文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

書評:哲学する心

2014-01-07 08:19:56 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
哲学する心 (講談社学術文庫 (1539))
クリエーター情報なし
講談社


 闘う哲学者、梅原猛さんの「哲学する心」(講談社学術文庫)。著者が、新聞や雑誌に掲載したものを集めたものだが、タイトルから受けるような難しい内容ではなく、エッセイ集といったようなものである。

 講談社学術文庫に入ったのは2002年だが、単行本として出されたのは1968年である。この少し前から、梅原さんは、闘う哲学者としての本領を発揮して、多くの人と論争を始めたようである。これが、そのすぐ後に出版された「隠された十字架」や「水底の歌」などの論争に繋がっていくのだ。

 梅原さんの哲学に対する基本スタンスは、哲学とは、過去の学説や概念について考えることではなく、人類は今の世界をどう生きるべきかを、じぶんの頭で考えることだというものである。だから当時の日本の哲学者に対してはかなり手厳しい。例えば、こうだ。

<日本の哲学者の仕事は、みずから思索するというより、ヨーロッパ産の哲学の解釈と紹介をすることなのだ。哲学会という学会で、一つだけ質問してはならないことがある。それは、あなたの説は何ですかという問いである。>(P16)

 梅原さんも、我が国の多くのインテリ達と同様に、西洋思想の崇拝から始めたそうだ。しかし、それは絶望の思想。梅原さんは結局、「笑いの哲学」の研究に行き着く。哲学の心理は、深淵なアカデミズムの中にだけあるのではない。もっと日常的なものにもあるというのだ。だから、梅原さんにとっては、余暇だって、哲学の対象になるし、パチンコの中にだって哲学はある。

 そして、そこから仏像の持つ神秘的な微笑に行き当たり、仏教の研究に入る。梅原さんは、西洋では、東洋や仏教を見直しているのに、あいわらず日本だけが、自国の文化について無知だと嘆く。ヨーロッパが近代になってやっと気付き始めたことが、仏教の中には、ちゃんとかくれているというのだ。

 最初に述べたように、色々なところで発表したエッセイを集めたものなので、必ずしも体系だっている訳ではないが、それでも梅原さんの思想の変遷が分かり、極めて興味深い。梅原ファンなら必読の一冊だろう。

☆☆☆☆

※本記事は、「本の宇宙」と共通掲載です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする