時代設定は1979年。カーラジオがSANYO(三洋電機)製というのが時代を感じさせる。
あからさまに「悪魔のいけにえ」調の舞台設定と展開なのだが、同作が製作されたのが1974年。近いけれど割とずらしている。
やはりトビー·フーパー監督のメジャー第一作「悪魔の沼」ばりのワニの使い方も見られる。
オープニングで黒人の保安官が地下室にあった何かを見せられて「なんだ、これは」と言うところで24時間前に遡って本筋に入るわけだが、その何かを見せる時点そのものの設定に意外性がある。
時制のいじり方とか公開当時はゲテモノ扱いされていた映画を再構成して再生するところなど、タランティーノ以後の映画ということになりそう。
前半に出てくる交通事故にあってぐちゃぐちゃになった牛の姿が後で人間で再現されるのが、のちに人間で再現される。単にスラッシャー描写というだけでなく、人間が生贄になっているニュアンスをおそらく出したかったのだろう。
たびたび出てくる白黒テレビ(!)でのテレビ牧師の説教をえんえんと流しているあたり、アメリカの草の根キリスト教原理主義の根深さを感じさせる。
老夫婦を演じているのは誰で実年齢はいくつなのかと思ったが、IMDbを見ても載っていない。かなり奇妙な話。
ハードコアポルノ「ディープスロート」が大ヒットしたのが1972年。
だからこの7年後にポルノで儲けようというのはズレてる気もする。
この劇中映画が暖色に傾いた色調といい3:4比のフレームといい当時のポルノ映画のテクスチャーを再現しているのには笑ってしまう。
これ自体はポルノではないので局部はそれほど見えないが。
若くて体力のある都会の連中がセックスに耽っているのに対する老人のやっかみといったモチーフがはっきりしていて、それがキリスト教原理主義の禁欲性と結び付き、そういうムリに対する反動が暴力として噴出する。
「悪魔のいけにえ」ではよそ者の目から見たフリークスとして描かれたホワイトトラッシュ側からの視点も入っている格好。
「悪魔のいけにえ」の時代の先端をいくヒッピーみたいな若者たちとド田舎で旧弊な生活に縛りつけられたまま老いていく人間との対立のようで、実は老人も若い黒人も同じように戦争に行っていたりするという共通点があり、メビウスの輪みたいに対立しているようでねじれてつながっているという構造。
ホラーの約束事を意識的になぞりながらその裏にはりついている構造にも批評的に触れている、かなり知能指数の高い映画。A24らしいというか。