イェジー・コシンスキの原作はずいぶん前に青木日出夫による初訳で読んだ。
日本での角川書店で出たのは1972年、アメリカでThe Painted Birdが出たのは1965年。
2011年に「ペインテッド・バード」の邦題で西成彦による新訳が出ている。
この時の青木氏の解説では、イエールジ・コジンスキー(当時の表記)の「天才的な語学力」に触れ、1933年生まれの彼が24歳の時にポーランドからアメリカに亡命された時に持っていたのは5ドルと強制送還される場合に食べるつもりだった青酸カリを染みこませたゆで卵だけで、まったく英語は解さなかったとある。
それから英語を猛勉強して習得してノンフィクション「同士よ、未来はわがもの」に続いて小説第一作 The Painted Birdに続く「異境」Steps(1968 これも青木日出夫訳・角川書店)が全米図書賞を受賞したのだから、たしかに天才的な語学力ではある。
しかし、その後1982年6月22日付のヴィレッジ・ヴォイスに載った「イエールジ・コジンスキーの汚れた言葉」によると、もとはポーランド語で書かれた原稿を新聞広告で集めた翻訳者たちに英語に訳させたのであって、しかも元の原稿は厳しく持ち出しを禁止し、謝礼もまともに払わなかったという。
また内容的にも盗作疑惑が出たりして、この場合はゴーストライターと目された人物が原稿の英語の表現におかしなところがないかチェックしただけで、作品の価値はすべてコシンスキにあると証言して収まったが、いずれにしても少なからぬスキャンダルがコシンスキには自殺するまでついてまわった。
その自殺の仕方にしても、遺作「69丁目の隠者」The Hermit of 69th Street: The Working Papers of Norbert Kosky(Kosinskiからsin=罪を抜いた名前) で書いたのと同じように睡眠薬を飲んで頭からビニール袋をかぶって死ぬというもので、虚実皮膜を文字通り体現していた。
晩年はタントラに凝り、空中浮遊をやったと吹聴したというから、確かに怪しげな人物には違いない。
The Devil Tree,Brind Date, Cockpit,Passin Playなどの作品は日本未訳だし英語のwikipediaでもほぼ無視されている。
読んだところおおむねアメリカの上流階級を舞台にしたデカダンな作品で、初期の衝撃やローカルなユニークさはあまりないようだ。
また金持ちの未亡人と結婚し、使用人にチップを払う以外は何もしない生活を送ったのが、第三作「預言者」Being There=ピーター・セラーズ主演の映画「チャンス」の原作のモチーフになっているともいう。
しかし東欧からの言葉もよくわからない亡命者がどうやって上流階級に紛れこめたのか、不思議。
あるいは「チャンス」で言葉が行き違った誤解がかえって上流階級の女性によって引き立てられる原因になるという展開にヒントがあるのかもしれない。
「ペインテッド・バード」の西茂彦氏の新訳についているコシンスキの後書きによると(ということは、この後書き自体ウソかもしれないということだが)、同作を書く前に30歳前にすでに上流階級の(病弱な)女性と結婚していたとある。
コシンスキはしきりと「異端の鳥」は小説なのにもっぱらノンフィクション、自伝として捉えられ、いもしないモデルが探し出されてほじくりかえされ、故国の家族にまで脅迫が届き、自宅にも鉄パイプを持った暴漢が押しかけたと書いている。
それだけの衝撃を英語世界にもたらしたのは、もちろん第一には作品の内容そのもののせいだが、もうひとつは直接英語で書かれたことも大きいだろう。
アメリカは多くのユダヤ人亡命者を受け入れながら、実は言葉の壁とあまりに過酷な体験をしたサバイバーが自らの記憶に蓋をしたことに阻まれて、ホロコーストやそれに類する残虐行為を直接聞かされることは意外となかったところに、いきなり直接わかる英語で言わば殴り込みをかけられた衝撃と狼狽があったのだろう。
