昔、喫茶店に行くと、テーブルの上に、灰皿とマッチが置いてありました。
マッチにはその店の名が書いてあって、客はそのマッチを貰って、
ポケットの中に入れて帰る、そして、どこかで、ポケットからそのマッチを出してタバコに火をつける・・・
そんな風にしてマッチはそれぞれの店の宣伝塔の役割を果たしていたと思います。
工夫を凝らした形やデザインがそれぞれの店の雰囲気と、その時代を伝えていました。
そのマッチは無料でした。
それとは別に、今と同じスタイルのマッチとその同じデザインの大箱が流通していて、
日常ではそちらが使われていました。
若い頃、知人が出張先で買い求めては集めていたマッチを
時々分けてもらっていました。
「田舎の小さな雑貨屋さんに、古いものが残っていたよ・・・」と嬉しそうに話してくれたこともありました。
その頃、知り合いの間で「マッチ箱」はちょっとしたブームだったのです。
アーティストたちが、日本の一昔前のデザインからヒントを得て、
アートやポスターなどを製作していました。
かつて(明治時代~)マッチは日本の重要な産業で、
世界各地へと輸出されていたそうです。
その色とデザインはあたかも決まりがあるかのような
独特の赤と黄と紺の色合い、文字のレイアウト・・・
いつの間にか溜まり、たまに箱から出して眺めていましたが、
箱の中にしまい込んでいるだけではつまらないと思い、昨日、
押しピンでコルクボードに止め付けてみました。
動物のデザインが多く、「鶴」や「鴎」「馬」「虎」などは今もよく見かけますが、
下の写真の上段の中央、「蚕」はとても珍しいと思います。
古いものは箱が「へぎ(薄板)」で出来ています。
「へぎ」に薄紙が貼ってあります。
全て手作業です。
箱作りと、軸を並べるのは、貧しい家の、女性と子どもの内職だったそうです。
写真の火薬の黒い方のマッチを擦ると、
パチパチッと光ってすぐに消えてしまいます。
花火みたいです。
マッチ棒も細くて折れやすく、戦争中に製造されたもの?かもしれません。
マッチにはその店の名が書いてあって、客はそのマッチを貰って、
ポケットの中に入れて帰る、そして、どこかで、ポケットからそのマッチを出してタバコに火をつける・・・
そんな風にしてマッチはそれぞれの店の宣伝塔の役割を果たしていたと思います。
工夫を凝らした形やデザインがそれぞれの店の雰囲気と、その時代を伝えていました。
そのマッチは無料でした。
それとは別に、今と同じスタイルのマッチとその同じデザインの大箱が流通していて、
日常ではそちらが使われていました。
若い頃、知人が出張先で買い求めては集めていたマッチを
時々分けてもらっていました。
「田舎の小さな雑貨屋さんに、古いものが残っていたよ・・・」と嬉しそうに話してくれたこともありました。
その頃、知り合いの間で「マッチ箱」はちょっとしたブームだったのです。
アーティストたちが、日本の一昔前のデザインからヒントを得て、
アートやポスターなどを製作していました。
かつて(明治時代~)マッチは日本の重要な産業で、
世界各地へと輸出されていたそうです。
その色とデザインはあたかも決まりがあるかのような
独特の赤と黄と紺の色合い、文字のレイアウト・・・
いつの間にか溜まり、たまに箱から出して眺めていましたが、
箱の中にしまい込んでいるだけではつまらないと思い、昨日、
押しピンでコルクボードに止め付けてみました。
動物のデザインが多く、「鶴」や「鴎」「馬」「虎」などは今もよく見かけますが、
下の写真の上段の中央、「蚕」はとても珍しいと思います。
古いものは箱が「へぎ(薄板)」で出来ています。
「へぎ」に薄紙が貼ってあります。
全て手作業です。
箱作りと、軸を並べるのは、貧しい家の、女性と子どもの内職だったそうです。
写真の火薬の黒い方のマッチを擦ると、
パチパチッと光ってすぐに消えてしまいます。
花火みたいです。
マッチ棒も細くて折れやすく、戦争中に製造されたもの?かもしれません。
そういえば思い出しました。
マッチ棒を1本動かして、数式を正しくする、とか、
何本か動かして順次三角形の数を減らしていく、とか、正方形の数を減らしていくとか・・・
他にどんなのがあったかなー?
マッチ棒遊びも思い出しました。
コメントありがとうございます。
全国各地にマッチ工場が作られたようですが、
とくに兵庫県には多かったようです。
蜻蛉の刺繍のシャツのことを書いたブログ、
読ませてもらいました。
刺繍は私も好きで、様々沢山してきましたが、
虫を刺繍したことはありません。
今度やってみようかな・・・
硫黄の質のよくない?のはよく擦れないで苦労したり。
今思い出しました、小学低学年頃でしたか、初めて母がマッチを擦らせてくれた時の事。仏壇の前でした。
トンボの刺繍のシャツのこと、ブログに載せました。ご覧になってください。