむき出しになった岩の色がひどく不自然に目立っていた。
 水飛沫がとんでこない分、湿気が薄れたのは気持ちいいようで、妙に空気が淀んだようでもあった。
 滝壺も上からの水がとどこおると、深さがどれほどあるのか文字通り底が知れないような神秘感は薄れ、ただの大きめの水溜りに見えてしまう。
 出川は、肩をそびやかして、川下に向かった。


 圭ノ介と与一郎は、枝にかけた縄で力を弱めながら、舟を木から降ろした。
 すでに腿まで水が来ていたので、ぎりぎり舟を浮かべて動かせる。しばらくあるいは縄でひっぱり、あるいは長い棒で川底を突いて移動してまわったところで、圭ノ介は舟を止めた。
 男が二人、木陰からこちらをうかがっている。
「出て来い」
 圭ノ介が呼ばわると、二人はゆっくりと姿を現した。短い刀を木の枝の先にくくりつけて即席の薙刀に仕立てている。足元が悪いと見て、工夫したものらしい。
 圭ノ介は舟の上に立った。舟の上も足元は危ないが、泥に足をとられるよりは有利と踏んだのだろう。
 同じく、与一郎も舟の上で身構えた。
 とん、と圭ノ介が棒で水底を突いて舟を動かした。すうっと舟は音もなく水面を滑り、男の一人に向かっていく。男はよけようとするが、足をとられてわずかに逃げるのが遅れた。その隙を見逃さず、圭ノ介は思い切り舟底を蹴って飛び、それまで舟を操っていた六尺棒を大きくふりかぶって男の頭を打ち砕いた。
 まるで西瓜でも割ったかのように赤い中身が飛び散ったのを見て、もう一人の男は飛び上がった。そしてくるりと背中を向け、あわてて逃げ去ろうとした。
 圭ノ介は倒した男の手から薙刀をもぎ取り、逃げる男に投げつけた。薙刀はあやまたず男を背から胸に串刺しにした。
 ほとんどまばたきする間に二人を倒した圭ノ介は、息も乱さずに与一郎に命じる。
「金を取れ」
 与一郎は、急ぎ二人の身体を改めて隠し持っていた金を集めて舟に乗せた。
「いい調子だ」
 と、圭ノ介はまた舟を出した。


 次之進と兵馬は、水に漬かった足をひきずるように歩いていた。どうも腹具合がよくなく、下半身に力が入らない。
 二人の前に、二人の男が姿を現した。
 次之進は、兵馬の影に隠れた。
「何やってんだ」
 小声で兵馬が訊く。
「前に立つと、俺が獲物を持っていないのがばれる」
「獲物なしでどうする」
「いいから」
 相手は二手に分かれて、挟み撃ちにしようとしてくる。
 兵馬は腰が引けかけるが、後ろに次之進がぴったりくっついているので、逃げるわけにもいかない。次之進は腰を落とし、相手から見るとまるで母親の陰に隠れている子供のようだ。相手に、侮りの気が出た。
「ええいっ」
 気合とともに、二人同時にかかってきた。
 と、いきなり兵馬の足元から水飛沫があがった。次之進が足元にたまった水を目潰しにすくいとばしたのだ。まるで子供の水遊びのような真似だったが、効果は十分だった。
 二人とも足が止まったところに、兵馬が思い切り身体ごとぶつかった。腹を兵馬の短刀に刺し通され、男は棒立ちになったまま兵馬の身体を抱え込んだ。
 次之進はというと、もう一人にかかるのかと思うと、兵馬にぴったりくっついたまま同じ相手にぶつかっていった。
 そして、兵馬の身体を抱きかかえようとする手から相手の獲物をもぎとった。
 襲ってこようとしたもう一人も、あわてて止まり構え直した。
 次之進は金を取り出して見せた。
 一瞬、それに相手の目が吸い寄せられる。
 すかさず、金がその目に投げつけられた。一瞬、心が泳いだところを、次之進が思い切り踏み込んで、相手の胸を抉る。
 そのまま押し倒すと、水の中に相手の頭を押し込み、絶命するまで放さなかった。
