あえて表面的に見える原色の壁を背景にしてセリフというより引用されたコトバを朗読する、音楽は唐突に断ち切られて唐突に再開する。
コラージュされる映像と音。背景と人間。 アメリカ文化志向と左翼思想の混淆。早くからビデオ映像に向かったのも不思議はない。
どれくらいゴダールの真似が輩出したのかわからない(若いころの黒沢清を含む)が、少なくともエピゴーネンにとどまって大成したのはいない。
アンナ・カリーナがまことにコケティッシュ。当時 さぞゴダールは 首ったけだったのだったのだろうと推察される。
この頃のゴダール映画というのは おしゃれ映画の 典型みたいなとこがあったらしい。
東海林さだおの漫画でショージ君がお見合いした気取った女性が、どんな映画が好きかと言われて はやはりゴダールみたいなのと答えるくだりがあった。それだけちょっとスノッブな層には一般的な人気があったのだろう。
それを無視してほとんど商業映画を通り越して映画否定にまで接近してやはり映画に戻ってきた。
淀川長治はゴダールを泉鏡花に喩えたが、文体を持つ、言葉あるいは映像と音と共に世界が現出するような作家であることを貫いていて、90歳に至るも独立独歩で疾走しているのはご立派。
出てくるオープンリール式のテープレコーダーがAIWA製。