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マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

『わたしが外人だったころ』鶴見俊輔

2015-07-24 | book
高校生の頃、
鶴見俊輔らの出していた「思想の科学」を一生懸命読みました。
それらの本を通して「考える」ことを学びました。
今朝「鶴見俊輔」が亡くなったことを聞いて、
思い出したくない高校生の頃のことなど少しだけ思い出しています。
戦後70年の平和、と言っても、ベトナム戦争の頃、
日本の各地のアメリカ軍の基地から次々と戦闘機がベトナムに向かって飛び立ち、
ベトナムで爆弾を落し、枯れ葉剤を蒔き、人を殺し続けていたのです。
アメリカ兵の死体も日本の基地からアメリカに送り返されていました。
人は何でこんなひどいことが出来るのだろうと思い、
同時に自分の無力さを知りました。

「たくさんの不思議・わたしが外人だったころ」が出版されたのは1995年、
今年の5月に傑作集としてハードカバーになって出版された本を、
この間図書館で見つけて借りてきました。
鶴見俊輔は15歳でアメリカに行き、
「日本が負ける時は日本にいたい」と考え、19歳のとき交換船に乗って日本に帰ります。
そして直ちに徴兵されジャワに連れて行かれます。
敵国のラジオを聴いて翻訳して書け、と命令されます。
鬼畜米英の声が飛び交う中で、
鬼畜は自分のことだといつもおびえたそうです。
アメリカで「外人」として過ごし、日本に帰っても「外人」だったのです。
読者は、「国」って何だろう、「日本人」「外人」ってどういうこと?
とおのずと考え、「日本人」「ニッポン」と声高に喚くことに恥ずかしさを覚えるかもしれません。
そうやって考えることの大切さをこの本は伝えています。




 『わたしが外人だったころ』
      鶴見俊輔 文   佐々木マキ 絵     
          たくさんのふしぎ傑作集   2015年5月(1995年、7月) 福音館


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1 コメント

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北斗七星にたとえられた日本共産党 (山近 茂)
2015-07-25 09:22:43
「アベ政治を許さない」と揮ごうされた金子兜太さん。
「カタカナにしたのは、こんな政権に漢字を使うのはもったいない」
ついに日本人扱いされなくなった。やっぱりアメリカ人か?
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