こんばんわ。
このところアクセスが落ち込んでいるので、「何か原因が分かるか」と思ってテキトーに検索を掛けていたら、偶然出逢ったんです。
ブログタイトル 「道」様 『JR山陰本線 荒島~揖屋間旧線』
私が高校2年生のとき、伯備線電化と同時にキハ181系「やくも」が振子電車381系化されることになり、どうしても最後の特急列車らしいキハ181系を撮りたくなって山陰本線へと出掛けました。
山陰本線の米子~松江間にある荒島~揖屋という区間で、まさにその写真を撮るために選んだ区間だったのです。別に予め知っていた訳ではなく、夜行「山陰」に乗って通った際、カーブの多いこの区間が気に入ったのと、「良いな」と思ってから比較的短時間で駅に着いたので、歩いても十分に行ける距離と考えたからです。
その後、電化されてから1度だけ同区間を通過したことがありますが、このときも夜行「山陰」に乗ってしまったため、夜間で状況が分かりませんでした。
この「道」様の記事を見て、在来線を工事せずに新線を作ってしまったこと、また、旧線跡が今でも残っていることを知りました。さらに、私の過去ログを見つけてリンクを貼り付けて頂いていたことを知り、大変嬉しくなってしまいました
そんなこともあって、思い出深いこの路線をまとめたくなってしまい、今回特集を組むことにいたしました。
あまり地図の加工とか得意では無いので、見づらくて申し訳ありません。
ご覧いただくと、現在の線形の方が当たり前に見えますが、以前は県道に沿うように走り、カーブしながらトンネルでやや短絡するように街に突っ込んでいくような線形でした。現在の路線ですとトンネルが長くなる(実際には2つに分かれているようですが・・・)ため、敢えて山を避けて一番短くてすむ場所を突き抜けたのでしょうね。
電化に際しては、在来のトンネルを改造するわけにもいきませんから、短絡してスピードアップも図ったのでしょう。
赤い線が旧線(かなりアバウトです)と想定して、撮影した方向を青矢印で図示してみました。望遠で撮っているものが多く、カーブが地図よりも大きく・キツく感じるかもしれません。
※撮影は、全て昭和55年8月です。
①地点 DD511040牽引 旧客普通列車
揖屋駅から道路に沿って曲線でトンネルに到達する地点です。現在ではカーブせずに、ほぼ真っ直ぐに抜けてトンネルへと向かっているようです。
②地点 キハ181系「おき」
旧揖屋トンネルの揖屋駅側を出る特急「おき」。おそらく開業以来使われているレンガ積みのトンネルです。現在でも旧線側に残っているのではないかと思われます。
③地点 キハ23×3連 普通列車
旧揖屋トンネルを抜け、カーブしながら県道に沿う地点です。結構カーブがキツかった印象がありますね。普通列車の本数も少なく、撮影中に通った気動車仕立ての普通列車は、コレだけだったような気がします。
④地点 DD511172牽引 下り「出雲1号」
県道沿いを荒島から揖屋トンネル方向へ向かう14系の「出雲1号」。
この頃は、東京発の東海道・山陽区間以外にヘッドマークを装着しない時代でしたので、特急だか臨時だか回送だかも判らない写真でした。西のブルトレが無くなってしまった今となっては、こんな写真でも記録がある以上は貴重なシーンとなってしまいました。
⑤地点 キハ181系 上り「やくも」
地図の一番右端、踏切辺りから、望遠300mmで国道の下を抜いたシーンです。
県道に沿って大きくカーブしています。この写真から、県道と線路がかなり接近して並行していたのが判りますね。食堂車を連結した「やくも」。貫禄のある気動車特急でした。
⑥地点 キハ82系 下り「まつかぜ1号」
同じ踏切の位置から、多分135mmで撮った写真です。
上の国道が干渉してしまい、あまり良い絵にはなっていませんね。このような中間地点では特急列車の通過時間が予測できないため、突然襲われた結果後追いになってしまったものと思われます。
この地点で捉えると、現在も同じ国道の橋脚間を抜けていると思われますので、今でもあまり変わらない可能性があります。
⑦地点 DD511120牽引 旧客普通列車
地図外の方向を向いているので判りづらいですが、地図と比較するより急カーブを描いている印象です。もしかしたら、現在と多少線形が変わっているのでしょうかね。
架線柱が建っていること以外は変わっていない可能性がありますが、走っている列車は全く様変わりしてしまいましたね。
駆け足ですが、当時を思い出しながら写真を並べてみました。
特急列車の写真が写っているので、ローカルシーンで整理するのはどうかと悩みました。でも、単線非電化で、まだ特急列車がまばらだったことを考えて、敢えて『ローカルな風景』としてみました。旧線時代の「ローカル」さを表現できたと思います。
← 内容に納得していただければ、是非ポチ下さいマシ。
