prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「エルヴィス」

2022年07月17日 | 映画
オープニングのワーナーのタイトルからして派手というかケバいこと。
エンドタイトルまでケバい。
エルヴィスのショーのイメージか、監督のバズ·ラーマンの趣味か。たぶんその両方。
とにかく映像も音もたっぷりこってりという感じ。

エルヴィスが少年時代、貧しくて黒人たちにごく近い環境にいたことから自然に黒人音楽のブルースやゴスペルの影響を受けたこと、腰を激しく振るのも女の子たちがキャーキャー言うのも白人保守層はセックスを連想したはずで(無理に押さえつけている分、逆に頭の中はそれで一杯)、黒人に白人が性的に侵略されているのではないかという恐怖が顔にもろに出ている。

アメリカ支配層はたとえば兵役につかせるという形でエルヴィスをいわば去勢しようとするが、あくまで逆らい去勢しきれないのがドラマの軸になるし、パフォーマンスのエネルギーの素にもなる。

なんでエルヴィスは来日、に限らずワールドツアーをしなかったのかというと、マネージャーのトム·パーカー大佐なる人物がオランダ出身の不法移民でパスポートを持っておらず、外国についていくことができないから、とはっきり描いている。

この世にも怪しげな大佐(でもなければ、トムでもパーカーでもない)なる人物をトム·ハンクスがおそろしく凝った肥満メイクで演じていて、もともとのハンクスのジミー·スチュワートの再来みたいな好感度の高いアメリカ人代表みたいなイメージの一方で狂気を閃かす持ち味を前面に出した。

大佐はエルヴィスの莫大な稼ぎを徹底的に搾取したわけだが、一方でエルヴィスのパフォーマンスに感動したり一体感を持ったりしているのもおそらく本気だと思わせるのもハンクスの持ち味だろう。

この大佐の語りで全編を進めていくわけだが、文字通りの信頼できない語り手であって、どこまで本当なんだかと常に疑わせる。

エルヴィスを演じたオースティン·バトラーはよくもまあと思うほど腰の回転はじめパフォーマンスを再現した。

エンドタイトルでラップ調の「監獄ロック」が流れるのは、エルヴィスの音楽が今でも影響を与えていることを示したいのだろう。