さて映画は、完全に英語を排除している。設定は漠然と東欧で、ドイツ人やロシア人はドイツ語やロシア語を使い、現地人はイーディッシュ語を使っている。
映画の世界では商業的理由からも圧倒的に英語優勢で、多言語世界として改めて非英語圏から英語で殴り込みをかけた原作を多言語圏に逆輸入させたとも言える。
原作は再び青木解説を引用すると、コシンスキの文体は「極度に視覚的」で「映画や絵画以上に視覚的な印象を与える」。
実際、作中で描かれる粉屋が作男の目をスプーンでえぐったり、カルムイク人(映画ではコサックになっていた、わかりやすく字幕でそうしたのかもしれない)が村を襲うジェノサイドの描写の異常な視覚的インパクトは、映画も及んでいない。
視覚的文体で書かれた小説が必ずしも映画化しやすいわけではない(たとえば大方のハードボイルド)。
そして原作は極端に会話が少なく、さらに途中で少年が精神的ショックから口がきけなくなったことからなおさら他人と言葉を交わすことはなくなる。
映画はその状況を踏襲して、極度にセリフの少ないスタイルをとった。
しかし映画でセリフが少ないのはむしろ映像をもって語らせる演出的野心にもつながるわけで、それもサイレント映画的な饒舌さよりは静謐な画と音を重ねる方に向かっている。
白黒映像によって生理的な生々しさをカットしたのと、一種の抽象化寓話化に向かった。
これは三度青木解説を引用すると「ゴヤかボッシュの絵を思わせる」悪夢感覚を漂白したようなものだろう。
はじめの内に主人公の少年が過ごす村には電気もなければ車もなく、18世紀かといえば通ってしまいそうな僻地で、辛うじて飛行機が飛んでいるので、20世紀だとわかるくらい。
映画の宣伝ではユダヤ人に対するホロコーストとしているが、ナチスに限らずおよそ前近代的な土俗的な環境でも差別や迫害が行われていたわけで、人類にとって原初からの宿痾みたいなものかと思わせる。
もちろん文明度が上がり技術力が上がれば迫害と虐殺の度合いはもっとひどくなる。
映画「炎628」を見たとき、原作の「異端の鳥」を思い出した。
あれもジェノサイドを描いて比肩するもののない映画だが、実は直接的な残虐描写そのものはあまりなく、むしろ暗示にとどめている、それだけに恐ろしさを想像させる作りだった。
直接描くと「映像」という現実とはまた違う現実のコピーの認識が入ってしまうのかもしれない。
きっちりパートを分けて連作長編みたいな構成にしたので、3時間の長尺でもわりと見やすい。
おしなべて、残酷な内容を受け入れやすいスタイルに翻訳するアプローチと思える。
ベネチア映画祭で多くの退場者が出たというのは、残酷描写そのものより、子供に暴力が加えられ、さらに子供自身が暴力をふるい、動物が容赦なく殺されるという、映画の描写における一種の不文律を破ったからではないか。
視覚的というと、原作では粉屋に抉り出され床に落ちている作男の目玉を見た「ぼく」は、その目玉を自分の目の前に置いたらもっとものがよく見えるのではないか、後頭部につけたら後ろが見えるようになるのではないかといった妄想にふけるのだが、映画では目玉を拾って持ち主の作男に返すように変更している。
原作ではジェノサイドも「ぼく」が直接目にするものとして描かれるが、映画ではその場に立ち会ってはいても、「見ること」とは一応切り離されている。
映画そのものが「見ること」に他ならないわけで、それに伴う残酷な出来事とののっぴきならない関係性、責任を追うのは少年であるより観客なのだろう。
初めの方に出てくる村人たちが十字を切る時、上から下の後、右から左に切っている。
つまりキリスト教ではあっても東方の正教会の信徒ということだろう。
カトリックは左から右。