原民喜 死と愛と孤独の肖像 (岩波新書) | |
クリエーター情報なし | |
岩波書店 |
・梯久美子
原民喜というと「夏の花」などの原爆文学で有名だが、一般には忘れ去られた作家かもしれない。私も放送大学の面接授業で取り上げられるまでは知らなかったし、名前を聞いたこともなかったのだが、彼の作品を読んでみてその美しさに魅了された。
本書は原民喜の評伝である。岩波の本は流通過程が他の出版社と違うことで有名だ。通常本というのは書店の委託販売になるのだが(だから売れ残ると返品される)、岩波の場合には書店の買取になる。だから通常よく行く書店には岩波の本は置いていないのだが、さすがに広島の書店だからだろうか、この本だけは新書の棚に置いてあった。
原民喜は1905年に今の広島市中区幟町で生まれた。実家は陸海軍や官庁を相手とした繊維商をしており、幼少期は豊かに育った。彼は人づきあいが苦手で極端に無口だった。友人の詩人・長光太が原の中学時代の同級生である熊平武ニから聞いた話では、中学に入学してから4年の間に彼が声を発するのを聞いた者はひとりもいなかったという逸話が本書に紹介されているほどだ。
生活能力は全くと言っていいほどなかった原であったが、その原の唯一ともいえる支えだったのが、彼の妻・貞恵だろう。彼女は夫の才能を信じ、彼をよく支えた。原の妻を追想した連作「美しき死の岸に」の中の「苦しき美しき夏」という作品の中に次のような場面があるという。
小説の構想を話す夫に対して、貞恵は喜びにあふれた顔で次のように言う。
<お書きなさい、それはそれはきつといいものが書けます。>(p113)
貞江は民喜より6歳年下だったが、母のような存在だった。しかしその最愛の妻も、肺結核と併発した糖尿病で亡くしてしまう。1944年9月、民喜39歳の時である。この時彼の心は、妻の死と共に死んでしまったのだろう。
<原は妻と結婚したばかりのころ、ふと、間もなく彼女に死なれてしまうのではないかという気がして、「もし妻と死に別れたら、1年間だけ生き残らう。悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために・・・・・・」と思ったと書いている(「遥かな旅」)。>(p29)
しかし、妻の死後、1年を経過する前に広島で被爆してしまう。1945年8月のことである。彼の前に広がったのはまさにこの世の地獄。彼の代表作「夏の花」を読んでみるといい。美しい文体で粛々と描かれる被爆直後のヒロシマの様子に、一層当時の悲惨さが際立ってくるだろう。彼は作家として、ヒロシマの様子を書き残さずにはいられなかったのだ。
結局彼は自らに課された仕事をやり終えたと思った時に、妻の待つ世界に旅立ったのだろう。享年45歳。早すぎる死だった。本書はそんな原に捧げる鎮魂歌のように思える。
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※初出は、「風竜胆の書評」です。