広告だといかにもどんでん返し、どんでん返しの連続みたいだし、そうには違いないのだけれど、観客を騙すこと優先というより普通に興味をつないで引っ張っていくストーリーテリングの技法の範中だと思う。
予告編で使われていたセリフが全然違う文脈で、しかも違うテイクが使われているのにあれまと思う。
原作者が大泉洋にあて書きしたというキャラらしいが、ぬらりひょんを若くしたみたいな、つかみどころがなくてしぶとい感じはそのまんま。
ルパン三世みたいでもある。
松岡茉優の実家の本屋で、看板の書店の書の字が消えかかっているのが、いかにも左前の昔の本屋という感じを出した。
狭い店内に並んでいる品揃えもマンガが大半で一応売れ筋を広く浅く揃えている感じ。
その中で「2001:キューブリック、クラーク」マイケル・ベンソンの分厚く赤い背表紙が目立つ。誰が持ってきたのでしょうね。
およそ本筋と関係ないことだが、最初の方で生原稿を読んで左手でメモをとる松岡茉優の左手手首に腕時計が女はめ(文字盤が脈をとるあたりにくる)になっているのにあれと思った。
腕時計している左手でペンを持っている図ってあまりない気がする。
松岡茉優は本当に左ききだそうだが、ラスト近くの大泉洋と屋上で会話を交わすシーン、わずかに鉄製の手すりに時計がぶつかっているとおぼしき音が入っている(気がする)。
ライバル誌同士の争いではなく、老舗出版社の内部の古めかしい純文学雑誌編集部と純文学をアップデートしようとするカルチャー系編集部との抗争に派閥抗争がかぶる構図。
若くてイケメンの作家の売り出し方などいかにも今っぽくて、しかも映画自体のセンスがズレていない。
新しいものと古いものの対立と見せてするっとひっくり返るのが今の話。
佐藤浩市の役名高松が揶揄してきかんしゃ高松(こうまつ)と呼ばれるわけだが、SLに佐藤の顔を貼りつけたデザインはきかんしゃトーマスそのままながら色とか型式が全然違うのは版権に気を使っているのでしょうね。