フィンランドの、森に囲まれた、どの部屋にも小綺麗な花柄などの壁紙が貼ってある、おもちゃのような家のヴィジュアルが、すでにここに住む一家の母親がしきりと演出してネットで世界に発信し続ける完璧に幸福な家庭像そのまんま。
もちろんそんなわざとらしい完璧に幸福な家などありえず、カラスが突然部屋に乱入して部屋中のガラスや陶器の家具を壊してまわる冒頭からして、そんな家庭像、特に母親と体操選手として期待をかけられている12歳の娘との関係の裏にある脆さと暴力性を典型的に画にしている。
娘役のシーリ⋅ソラリンナが未成熟な肢体で体操の練習をする姿が脆さや痛々しさを抱えたまま母親の期待に応えようとするムリをこれまたわかりやすく表す。
母親に殺されたカラスは生ゴミとして捨てられるが、それが象徴するものはもちろん消えず、娘は森から奇妙な鳥の卵を拾ってきてこっそり育てる。
そして生まれた奇怪な鳥が成長するに従って姿がまさに娘の隠されたオブセッションそのものになっていく。
象徴やメタファーというより、ずばり心の内のまがまがしい部分をずばり具体的なモノとして表現しているのがわかりやすく、グロテスクで、力がある。
生まれてきた「それ」が、娘が吐いたゲロを食べて育つというただグロいだけでなく、鳥の習性(ペリットとか)に近い不気味さ。
母親役のソフィア⋅ヘイッキラがヘアメイク完璧でカメラの前に立つ時と、娘の前のエゴ丸出しの顔、娘周辺の怪異を見た時の思いきりグロテスクに歪んだ顔と七変化的にコワい。
比較すると姉の変貌に気づいて親に知らせても無視される弟、ろくすっぽ気づきもしないどころか蚊帳の外に置かれている父親と、男家族は影が薄い。
外部の乳呑み子を抱えた男やもめは男でも娘の変貌や異変に気づく。
おそらく監督は女だろうと思っていたら、案の定。
86分という上映時間もグッド。