 相手の絶命を確かめて、次之進が立ち上がると、兵馬がじいっと探るような目で次之進を見ていた。
「勇ましい戦いとはいえんな」
「今更」
 次之進は引き抜いた短刀をたまり水で洗う。
 兵馬も倣って、刀を洗った。
 それから、相手の身体を改めた。
「なんだ、こいつら金を持ってないぞ」
 兵馬が口を尖らせた。
「仕方なかろう。全員に配ってまわったわけではないのだ」
「持てるだけ持ったら、そのまま逃げた奴はいないかな」
「いないな。なければ欲しいが、持っていればもっと欲しくなる」
「そうか。そうだな」
 自分に言い聞かせるようにうなずいた。


 出川は河原を下っていた。
 近づくにつれ、次第に軍勢の全容が見えてくる。
思ったほど人数は多くない。出川たちと同じくらいだろうか。
「よおーっ」
 大声を出して、出川は手を振りながら親しげに近づいた。
 軍勢は、戸惑ったように無言で迎え、出川が歩み寄るに従って敬遠するように二手に分かれて、彼を通した。
 その先に、緋縅の鎧に身を固めて軍勢を率いる古田の姿を認めた出川は、古田がこわばった顔をしているのも構わず、さらに満面に笑みを浮かべ、相手が鎧を着ていなかったら抱きつきそうな勢いで歩み寄った。
「よく来てくれた」
「ああ…」
 疑わしそうな目で見ながら、古田が答えた。
「見つけたぞ、金を」
「どこにある」
「滝の上だ」
「それはわかっている。掘り当てたのか」
「もちろんだ」
「持っているのか」
「それがだな」
 出川は咳払いした。
「掘り出したまではよかったのだが、ばらばらになってしまってな」
「なんでだ」
「まあ、そう急くな」
「急くな、だと。人を呼び出しておいて、何だ。しかも使いの言うことが来るたびにいちいち違う。どういうことだ」
「あれは一人ではないのだ。二人で一人だから」
「なんだそれは。わけのわからんことを」
 古田は明らかに苛立っていた。
「とにかく、登ろう、ん?」
「登るって、あの崖をか」
 遠くからでも、滝周辺の崖の高さはよくわかった。
「そうだが」
「われわれがいちいち登ることはなかろう。掘り当てた金を崖の上から下に放ればいい。それを拾い集めれば足りることだ」
「それがな」
 出川は古田の肩を抱くようにして、胡乱な目で見ている周囲から引き離した。
「金はあることはあるのだが、ばらばらになっているのだ」
「なんだと」
 古田の顔色が変わった。
「どういうことだ」
「ちょっとした手違いでな。まあこということもあろうかと手勢を送ってもらったわけだが」
「勝手なことを」
 古田が憤慨した。
「今にもとてつもない金の山を掘り当てたような口ぶりだったから、それを運ぶために手勢が足りないのかと思ったのだ」
「楽してお宝だけ頂こうというのは、虫が良すぎはしないか」
 出川が開き直って、やや恫喝気味に言い放った。
「虫がいいのは、どっちだ」
 古田がわざと憎憎しげに言った。
「だいたい、おまえが里に戻ってきたところで、そのまま今までの位に戻れると思っているのか」
「別に戻りたいとも思ってない」
 出川がしれっとして、川の方をそっぽを向いてみせた。
「何を」
「では聞こう」
 と、向き直った。
「なぜおまえがここにいる」
「なんだと」
「いいかげん、陣取り合戦はごめんだ。ちっぽけな国ともいえん国の中で、やたら寝首をかきあって大して金にもならん、そんなのが楽しいか」
 古田が、むっとしたような顔をして、黙った。
「金をこの手に握れば、あとはどこに行こうと極楽だ。里に未練を持つ必要がどこにある」
「国主に、国を捨てろというか」
「笑わせるな。生まれついての国主でも何でもないくせに。考えてもみろ。あの程度の国を治める手間隙と引き合うだけの見入りがあるとでもいうのか。これといったものも取れず、商売をするには場所柄が悪すぎる。盗んだ国なら、捨てたところで構いはすまい」
