世話役のようにしてやってきた祖母が、いわゆる韓国のオムニのイメージをおよそ覆して料理もしなければ片膝ついてぱちりぱちりと子供相手に花札をやっているあたりのアジア人女性のつつましく控えめというイメージとはおよそ無縁の豪放さが素晴らしい。
プロレスのテレビを見て大喜びしている姿など、私の祖母の姿にもろにかぶって懐かしいというより日本でも浅草あたりに意外と珍しくなかった、昔の言葉でいう鉄火肌の人たちなのではないかと思った。
学校に行っている場面はなくて、アメリカではいわゆる義務教育というのがないのがわかる。
トレイラーハウスの親戚みたいな列車の車両を改造した家という設定も面白い。
おねしょをはじめ、おしっこが命の証しになっている表現が下品にならない。
レーガン政権(1981〜89)の時代という設定だから、韓国では独裁政権から民主化への移行期ということになる。映画でいうと「1987 ある闘いの真実」「タクシー運転手」の時代で、おそらく動乱と弾圧を逃れてきたのだろう。
夫が懸命に農業で成功しようとして知らず知らずに家族を顧みない、うまくいけばいいというものではない、うまくいく時もいかない時も家族は協力しないとと妻が責めるあたりのすれ違いが図式ではなく肉質をもって描けた。