ピノキオやデイビー・クロケットのデザインがアニメ版とほぼそのままで妖精だけ大幅に違う(アフリカ系)っていうのは確かにちょっと違和感というか、そうであっていけない理由があるわけもないが、いかにも配慮しましたというわざとらしい感じはありますね。ただそれを叩くのは為にする議論の類だが。
クライマックスで飲み込まれるのが鯨ではなくて巨大な怪魚に替えているのも何の配慮かと思う。
ピノキオの実写版というのは去年のマッテオ・ガローネ監督のイタリア映画「ほんとうのピノッキオ」、2003年のロベルト・ベニーニ監督主演版、ドイツ映画版、ジム・ヘンソンによるパペット版などずいぶんある。ギレルモ・デル・トロ監督版も控えている。
これはあくまで1940年のディズニーアニメが原作といったスタンスだろう。
アップになるとピノキオに木の削り跡があるのは芸が細かいというか、手描きアニメとCGとの差別化か。
最初からデジタル技術をマスターした上で縦横に画面作りを発想してくるのはロバート・ゼメキスらしい。それが自己目的化して一人よがりになることもあるが、今回はコントロールは効いている。
人間の子供になりたい人形の話、とDisney+の解説にもあるけれど、その人間になる瞬間ができる限り簡略化されている。
「美女と野獣」にしても、野獣が人間になるラストでなんだか白ける、野獣の方がキャラクターとして魅力的だったではないかという認識が常識になってきた。「シュレック」なんて逆手をとった実例からずいぶん経つし、このあたりも各方面に気を使った感じ。
子供たちが好き勝手をする国がディズニーランドみたいにも見えた。
子供がお酒を飲むあたりで、GからPG12扱いになったか。
出だしですごく丁寧に爺さんが作った時計を見せていく。鳩時計の鳩の代わりにディズニーキャラクターを使うというのは本家の製作でないとできない真似ですね。
時計の強調というのはディズニーの歴史という意識もあるかもしれない。