prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「豚小屋」

2022年09月19日 | 映画
近くで噴煙が上がっているような火山性の荒野と、大ブルジョアの屋敷とが代わる代わるに出てきてそれぞれ直接関係のないエピソードが綴られていくという特異な構成。

この二つのパートに両方に出没するのがパゾリーニお気に入りのニネット・ダヴォリで、「アポロンの地獄」が冒頭とラストが現代、間にはさまる本筋が古代という二つの世界を併せ持ってその両方を行き来したのがアンジェロ(天使)という名のダヴォリだった。

前者には終盤の「父を殺した 人肉を食べた 喜びに震えた」という日本の宣伝文句にも使われた以外の呟き以外、一切のセリフ、言葉がないのに対して、前者はもう喋りづめ。このパートは出演しているアンヌ・ヴィアゼムスキーの回想によるとパゾリーニがもともと戯曲として書いたものだという。
そのえんえんたる対話を単調な切り返し、切り返しの連続で描いていくもので、正直こちらのパートはちょっと眠くなる。

顔のアップはパゾリーニの武器のひとつなのだが、特に白黒作品の貧乏人の生々しい顔ではなくブルジョアの着飾った顔だといささか弱くなるみたい。
画としても、どこまでも続く荒野のロケーションに比べて、豪華で広壮であってもブルジョアの生活は貧弱に見える。
実際、ブルジョアとプロレタリアアート、あるいはそれ以前の原初の生の人間という対比はかなりはっきりしている。

荒野編はピエール・クレメンティがボロをまとった以外何も持たず現れに初めは蝶、それから蛇を食べた後、人を殺して食べてしまう。
この殺しの場面のえんえんと追いかけていくあたりの感覚も「アポロンの地獄」を思わせて、あれがもろに父親殺しの話だったのがラストの呟きにつながる。このあたりで剣に加えて銃も使うのがやや近代的だが、銃が断面が四角い特異なデザインだったり、時代や文化圏がどこなのかわからなくしている。
さらにそれに同調する男フランコ・チッティと共に女奴隷を乗せた馬車を襲ったりするが、やがて軍隊に捕まって地面に縛られ犬に食われる。

その一方でブルジョアの息子ジャン=ピエール・レオが突然全身硬直し(「テオレマ」にもあったが、一種の聖性に触れた時にブルジョアが起こす症状といったイメージらしい)、回復したと思ったら豚小屋の豚に食われてしまう。
実際に食われるシーンはなくセリフで語られるだけで、報告するのがダヴォリというのが荒野で犬に食われたクレメンティたちの姿とも繋げる。

図式的に言えば独占資本主義は人が人を貶めて人として扱わず、人が人を食う仕組みということだろう。

監督のマルコ・フェレ―リがちょび髭といい前髪を斜めに流した髪型といいあからさまにヒットラーに似せた扮装で登場、小学生の同級生だったというナチス関係者と手を組む。
そして息子が豚に食われたという報告を受けても口外するなと命じるだけ。人の口に上らなければ存在しないというように。

正直、難解なのが刺激的なのと退屈なのと両方。
プリントの状態は少し褪色していたり傷が入っていたりと、難があるのは残念。アンダーヘアは普通に見えるのはPFFという映画祭だからか。「ソドムの市」が真っ先に完売して見られないのは残念。