マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

アフリカの子ども図書館

2014-10-08 | Weblog
子どもの本を通して、アフリカと日本の間にかけ橋を作ろうという活動があります。
アフリカ子どもの本プロジェクト」です。

「アフリカは地図上の大きな大陸だ。」
と言うことはできますが、
気候も文化も人種も言語も国によって地域によって非常に大きな差異があり
アフリカとは、と短い言葉で表現することはできません。
けれど、今、広いアフリカ大陸のどこかで絶えず戦争が起こって血が流れ、
子どもたちが犠牲になっている、ということは事実です。
子どもたちが銃やナイフを持たされ、
洗脳され、自分たちの親や兄弟の住む村を襲い、
人殺しを強要されるというような恐ろしい事も行われています。
例えその戦争が終わったとしても、
憎しみは憎しみを生み続けます。
また、エイズも子どもたちの親の命を奪い
孤児となった多くの子供たちはストリートチルドレンになるしかありません。
そして今エボラ出血熱が西アフリカで猛威をふるっています。
苦しい思いをしている人たちのところへさらなる苦しみが次々に襲いかかっていく…
本当に神も仏もないと思います。

子どもたちが昔話を思い出し、歌を歌い、喜びを取り戻し、
希望と誇りを取り戻し、笑顔になるにはどうすればいいのでしょう。
そんな子どたちが、生きていく力を得るために私に出来ることなど何もないのです。
でもアフリカの現地で子どもたちのために頑張っている人たちがいます。
このような人たちの存在は私にとって、未来への希望です。
上記のプロジェクトはその一つで、ケニアの山間の村での子ども図書館つくりに携わった有志が設立しました。
写真は子どもたちと一緒にレンガを積み上げ、色を塗って、絵を描いて作り上げた建物です。
今日はその「子どもの本プロジェクト」の10年の歩みの報告を聞き、
ムビラ(ジンバブエの楽器)の演奏を聴き、アフリカを描いた絵本や絵本の原画をみて来ました。

上の写真は会場(京都市国際交流会館内)で「ムビラ」演奏中の様子。

「ムビラ」です。ヒョウタンには補修の跡がいっぱいありました。
王冠が活躍しています。演奏者は親指の腹に金属の爪のようなものをはめてムビラをはじきます。

「ムビラ」はカリンバに似ていますが、アフリカの限られた地方の楽器でカリンバより大きく複雑で、
ひょうたんの中で響かせながら演奏します。
反復するメロディとさざ波のようなリズムは
ずっと聴いているとトランス状態に引きこまれそうな感じがしてきます。

絵本を展示している台に掛けてある布が素晴らしい!
なんて力強いデザインなのでしょう。
生命力に溢れています。





織物や染め物をみるだけでも、地域によって違い、
日本のものとそっくりな藍染の絞りなどもあり、
本当に様々でアフリカの文化の豊かさを感じます。






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粘土遊び

2014-10-07 | 手づくり

まだ粘土で遊んでいます。
レリーフを大小10個位作りました。
写真や画集を参考にしました。
針金などで芯を作ればしっかりした立体もできますが
平面に少し凸凹をつけるだけでも画用紙に絵を描くのとは少し違って、
不器用でも不器用なりに、楽しめます。

ダイソーの100円の石粉粘土(270g)2袋をほぼ使い切りました。
昔、画材屋さんで結構高い値段で買っていたものと使い心地に何の変わりもありません。
子どもたちにもおおいに利用してもらいたいと思います。

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忘れてはならないこと

2014-10-04 | Weblog
子どもの頃
1時間の授業がそれはそれは長かった!
段々早くなって今ではまさに飛ぶように月日が経って行きます。
何もできないのに一日が終わってしまった事への後ろめたさが
時間が早く経つように感じさせているのかもしれません。
歳をとると忘れっぽくなることも時間の速さに拍車をかけているような気がします。
忘れたくない事や、忘れてはならないことは年々増えていくのに、
忘れてしまうのです。