このところアクセスが落ち込んでいるので、「何か原因が分かるか」と思ってテキトーに検索を掛けていたら、偶然出逢ったんです。
ブログタイトル 「道」様 『JR山陰本線 荒島~揖屋間旧線』
私が高校2年生のとき、伯備線電化と同時にキハ181系「やくも」が振子電車381系化されることになり、どうしても最後の特急列車らしいキハ181系を撮りたくなって山陰本線へと出掛けました。
山陰本線の米子~松江間にある荒島~揖屋という区間で、まさにその写真を撮るために選んだ区間だったのです。別に予め知っていた訳ではなく、夜行「山陰」に乗って通った際、カーブの多いこの区間が気に入ったのと、「良いな」と思ってから比較的短時間で駅に着いたので、歩いても十分に行ける距離と考えたからです。
その後、電化されてから1度だけ同区間を通過したことがありますが、このときも夜行「山陰」に乗ってしまったため、夜間で状況が分かりませんでした。
この「道」様の記事を見て、在来線を工事せずに新線を作ってしまったこと、また、旧線跡が今でも残っていることを知りました。さらに、私の過去ログを見つけてリンクを貼り付けて頂いていたことを知り、大変嬉しくなってしまいました
そんなこともあって、思い出深いこの路線をまとめたくなってしまい、今回特集を組むことにいたしました。
あまり地図の加工とか得意では無いので、見づらくて申し訳ありません。
ご覧いただくと、現在の線形の方が当たり前に見えますが、以前は県道に沿うように走り、カーブしながらトンネルでやや短絡するように街に突っ込んでいくような線形でした。現在の路線ですとトンネルが長くなる(実際には2つに分かれているようですが・・・)ため、敢えて山を避けて一番短くてすむ場所を突き抜けたのでしょうね。
電化に際しては、在来のトンネルを改造するわけにもいきませんから、短絡してスピードアップも図ったのでしょう。
赤い線が旧線(かなりアバウトです)と想定して、撮影した方向を青矢印で図示してみました。望遠で撮っているものが多く、カーブが地図よりも大きく・キツく感じるかもしれません。
※撮影は、全て昭和55年8月です。
①地点 DD511040牽引 旧客普通列車
揖屋駅から道路に沿って曲線でトンネルに到達する地点です。現在ではカーブせずに、ほぼ真っ直ぐに抜けてトンネルへと向かっているようです。
②地点 キハ181系「おき」
旧揖屋トンネルの揖屋駅側を出る特急「おき」。おそらく開業以来使われているレンガ積みのトンネルです。現在でも旧線側に残っているのではないかと思われます。
③地点 キハ23×3連 普通列車
旧揖屋トンネルを抜け、カーブしながら県道に沿う地点です。結構カーブがキツかった印象がありますね。普通列車の本数も少なく、撮影中に通った気動車仕立ての普通列車は、コレだけだったような気がします。
④地点 DD511172牽引 下り「出雲1号」
県道沿いを荒島から揖屋トンネル方向へ向かう14系の「出雲1号」。
この頃は、東京発の東海道・山陽区間以外にヘッドマークを装着しない時代でしたので、特急だか臨時だか回送だかも判らない写真でした。西のブルトレが無くなってしまった今となっては、こんな写真でも記録がある以上は貴重なシーンとなってしまいました。
⑤地点 キハ181系 上り「やくも」
地図の一番右端、踏切辺りから、望遠300mmで国道の下を抜いたシーンです。
県道に沿って大きくカーブしています。この写真から、県道と線路がかなり接近して並行していたのが判りますね。食堂車を連結した「やくも」。貫禄のある気動車特急でした。
⑥地点 キハ82系 下り「まつかぜ1号」
同じ踏切の位置から、多分135mmで撮った写真です。
上の国道が干渉してしまい、あまり良い絵にはなっていませんね。このような中間地点では特急列車の通過時間が予測できないため、突然襲われた結果後追いになってしまったものと思われます。
この地点で捉えると、現在も同じ国道の橋脚間を抜けていると思われますので、今でもあまり変わらない可能性があります。
⑦地点 DD511120牽引 旧客普通列車
地図外の方向を向いているので判りづらいですが、地図と比較するより急カーブを描いている印象です。もしかしたら、現在と多少線形が変わっているのでしょうかね。
架線柱が建っていること以外は変わっていない可能性がありますが、走っている列車は全く様変わりしてしまいましたね。
駆け足ですが、当時を思い出しながら写真を並べてみました。
特急列車の写真が写っているので、ローカルシーンで整理するのはどうかと悩みました。でも、単線非電化で、まだ特急列車がまばらだったことを考えて、敢えて『ローカルな風景』としてみました。旧線時代の「ローカル」さを表現できたと思います。
← 内容に納得していただければ、是非ポチ下さいマシ。
5枚目の写真の「やくも」の右端に写っている窓の位置が高い車輛は食堂車でしょうか?
