昨日参加した、「Rail and Bus てくてくツアー 三ツ城古墳&安芸国分寺歴史公園」だが、まず行ったのが、「安芸国分寺歴史公園」。
安芸国分寺は、聖武天皇の詔によって全国に作られた国分寺のひとつであり、創建当時の寺域は、現在よりかなり広かった。当時の遺跡を発掘して整備したのが、「安芸国分寺歴史公園」である。この写真からは、ただの草原のように見えるが、一応当時の主要伽藍の配置が分かるようになっている。
上の写真は、現在の国分時の山門(仁王門)と本堂である。仁王門は、東広島市内で最も古く、市重要文化財になっているそうだ。本堂の方は、幕末の頃、寺が困窮していたため、、浄土真宗の寺に売却されてしまったそうだ。長い間、隣の護摩堂を本堂代わりにしていたが、約10年目に再建され現在に至っている。真言宗御室派の寺だ。
そしてこちらが、三ツ城古墳(みつじょうこふん)。広島県最大の前方後円墳だ。もちろん今の姿は復元されたものであるが、この古墳が面白いのは、前方後円墳(1号墳)の頭の部分に連接して、円墳が(2号墳)あり、さらにその少し向こうに、もう一つの古墳(3号墳)がつながっているということだ。つまり、この古墳は3つの古墳が連なったものである。作られたのは2号、1号、3号の順らしい。
安芸国分寺は、聖武天皇の詔によって全国に作られた国分寺のひとつであり、創建当時の寺域は、現在よりかなり広かった。当時の遺跡を発掘して整備したのが、「安芸国分寺歴史公園」である。この写真からは、ただの草原のように見えるが、一応当時の主要伽藍の配置が分かるようになっている。
上の写真は、現在の国分時の山門(仁王門)と本堂である。仁王門は、東広島市内で最も古く、市重要文化財になっているそうだ。本堂の方は、幕末の頃、寺が困窮していたため、、浄土真宗の寺に売却されてしまったそうだ。長い間、隣の護摩堂を本堂代わりにしていたが、約10年目に再建され現在に至っている。真言宗御室派の寺だ。
そしてこちらが、三ツ城古墳(みつじょうこふん)。広島県最大の前方後円墳だ。もちろん今の姿は復元されたものであるが、この古墳が面白いのは、前方後円墳(1号墳)の頭の部分に連接して、円墳が(2号墳)あり、さらにその少し向こうに、もう一つの古墳(3号墳)がつながっているということだ。つまり、この古墳は3つの古墳が連なったものである。作られたのは2号、1号、3号の順らしい。