「白根」と言えば、オジサン世代は157系で運転されていた臨時特急が真っ先に浮かんでくるわけですが、調べてみたら157系での運転はわずか4年半だったのですね。しかもオンシーズンの週末のみですから、撮影したくてもなかなか運転日が少なくて、当時小学生だった私には非常に捉えがたい列車でした。
昭和50年12月の運転から老朽化廃車された157系から183系に変更となり、憧れだった臨時特急はタダの変哲も無い臨時特急となり、興味の対象からも外れました。
しばらくは地味な存在になってしまった臨時特急「白根」ですが、上越新幹線の大宮暫定開業となる昭和57年11月に転機が訪れます。
温泉特急として、それまでの定期急行「草津」を1往復残して新特急として定期化されます。ここに185系新特急「白根」が誕生します。
私的には興味の対象外の列車でしたが、写真が数枚出てきましたのでご紹介したいと思います。
昭和57年12月 東北本線 西川口~蕨間にて 185系14連「草津」「谷川」
登場後間もない頃の新特急「白根」。最初の頃は単独編成が無く、「谷川」と併結され14連で走っていました。
現在は「水上」が上野寄り、「草津」が渋川寄りの連結となっていますが、この頃は編成順序が異なります。
昭和60年2月9日 吾妻線 川原湯駅にて 185系「白根」×2とEF15
EF15がサロンエクスプレスを牽いて吾妻線に入線した日、川原湯駅(現:川原湯温泉駅)にて撮影したもの。この日の川原湯駅では、新特急「白根」同士の交換に加え、EF15牽引のサロンエクスプレスの退避が重なったため、ローカルな駅で壮観な交換シーンが見られました。
昭和60年2月9日 吾妻線 小野上~祖母島間にて 築堤を行く185系「白根」
同日、中間駅でEF15撮影のために構えたポジションで再び撮影。
当日は雨+雪でバッドコンディションでした。ヘッドマークが雪で見づらくなってしまいましたが、雪の地方ならではの走行写真が撮れました。
晴れて定期特急となった「白根」ですが、昭和60年3月の新幹線上野開業時において、1往復残っていた急行「草津」が消滅するとともに、新特急に「草津」の愛称が使用されるようになりました。
長らく吾妻線温泉リゾート特急としての地位を守ってきた「白根」の愛称は、ここに終止符を打つこととなりました。
オマケ画像
昭和48年頃 東北本線 西川口~蕨間にて 157系 臨時特急「白根」
昭和50年12月の運転から老朽化廃車された157系から183系に変更となり、憧れだった臨時特急はタダの変哲も無い臨時特急となり、興味の対象からも外れました。
しばらくは地味な存在になってしまった臨時特急「白根」ですが、上越新幹線の大宮暫定開業となる昭和57年11月に転機が訪れます。
温泉特急として、それまでの定期急行「草津」を1往復残して新特急として定期化されます。ここに185系新特急「白根」が誕生します。
私的には興味の対象外の列車でしたが、写真が数枚出てきましたのでご紹介したいと思います。
昭和57年12月 東北本線 西川口~蕨間にて 185系14連「草津」「谷川」
登場後間もない頃の新特急「白根」。最初の頃は単独編成が無く、「谷川」と併結され14連で走っていました。
現在は「水上」が上野寄り、「草津」が渋川寄りの連結となっていますが、この頃は編成順序が異なります。
昭和60年2月9日 吾妻線 川原湯駅にて 185系「白根」×2とEF15
EF15がサロンエクスプレスを牽いて吾妻線に入線した日、川原湯駅(現:川原湯温泉駅)にて撮影したもの。この日の川原湯駅では、新特急「白根」同士の交換に加え、EF15牽引のサロンエクスプレスの退避が重なったため、ローカルな駅で壮観な交換シーンが見られました。
昭和60年2月9日 吾妻線 小野上~祖母島間にて 築堤を行く185系「白根」
同日、中間駅でEF15撮影のために構えたポジションで再び撮影。
当日は雨+雪でバッドコンディションでした。ヘッドマークが雪で見づらくなってしまいましたが、雪の地方ならではの走行写真が撮れました。
晴れて定期特急となった「白根」ですが、昭和60年3月の新幹線上野開業時において、1往復残っていた急行「草津」が消滅するとともに、新特急に「草津」の愛称が使用されるようになりました。
長らく吾妻線温泉リゾート特急としての地位を守ってきた「白根」の愛称は、ここに終止符を打つこととなりました。
オマケ画像
昭和48年頃 東北本線 西川口~蕨間にて 157系 臨時特急「白根」
我が家は157、185に縁がありまして父方の実家は群馬の中之条、母方は伊豆の河津なんですよ。両方とも走ってる特急なんです。
たった17年というのは本当に短い感じがします。最大の原因は下降窓にあったようですが、サロ165は改修して使ったりしていましたので、そこまでしなかった原因は少数派で転用が利かないこと、183系という新性能車の導入タイミングにピッタリ合ってしまったことにあるのではないでしょうか?
私も185系が出てきたときには157系の再来だと喜んだものですが、普通列車に使ったり、シートが転換・非リクライニングだったりと、随分ガッカリさせられたものです。
不思議なことに、昔馴染みのあった列車というのは、長い間走っていたと記憶されがちですが、調べてみると現代の特急列車よりも遥かに短い期間であったりします。子供の頃の方が時間を長く感じていたのでしょうね。
しかし、両親とも157系が走っていた場所の出身とは、偶然にしてもスゴイですね。
グラサンのオッサン、久し振りに思い出して鳥肌が立ってきました。
上越での185も、157のカラーで塗装されていれば、またファンが出来ていたかもしれないですね。見てみたかったです。
185系が誕生するとき、デザイン試案で国鉄特急色も実際にありました。マイクロエースという会社から鉄道模型でも発売されています。
もちろん、実車への塗装はしていないと思いますが、見慣れないせいか、模型を見ても不気味にしか見えませんでした(笑)。あとは目が慣れるかどうかなんでしょうけど。