今日のAERAdot.の記事「ノーベル賞に圧倒的強さを見せる大学は!? 受賞者出身校ランキング!〈dot.〉」を読んでいて、いい加減なことを書いていると思ったのは私だけではないだろうか。ノーベル賞受賞者を輩出している京大の秘密として、山極総長の次の言葉を紹介している。
<「教授を『先生』と呼ばせない。京都大学にはこんな伝統がある。(以下略)>
京大は私の母校でもある。大学院修士まではこの大学にいた。しかし、教授を『先生』と呼ばせない伝統があったという感じはしなかった。確かに本人のいないところでは、学生たちは「〇〇さん」と「先生」とは呼んでいない人が多かったように思える。しかし面と向かって呼ぶときは「先生」とよばないと機嫌が悪くなる人が何人かいたのも事実だ。私が学生のころ自分自身で経験があるので、山極総長のいた理学部にはそのような伝統があったのかもしれないが、全学的にそういう伝統があったとはとは思えない。
京大名物?であるタテカンの撤去も大学側により進められていると聞く。京大の特徴である自由闊達さがどんどん失われて、このままでは普通の大学に凋落しかねないことをOBの一人として懸念している。
<「教授を『先生』と呼ばせない。京都大学にはこんな伝統がある。(以下略)>
京大は私の母校でもある。大学院修士まではこの大学にいた。しかし、教授を『先生』と呼ばせない伝統があったという感じはしなかった。確かに本人のいないところでは、学生たちは「〇〇さん」と「先生」とは呼んでいない人が多かったように思える。しかし面と向かって呼ぶときは「先生」とよばないと機嫌が悪くなる人が何人かいたのも事実だ。私が学生のころ自分自身で経験があるので、山極総長のいた理学部にはそのような伝統があったのかもしれないが、全学的にそういう伝統があったとはとは思えない。
京大名物?であるタテカンの撤去も大学側により進められていると聞く。京大の特徴である自由闊達さがどんどん失われて、このままでは普通の大学に凋落しかねないことをOBの一人として懸念している。