当時は当たり前の風景でしたけどね。今となっては夢舞台のような光景です。
5枚目の写真は、右端が食堂車ですね。厨房の通路側なので、窓が高くなっています。
やはり周りの風景なども取り入れて撮っておくと、後々の考証にもなるので。
キハ82.181が撮れたイイ区間だったんですね~。
通常、トンネルが無ければ架線柱を建てて架線を張っていけば済むわけですが、トンネルがあると、どうしても電線を垂らす空間が無いので、新規のトンネルを掘る必要が出てきてしまいます。
普通は近くに掘り直せば良いのですが、ここはやたらカーブが多い区間なので、スピードアップを目論んで短絡したのでしょう。
この区間は各所がポイントとなったので、あらゆる位置から撮影していたのが功を奏しました。「やくも」は何枚か撮っていますので、別途特集する予定です。
当時の雑誌で見たようにこれがごく日常の光景だったことが懐かしいです。
この区間はやはり気動車の普通列車より当時山陰に多く残っていた長距離の客レがメインなんでしょうね。
キハ23ばかりというのもどちらかといえば珍しいのでは。
181系やくも、14系出雲、82系まつかぜ、今とは比較にならないほど貫禄ありますね。
当時は普通列車といえども長距離が一般的でしたので、客車列車が多勢でしたね。気動車は枝のローカル仕業で、本線級は両数の多い客車が使われたのでしょう。当時で両運の3重連というのは珍しいでしょうから、ローカル線の間合いを有効活用して区間列車を仕立てていたのは無いでしょうか?
私も感触として、この時代の車両と言うのは今よりも大きく感じます。それだけ存在感が逢ったのだと思います。大人になるに連れ徐々に見慣れてしまって、段々とそういう感覚も失われてしまうのでしょうかね。
ポチありがとうございます。
当該区間の取材を行い公開するにあたり、当時の様子も紹介できればと思い写真を探していたところ、こちらの揖屋隧道の写真を見つけてリンクさせていただきました。
また、今回は特集を組んでいただき、多くの貴重な写真を拝見できた事に感激いたしました。
非電化時代は私がまだ幼い頃でしたので今は無き旧客の記憶もほとんど無く現在では置き換えや廃止されてしまった列車ばかりで、当時の写真すべてが新鮮に感じました。
わざわざお越しいただきありがとうございました。つづきの記事も拝見させていただきました。
もう何年も中国地方には行っていないので、昔撮った風景がどうなっているのか、非常に気になるところなんですが、今の仕事は土日以外の連休が取れないので、なかなか再訪する機会がありません。
かつて訪れた撮影場所の今の様子がわかって大変嬉しく思います。たまには山陰ネタもアップいたしますので、またお時間のあるときに覗きに来てくださいませ。
架線柱が立ってますが、6、7付近は今でも同じような感じで撮れるかも知れません。
今やこの区間、運転本数も増えてると思いますが、車両は全く別物しか見られませんね。
最近コメが少ないと思ったらお出掛けだったのですね。お疲れ様です。
やはり電化してしまうとかなり印象が違っちゃいますよね。まして複線になったりすると尚更です。
区間の途中で単線になったり複線になったりするのも地方幹線の醍醐味ですね。気動車もまだ走っているようですし。ただ、短編成化というのは幹線にとって致命的な格下感となってしまうようです。