そのこととは別の話です。
忘れさせようと圧力がかけられている事柄があります。
原発の事故に関することです。
三年半たって、今、全てが「忘れさせよう作戦」で進められていると感じます。

原子炉建屋の爆発でどんなに皆が恐怖に震えたかも、時が経てば忘れるだろう。
バケツをぶら下げたヘリコプターが右往左往したこともそのうち忘れるだろう。

徐染作業で集まった汚染土をどこへ持って行ったか、誰が作業したか、
どこに埋めたか、数年もすれば忘れるだろう。
汚染された瓦礫も全国へ散らばらせておけばそのうちわからなくなって忘れるだろう。

原子力を安全だと言ってだましたのが誰だったかも忘れるだろう。
事故を起こして毒を振り撒いた張本人は誰だったのか忘れるだろう。

現在も高濃度の汚染水が大量に垂れ流されているが、もう慣れっこになって、
騒がれることもなくなって、そのうち汚染水のことも忘れるだろう。

家を失い、職を失い、土地を失い、健康を失った当事者のことなども
プライバシー保護ということで、公にしなければそのうち大多数の国民は忘れるだろう。
自分たちの吐いた「嘘」も「暴言」ももうすぐみんな忘れるだろう。


それが、原子力を推進して来た政治家、電力会社、おかかえ学者の考え方の根本にあると思います。
非常に傲慢で野蛮な考え方です。


起きたことを、忘れずに考え続けるにはエネルギーが要りますが、
何か起きたその時だけブームのように騒ぐマスコミと同じようになってはならないと自分に戒めています。





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羊歯・シダ(その2)

2014-10-01 | 自然
シダと言えば
巨大な爬虫類やメガネウラや恐竜が生きていた時代の、
何十メートルもある木のようなシダやトクサが茂る風景が頭に浮かびます。
想像しただけでぞくぞくします。
思いもつかないような奇妙な姿のシダもあったでしょう。
見てみたいものです。
そのシダみたいなのは現在の木々や草のように腐敗したり虫などに食べ尽くされることなく、
地中で熱や圧力を受けて、黒い、まるで石のようになり、ヒトに掘りだされ、
石炭と呼ばれ、ヒトの家を暖め、鉄を溶かし、列車を走らせ、電気を起こし、
まだまだ地中に眠っている、というのですから、
シダが生い茂る遠い遠いその時代の途方もなく長い時間を思うと、
眠れなくなります。


先日の観察会で最初に手にとって観察したのがAZOLLA(アズラ/外来のアカウキクサ)でした。
水面を覆い尽すこともある、寒くなると紅葉するあの赤い浮草です。
シダだったなんて、知りませんでした。
琵琶湖で大量に発生して疎水経由で、
あるいは鳥の足などにくっついて運ばれ、あちこちでも見かけるようになりました。
ルーペで見るとウロコ状の葉が観察できます。
羊歯なので生活形態も花咲く他の植物とは違い、
胞子でも、千切れた葉からもどんどん増えることが出来るスーパー植物です。
ルーペ越しに写真を撮ろうとしましたがだめでした。

「しめ飾り」や「鏡餅」にはとても使えない巨大なウラジロもあちこちで目にしました。
ウラジロは裏は白いですが表は艶がある濃い緑で、光を照り返し、
左右対称の一対の2枚の葉が印象的で、覚えやすい羊歯です。


トクサも羊歯植物、ツクシそっくりの胞子穂を付けているのを見つけて写真を撮りましたが
これもピントが合わず失敗。
下の写真はネット上の図鑑の写真です。

節のところの袴のようなものが葉だそうです。
砥草の名の通り細工物を砥ぐのに使われてきたそうです。

羊歯の観察会の終着点は大勢の観光客で賑わう南禅寺でした。

京都市民は琵琶湖からこの疎水を通って送られて来る水を飲んでいます。
だから、京都の人は、この水道の傍に立つと、明治の初めのその大工事のことを思い、
かつて、この水力発電で走った「ちんちん電車」のことを思い、
琵琶湖に想いを馳せ、ちょっとだけ感傷的になるのです。
たぶん…私だけではないと…



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