成田凌と清原果耶の演技の息の合い方外し方の呼吸が抜群。
ほぼセリフ劇なのだけれど、セリフひとつひとつそのものの暗示性能と必ずしもそれと合わさずに漣のように微妙に変化する表情とで映画の表現になっている。
清原果耶がこれからの生き方を教えてくれると勘違いする有名人が小泉孝太郎というキャスティングが絶妙。ニセモノ感と当人の周囲が勝手に盛り立てている感じがよく生かされた。
外的なコンプライアンスの問題なのか、作者の側の節度というか、18歳の女子高生という設定にありがちな紋切りな展開を周到に避けている。
酒を呑みそうで呑まないまま、酔っぱらいそのまんまの振る舞いするところなど笑ってしまう。
普通という言葉があまりに頻出するもので、逆にどういう意味だとわからなくなる。もともと正確な定義があるものではないので、なんとなく事後的に決まったような気になるものなのを、改めて知る。
横浜のロケーションが観光名所にこだわらないけれど横浜らしさを出した。フェリス女学院がある坂とかちらっと見える看板でわかるようにしている。