 古田は、さすがにちょっと答えに窮した。主君に対する忠義などあるはずもない男ではあったが、かといって自分の所領をだんだんと増やしていく他の考えというのは持てないでいたからだ。まがりなりにも自分が生まれ育った国を弊履のように捨て去って平然としている出川に対して、この国盗人も何やら肌寒いものを感じていた。
 しかし、一番肝腎なことをまだ訊いていない。
「で、金はどこだ」
「崖の上さ」
「それはわかっている。その上でどういう具合になっているのだと訊いているのだ」
「まあ、とにかく、登ってから話そう」
 とことこと出川は崖と滝に向かって勝手に急ぎ足で歩き出した。
 下から見ると普通に滝が落ちているように見えるが、上の方で堰が作られていつ決壊するのか、あるいはしないのかわからない状態だということは、古田たちには伏せておきたかった。
 兵たちと、古田は出川について崖についた。
「思いのほか、ちゃちな滝だな」
 何も知らぬ兵のひとりから、そんな呟きが洩れた。
「どうやって登るのだ」
 古田が訊くと、出川は崖上に合図を送った。
 かねてからしつらえられていた昇降機の腰当てがするすると降りてくるのに、兵たちは目を見張った。
 崖上の平伍と文六の姿が見えないので、なおさら不思議で神秘的な仕掛けのように見える。
 腰当てが下まで降りてきたところに、出川が古田たちを導く。
「まず、おまえから」
 出川は手近にいた兵の一人を指名した。先に古田を送ってしまい、堰を見られて「あれは何だ」ということになると、ややこしいと踏んだからだ。
 指名された兵は、言われるまま昇降機に乗り込んだ。縄を引いて合図すると、上で滑車が動かされたらしく、じりじりと昇りだした。
 乗せられた兵は目を丸くしている。
「わっ、なんじゃ、これは」
 出川は内心ひやりとした。これで彼に臆病風にでも吹かれたら、後の連中を乗せるのに面倒なことになる。
 と、兵は突然、笑い出した。
「なんと、高いぞ、高いぞ」
 木登りをしている童のように昂奮して下を恐れずに眺めやる。
「このようなところから、滝を眺めたのは、初めてじゃ」
 その昂奮ぶりを聞かされた兵たちが明らかに自分も乗りたそうな風情を見せているのに、出川は内心ほっとした。
 と、同時にあまりはしゃぎすぎて落ちたりでもされたら、えらいことだと声をかけようとしたが、すでにかなりの高みに至ってしまったので、下手に声をかけるとかえってまずいと、ひやひやしながら到着を待った。
 よく見えないが、平伍と文六のどちらかが崖上に着いた兵を引き込んだらしい。そしてすぐに上から昇降機が戻されてきた。
 出川が機先を制して命じた。
「よいか、下を見るな。縄をしっかり握り、もし腰かけている板が外れることがあっても落ちないようにせよ」
「勝手に命じるな」
 出川が自分の部下を勝手に動かしているのに不快を覚えた古田が、
「わしを通してにせよ」
 と、怒った。
 出川は怒り返そうとしたが、すぐ珍しく「すまなかった」と侘び、指揮を古田に任せた。崖下で指揮していれば、古田は上に登ってくることはないのに気づいたのだ。


 事実、古田が崖を登ったのは、出川より後の、一番最後になった。
 いざ乗ってみると、思っていたより遥かに揺れる。風に煽られた滝のしぶきで目を開けてもいられない。上から見下ろすと、地面はみるみる遠ざかっていく。
 古田は我慢できずに悲鳴をあげ、縄に抱きついた。
 ふと目を開けると、目の前に部下たちがずらりと並んでいるのに気づいた。皆、古田の怯えように半ばあきれたような薄ら笑いを浮かべている。中でも出川がとりわけにやにや笑っている。
