こんばんわ。
一連のフィルムスキャンでDRC「きぬ」の写真が1枚だけ出てきました。
昭和56年6月6日 東武日光線 新栃木~新大平下間にて
このときの撮影では殆どがモノクロだったのですが、カラーネガで未現像があったようです。
過去ログ DRC「けごん」 → http://diary.jp.aol.com/marutetsu/172.html
さらにリンクを貼ってあるので、「きぬ」も見ることが出来ます。
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一連のフィルムスキャンでDRC「きぬ」の写真が1枚だけ出てきました。
昭和56年6月6日 東武日光線 新栃木~新大平下間にて
このときの撮影では殆どがモノクロだったのですが、カラーネガで未現像があったようです。
過去ログ DRC「けごん」 → http://diary.jp.aol.com/marutetsu/172.html
さらにリンクを貼ってあるので、「きぬ」も見ることが出来ます。
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東武のロマンスカーといえばDRCですな。あたしたちの年代は。パーラーカーでしたっけ、場末のスナックみたいなオレンジ色のガラスドアが印象に残ってます。
フォルムはこだまの影響が色濃いですね。
私自身実際見た事も乗った事もないのですが、子どもの時弟が持っていた電車図鑑に載っていたのを覚えています。
当時近畿在住。「きぬ」?「けごん」?変な名前~なんて思っていました。愛称の由来をしったのは大人になってからです…。
この車両も一編成でも残っていれば、リバイバルトレインとして見れたでしょうね。
最近の特急は愛称名がなかったり小さかったりで、当時のこういった大きな物が撮影意欲を沸かせます。
事務所からのポチ!
おはぽちどもです。
世代的に東武と言えばDRCですかね。ジュークボックスって言う言葉だけでも死語になりつつある感じがします。
このスタイルは完全に当時の流れでしょうし、絶対にこだま型やキハ81を意識したでしょうね。
残念ながら乗った事無いんです。
おは!
西日本在住の方には車両も名前も馴染みがないでしょうね。関東では小学校の修学旅行といえば日光が定番なので、「けごん」は誰でも知っているという感じですかね。鬼怒川の「きぬ」は「絹」だと思っていた人もいるのではないでしょうか(笑)。JRから乗り入れている「きぬがわ」の方が名前的には解かりやすいですね。
DRCも息の長い列車だと思っていたのですが、5700系と同じくらいにして全廃されてしまったので、最後はあっけなかったですね。むしろ5700系の方に注目が行ってしまったかもしれません。
ヘッドマークも含めて、トータルデザインが国鉄らしさを持った私鉄の王者的な貫禄を持っていると思います。ロマンスカーと好対照なグッドデザインですね。
今日もお仕事ですか?後でお疲れポチ入れに行きます。
このタイプの車両は見たことも無いかも知れません。あと、別会社ですけど旧レッドアローもあまり印象がないですね。
やっぱ国鉄車両ばかり追っかけてたのは失敗でしたな。
地元の京成でさえ殆んど撮ってませんでした。
この辺りは小田急ロマンスカーと並んでメジャーな特急でしたから、見たこともないとなるとかなりの国鉄フェチだったってことですね。
私もそうでしたけど、たまたま友人が東武利用者で愛着を持っていたので、付き合いで何度か撮影に行きました。ですので、昭和50年代は馴染みがあったんですね。
今は銀色で面白みが欠けてきた私鉄でも、いずれは「撮っておけば良かった」なんてなるでしょうから、一応なんでも撮っておきましょ。
置いといて、この1720系ですが同じ時期の151系、キハ81ともう一つ、当時の日本車みたいなアメ車を意識したデザインにも見えますね。南海20001系こうやも初代のグロリアやスカイラインみたいなライトべゼルですからね。
関東の私鉄の特急の中では個人的には小田急ロマンスカーより印象に残ってますね。
いつも硬い内容なので、少しは弾けておかないといけないと思いまして、ふぇっふぇっふぇっ・・。
確かに昔のアメ車やグロリアみたいなボディーから尖った雰囲気はあるような感じですね。大袈裟なデフォルメが国鉄らしさを隠したデザインとして成功しているかもしれません。
こういった私鉄車両は、思い入れよりも前にどれくらい直に接する機会があったかということの方が強い感じしますね。私もどれかと言われれば東武で、2番目が意外にも京成スカイライナーかもしれません。