prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「マグダラのマリア」

2020年10月28日 | 映画
「マグダレンの祈り」という小説とその映画化があった。
婚外子を妊娠した女性はそれがレイプによるものであっても罪びととして収監し強制労働につかせていたアイルランドに20世紀まで実在した施設をもとにしたもので、Mary Magdaleneというこの映画の原題を見て気づいたのだが、マグダレンというのはマグダラのことではないか。

推測だが、その根拠としてマグダラのマリアは娼婦であり罪深い存在だという理由付けがあったのではないか。

もともと娼婦説は西暦591年頃、大司教グレゴリウス1世がマグダラのマリアとベタニアのマリア(キリストの足に香油を塗った女性)と「罪の女」とを混同したためにできたものだという。

それは現在覆され2016年には使徒にキリストの復活を最初に伝えた使徒、使徒の使徒=亜使徒と認められているとのこと。
ここでのマリアははっきりキリストの使徒のひとりとして描かれている。

正直、偏見か知らないがキリスト教、少なくとも西方のキリスト教は男性原理が強く、もっと言えば性差別の根拠になることがあったのを、ここに来てPC的に修正した感がある。
使徒の中にアフリカ系を入れているあたりも、同様。

ただ映画とするとしんねりむっつりしたタッチで、キリストの奇跡の描写もあっさりしたもの、かといってパゾリーニの「奇跡の丘」ほどのリアリズムを超えた磁力を持っているわけでもない。

マリアのルーニー・マーラとキリストのホアキン・フェニックスの間に先日子供が産まれたというニュースは聞いていたので、この映画がきっかけなのかと思ったら、もっと前の「her」での共演からの交際だという。
最初からふたりの関係を念頭に置いてのキャスティングということになる。