「何をしている、早く、早く」
 崖の上にぶら下げられたままの古田は、見も世もなく助けを求めた。
 兵たちは、薄ら笑いを浮かべたまま古田を崖の上に引っ張り込んだ。
 突っ伏してしばらく荒い息をしていた古田は、我に返って立ち上がり、せいぜい声を励まして下知した。
「集まれっ」
 もそもそという感じで兵たちが集まってきた。
「で、これからどうするのだ」
 古田に訊かれた出川は、川上を示す。
「なんだ、あれは」
 初めて川を堰き止めている異様に巨大な木の板を見て、古田は思わず頓狂な声をあげた。
 出川は堰の向こうに一行を導いた。岩場を越えると、巨大な水たまりとも、いやに小さい湖ともとれる風景が広がる。
 風景を断ち切るように大きな板が川をせきとめ、その前と後とでは文字通り段が変わってしまっている。
 すでに堰にはなみなみと水が湛えられ、下の一見清冽な滝だけ見ていては想像もできない淀んだ水は森を半ば侵し、虚空をつかむ手のような枝が水面から飛び出している。堰からあふれ出した濁った水が改めて小さな滝を形作ってもとの川底だった岩に当たり、ちょっと流れてあらためて大きな滝となって流れ落ちている。
 湛えられた水には曇り空が写り、どこまでが天でどこまでが地なのか、どこまで水でどこまでが地なのかわからない、大きいとも小さいともつかない巨大な箱庭のような眺めをなしていた。
 一行はおよそ見たことも聞いたこともない眺めにあっけにとられ、しばらく石になったように動かなかった。
「なんだ、これは」
 似たような問いを、古田が発する。
「あれは一体どのようになっているのだ」
「どのように水を堰き止めておるのだ」
 しきりと出川に訊く。
 出川はこうなった経緯を話した。
 自分もいかにも身体を張って工事に参加したかのような口ぶりだったが、それにしてはあちこち上から離れて見ていないとわからない表現がぽろぽろ洩れた。さらに、工事の指揮を出川が執ったような口ぶりだったため、しばしば古田に突っ込まれてしどろしどろもどろになった。
「どうやって、あのような堰を組んだのだ」
「だから、木を切って」
「木でできているのは見ればわかる。だが、あのような形にどうやって組み上げたのだ。釘は使っていないのか」
「使っている」
「こんな山奥に釘があるのか」
「鉄を打っていた」
「打っていたって、誰がだ」
 出川は詰まった。
「あの、捕虜だ」
「捕虜? なんでそんなのが鉄を打っていたのだ」
「話せば長い」
「長くてもよい、聞く」
「あまり余裕がないのだ」
 それから、出川は見つかった金を次之進がばら撒いたため、各々が勝手に持ち去ってしまったまでの経緯を、あちこちごまかしながら喋った。
「結局、金はあるのかないのか」
「ある。あるが、集めないといけない」
「集めるって、どこからだ」
 そこで、今や出川が率いていたはずの隊はばらばらになって、各々が金を隠し持っているという話になった。
「では、そいつらの持っている金を掻き集めて来いということか」
「そうだ」
 古田は薄気味悪そうに、はちきれんばかりの巨大な濁った水溜りを眺めやった。
「何か出てくるんじゃないか」
 兵たちから、そんな言葉が洩れる。
「で、そいつらはどこにいる」
「あの森の中だな」
 出川はこともなげに言った。
「あんな薄気味悪いところに」
「化け物が出そうだ」
 ぶつぶつ言う声がしつこく兵たちから洩れる。
「やかましいっ」
 古田が大喝した。
「文句のある奴は出て来い。いいかっ、これから森を隈なく探し、金を持っている者どもを捕らえ、金を吐き出させよ。抵抗したら斬れ」
 一行はそれぞれ武器を確かめ、ぞろぞろと川に向かった。