晴、12度、71%
昨日、義母の今年3度目の退院日を迎えました。昨年の12月9日に圧迫骨折をして以来、重なる骨折で3度の入院、11ヶ月に及ぶ入院生活が終わりました。退院したその足で老人施設に向かいました。車で5分とかからない距離です。
退院時には見送ってくださる病院の方達に「みんなは私の気持ちが分かっとる。」と言って泣きました。病院の方達は今までの経緯をよくご存知です。「絶対に施設には入らない。」これが本音でした。繰り返し「嫁に施設に入れられる。」と言っていたそうです。まるで鬼嫁、姥捨山に手を引いていくような背中が寒い気持ちになりました。
施設に着くとみなさん笑顔で迎えてくださいます。ほんの5分前とは違い、義母も私もホッとします。この1週間で私が荷物を運び込んだ部屋を義母が見るのは初めてです。3階の部屋へはエレベーターを使います。エレベーター操作がわからないので早速練習してもらいました。部屋に入ってやっと二人きりになりました。病院からの荷物もかなりの量です。ベットの腰掛けてもらい、私は荷物の整理をします。義母は年相応に記憶が飛びます。しかも、私が実家に入り荷物を運び出してくることは気が気ではありません。物がないと「真奈さん、取ったろ?」という始末です。この繰り返し。不安がそういう言葉を出させることも母の時の経験から知っています。
とりあえずの部屋です。まだあれが欲しい、これも持って来て欲しいと要望が出ました。義母の施設での初めての食事、昼食中に実家に要望の物を取りに帰りました。実家までも車で5分です。私はなんでこういうものが必要かわからずとも、義母が欲しいというものは持ち込むことにしました。少しでも安心してもらうためです。
朝早くからずっと起きたままの義母に昼寝を取ってもらおうと、3時前には施設を出ました。今日もまた荷物を運びます。
夜電話をすると、「何もすることがないから寝るわ。」と言います。周りの同年齢の方達はみんな耳が遠くて話にならないし、話したくもないのだそうです。徐々に変わっていくと思います。
義父の遺影も持って来ました。義母が写真に気づいたのも私が帰る前のことです。ベットサイドには義母の家の庭にたった一輪咲いていたガーベラを挿しておきました。少しでも寂しくありませんように。