描かれる境遇はスタインベックの怒りの葡萄に近いが(スピルバーグ製作によるリメイクの企画、どうなったのか)、怒りや抗議の感覚は薄い。
舞台にサウスダコタ州のバッドランズ国立公園が入っているわけだが、バッドランズといえばテレンス⋅マリックのデビュー作「地獄の逃避行」の原題がBadlandsだった。
あれの広大なアメリカの自然と静謐な詩情の方に近い。
マジックアワーの捉え方の見事さ。
見捨てられて放浪しているのではなく、また出会うために別れを繰り返すという世界観は荒野に生まれた宗教のそれとも思える。
エンドタイトルを見ると、フランシス⋅マクドーナンド以外の素人の出演者はほとんど全員役名と出演者名が一致している。つまりほとんど当人そのままということだろう。
むしろ半ばドキュメンタリーのようなリアルノマドの人たちの中にプロの俳優であるマクドーナンドが入っていったと捉えた方がいいだろう。
プロの俳優であるとかえって怖いのではないか。プロデューサーも兼ねているのだから、挑戦でもあるだろう。
スタッフ編成で目を引くのはジョシュア・ジェームズ・リチャーズが撮影と美術を兼任していること。この二つのパートを兼任するのは珍しい。そこにあるものをそのまま撮っているように見える(そんなわけはないだろうが)画作りのせいか。