マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

伊勢のお寺と廃仏毀釈

2020-12-08 | Weblog
明治政府は神仏混淆の長い歴史を無理やり分離しようとしました。
真っ先に標的になったのは御師や山伏だったそうです。

直接、寺院を破壊せよと、命令が出されたわけではありませんでしたが、
おだやかな神仏習合によって築かれてきた日本の文化の破壊が始まりました。

沢山の古い寺院の建物が壊されたり焼かれたり。
浄土真宗は激しく抵抗したそうですが、
貴重な仏像や絵画などが、ごみのように捨てられたり、持ち去られたりしました。

多くの地域で火葬も禁止されました。
先祖の墓があり、家には仏壇があり、地域になじんだお寺を、そして信仰を
多くの人々がそんなにも簡単に捨ててしまった、ということが信じられません。
長年の鬱憤がお寺に向けられたのかもしれませんが、
一時の激情とはいえ、異様な感じがします。

徐々に仏教は国家神道の下に位置付けられ、
宗教的な挙国一致の精神が広く浸透していきました。
そうして戦争が繰り返されました。
時がたち、今見渡せば一部を除いて、
再び神仏混交は復活し、
観光と宗教も再度一体化しているように見えます。
今後どうなっていくのでしょうか?

京都に多くの古い寺院が残っているのは、
寺院と天皇家の結びつきが強かったため、のようです。
何しろ大昔から(数十年間を除いて)天皇家は仏教徒です。
引退すれば、寺を建て、尼になったり、法主になったり・・・。

伊勢地域も廃仏毀釈の嵐が強く吹き荒れ、
200近くもの寺院が廃寺となったそうです。
古い大きなお寺はほとんど残っていません。
後に再興された寺院は、寺域も狭く、
建物も新しいものが多いようです。





その伊勢で、道に迷い、思わぬ所で古い寺院「等観寺」に出遭いました。
よくぞ残っていた、と思います。





屋根瓦が見事です。
丁寧な修理の跡も見えます。

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伊勢市の資料より
『等観寺』
伊勢神宮外宮からほど近い所に位置する、応永元年(1394)の創建と伝わる曹洞宗総持寺派の寺院。
明和2年(1765)に改築が行われ現在の規模が完成し、明治初めの廃仏毀釈をのり越えて今日に至りました。
県指定の有形文化財「紙本着色長谷川等伯筆四季山水屏風」や「雲版」を所蔵。
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